2024年 4月 24日 (水)

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樹木希林ブームで週刊現代も別冊!内田裕也という稀有な悪夫から生まれたぐいまれな女優

   樹木希林ブームが続いている。週刊現代も、別冊「おとなの週刊現代 樹木希林さんが教えてくれたこと」を出した。樹木はなぜか週刊新潮には、「お宅は面白い週刊誌だから」と、忙しいときもインタビューに答えてくれたそうだ。

   週刊新潮はこれまでのインタビューの断片をまとめて掲載している。いつものように、内田裕也との結婚生活を樹木流にアレンジして語っているが、私は、樹木と内田の夫婦生活の内実は、相当深刻だったのではなかったかと思っている。

   この中でも、ろっ骨を折られたり、数知れない女癖の悪さで、女性から訴えられ、逮捕されたりもしている。家庭内DV、女癖、結婚以来一銭ももらったことはないという結婚生活が、樹木を鍛え、諦め達観したかのような樹木的人生観や死生観を形作ってきたのであろう。

   そういう意味では、内田という稀有な悪夫が、樹木希林というたぐいまれな女優を作ったともいえる。樹木が映画で見せる背中の寂しさは演技ではなかった。そう思っている。

   私は今でも田原俊彦という名前を見ると身構えてしまう。田原が近藤真彦や野村義男らと「たのきんトリオ」を組んで絶頂の頃、彼らの事務所の社長、ジャニー喜多川の性癖について週刊現代で取り上げたことがあった。記事が出てから大騒ぎになり、私は週刊現代から女性誌にすっ飛ばされた。

   その田原も58歳。週刊文春でこれまでの人生を振り返っている。事務所から渡される給与が月額20万円から、辞める時でも30万円程度だったこと。退職金は100万円。メリー喜多川副社長とはよく口論していたこと。辞めると電話した時、ジャニー喜多川社長は「いいんじゃない? トシ」と答え、引き止めなかった。その頃は田原からSMAPへと彼の関心は移っていたそうだ。

   やはり、事務所を離れると仕事が激減したが、田原は「今でも、田原俊彦がジャニーさんの最高傑作だったと断言できます」といっている。還暦間近で「僕は"ジ・アイドル"」だといい切る。この自信がすごい。

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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