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私たちはこうやって日本列島にたどり着いた・・・科博が丸木舟で台湾から渡海チャレンジ

 

   われわれの祖先はどのようにして大海原を越えて日本列島にやってきたのか。国立科学博物館のプロジェクトチームは、旧石器時代の古代人が使っていた石斧で丸木舟を作り、台湾から沖縄・与那国島までの200キロを渡海する実験に挑戦した。漕ぎ手は女性を含む5人。2昼夜をかけて今月9日(2019年)に成功させた。

 

   最初に挑んだ手製の草舟はあえなく沈没。次に竹筏舟で再挑戦したものの、浮力は草舟よりもあったが、スピードが出ずに黒潮に勝てなかった。3度目の今回は、3万年前の遺跡から発掘された石斧を再現して杉の丸木舟(全長7.5メートル、重さ350キロ) をつくった。漕ぎ手はいずれもシーカヤックのエキスパートたちだ。

海の急流・黒潮を漕ぎ渡れ

 

   今月7日(2019年)午後3時38分に出航。沖に出たとたんに横からのうねりで海水が舟の中に入り、漕ぎ手1人が排水にかかりきりになる。出航から2時間後、「海水温がぬるくなった」と無線連絡が入った。幅100キロ、秒速1メートルの急流・黒潮だ。黒潮を越えないと与那国島には到達できない。

 

   5時間が経過した午後8時20分、真っ暗闇の夜を迎えた。晴れていれば織姫星(ベガ)が天の川のほとりに輝いているはずだが、あいにくの曇りで、見えるのはぼんやりと光る月だけだ。午前3時40分、ようやく東の空に姿を現した星を頼りにこぎ続ける。台湾から120キロ進んだが、与那国島にはまだ100キロ近くある。

 

   2日目の昼になると、舟はコースから外れて東へと迷走を始めた。進路の指標となる太陽が真上に来たため、東西を示す手掛かりがなくなったのだ。気温33度のなか、迷走2時間のロス。体力を奪われ、休憩が増え、スピードも半減した。

 

   2日目の夜は予定になかった休息を取り、みんな熟睡した。目が覚めたのは4時間後の朝5時前だった。この間、舟はどこに向かって進んでいたのか。実は、与那国島に導かれるように真っ直ぐ流されていた。あとは潮が運んでくれる。朝6時、目の前に与那国島の姿が現われ、3日目の午前11時48分島に到着した。45時間の航海が終わった。

目的と覚悟もって海を越えてきた古代人たち

 

   慶応大の宮田裕章教授「漂流して偶然に辿り着いたのではなく、明確な意思と覚悟があって海を越えてきたのではないかという話ですが、実際に体験していかがですか」

 

   舵取り役だった田中道子さんは「針の穴を抜けるような感じがあるんで、偶然ではないですね。今回やってはっきりわかりました」

 

   なぜ祖先たちは危険を冒して海原を渡って日本列島にやってきたのか。田中さんは「夢や希望だけじゃなく、どうしても(現状から)脱出したいマイナスの状況があったんじゃないでしょうか。今回、海と向き合ってみて感じましたね」と話す。

   *NHKクローズアップ現代+(2019年7月24日放送「独占密着!3万年前の大航海 日本人のルーツに迫る」)