穏やかに上手に最期を迎えてほしい・・・看護師で僧侶の玉置妙憂さん「医療と仏様は同時進行でいいんです」
望む場所で、穏やかな最期を迎えるには何が必要なのか。現役の看護師で僧侶でもある玉置妙憂さん(53)は、剃髪、作務衣姿で看護専門学校の卒業生を前にそんな話をする。
「カリキュラムの中に、死をきちんと学ぶ時間はありましたか」「昔はシンプルでした。食べられなくなったり飲めなくなったら終わりだった。今は、死を操作できるようになった。どこで死の線引きをするかが曖昧になっちゃった」
玉置さんは『死にゆく人の心に寄り添う』という本を出した。「死の予兆は概ね3カ月前から現れる」「病院に入れても、着地体制に入った人が、もう一度元気になって歩けるようになるわけではない」「心停止の前に、尿と便がいっぺんにバッと出る。自然のプロセスで、人は自分で体をきれいにして亡くなるのです」――あるがままの受け入れを説く。
「ほどよく枯れていくんですよ。それが美しいなと」
かつては延命治療を信じていた。10年前、カメラマンだった夫の哲さんにすい臓がんが見つかった。哲さんはかたくなに手術や治療を拒み、自宅のベッドで死を迎えた。「点滴もせず、ほどよく枯れていくんですよ。物理的にドライになっていく。ある種、衝撃で、いや、きれいなもんだというか、素晴らしいな、美しいなと」
それまでの患者との向き合い方は間違っていたのではないか。死にゆく人と向き合うには、医療ではない何かが必要ではないのか。46歳で出家した。高野山で200日の修行を経て、ある気づきが生まれた。
医療と仏様と同時進行であっていい。看護師を続けながら、資格を取って臨床宗教師になった。穏やかな最期を迎えるための活動である。以前とは違う心構えで患者と向き合えるようになったという。
武田真一キャスターは「延命治療を望む人はいると思いますが」と聞く。玉置さんは「何もしないのも価値観だし、どんなことをしてでも、というのも大切な価値観です」「私はたまたま仏教ですが、家族でも看護師でも、町のおばさんだってできるはず」と話す。