2024年 4月 26日 (金)

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早稲田大「スーフリ」主犯・和田が出獄!「残りの人生を社会の片隅でひっそり送っていく」

   今週の週刊新潮は充実している。トップは2003年に輪姦事件を起こした早稲田大学のサークル「スーパーフリー」の主犯、和田真一郎(44)の独占手記である。

   スーパーフリーは、六本木のディスコなどでイベントを開き、二次会で女性に酒を飲ませて酔わせ、みんなで輪姦するという悪質な犯行を繰り返していた。参加していたのは、早稲田大学以外に東京大学、慶應義塾大学、明治大学、法政大学、学習院大学、日本大学などの学生で、そのうち14人が準強姦罪で実刑判決を受けた。

   和田は14年の懲役刑を受け、千葉刑務所を満期出所したのは昨年(2018年)の6月29日だったという。15年ぶりで娑婆に出た彼は、スマホにびっくりし、ステーキの味に感動したという。現在は、刑務所にいる間に「就労支援」制度で受け入れてくれた会社社長のところで、名前を変えて仕事をしているそうだ。家族とは一切連絡をとっていないという。

   刑務所内では、仕事が終わると読書三昧。その上、簿記の1級や危険物取り扱いの甲種・乙種、2級のボイラー技士免許などの資格も取得した。もともとは、中央大学の経済部に入学したが、「イノシシが出没するような八王子」が嫌で、たいして勉強をせずに早稲田大学の政経学部に合格したというから、地頭はよかったのであろう。

   早稲田に入り、スーフリの先輩に声をかけられて入ったそうだ。最初の飲み会で、2、3年生の先輩が6~7人、1年生が5~6人に対して、女の子が40~50人もいたそうだ。彼はこれぞキャンパスライフだとすっかり舞い上がってしまった。

   スーフリは1982年にできたが、月に1回の飲み会が主な活動だったというから、女を目当てのためだけの会だったようである。先輩が抜け、和田が会長になるが、中心メンバーは男3人だけだったという。

   スーフリが変貌したのは、和田が六本木のディスコ「ヴェルファーレ」でバイトを始めてからだ。そこを辞めて、98年4月に六本木のクラブでイベントを開いたところ500人以上が集まり、大成功したことから、イベント中心に回りだした。そのあたりから「サークル内で輪姦が常態化していった」そうだ。その流れで大勢で1人の女性を犯したが、後々トラブルになることはなかったという。

   サークルの中には「ギャルズ」と呼ばれる常連の子もいて、そういう行為を知っていたり、被害に遭った後に常連になった子もいたそうだ。和田は輪姦へ移行した理由を、こう語っている。

   <「私が"セックスできる女性を独占するのは他の参加者に悪い""自分だけがおいしい思いをするのはズルい"という、狂った感覚に囚われていたからです。被害に遭った女性からすればたまったものではありませんが、ちょうど後輩や友達に食事をおごるような気分に近かった」>

   やった女をメモしている奴もいたという。和田の場合はセックスした女は200~300人という。そうした悪事が、被害に遭った女性が被害届を出したことで明るみにでるのである。

   当然ながら、和田は被害者の女性たちへの謝罪、損害賠償を求められれば、分割払いでも払うといっているが、どこまでが本心なのか、これを読んでも伝わってこない。

   服役中に、性犯罪者は再犯の可能性が高いために、「再犯防止プログラム」を受講させられるという。同じ罪を犯した同士で議論したり、出所後にどう自分を抑えていくかを考えるそうである。だが、なかには「出たら被害者だと称する女をぶっ殺してやる」と平然と口にする受刑者もいたという。

   残りの人生を社会の片隅でひっそり送っていく覚悟だと語っている。女性を欲望のはけ口としか見なかった男の当然の末路といえばそれまでだが、同じ早稲田大学の先輩としては、なんともやりきれない思いがしてならない。

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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