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「いだてん」田畑政治、なぜ水泳と記者の二足のわらじをはけた? 朝日新聞社報の謎解きが面白い

   NHK大河ドラマ「いだてん」は、日本水泳の父と呼ばれる元朝日新聞記者の田畑政治(阿部サダヲ)が主人公の二部が始まっている。田畑は忙しいはずの政治部記者でありながら、日本水泳連盟の代表も務めて後進の指導にあたり、2回の五輪に選手団を率いて現地入りするという二足のわらじをはいていた。

決して大らかではなかった当時の記者、長期の無断欠勤はクビ

   「いだてん」には田畑が何日間も職場を留守にして、上司が「田畑は? (水泳連盟ですと聞き)あいつ!もう!すっ飛ばすぞ」と怒鳴る場面が出てくる。当時の新聞社はよほど大らかだったのだろうか。最新号の朝日新聞社報「エー・ダッシュ」(2019年夏号)が、この「田畑の謎」を取り上げた。

「田畑の謎」については、現代の後輩の朝日新聞記者も不思議なようだ。朝日新聞コラム天声人語(2019年6月28日付)はこう羨ましがっている。 「おおらかと言えば、おおらかな時代である。『田畑は記者半分、水泳半分だから』とかばう声が社の上層部にあったようだが、いまの新聞社ならとても認められまい」

   ところがどうして、決して大らかな時代ではなかったという。朝日新聞社史編修センター長が執筆した社報の特集「『いだてん』主人公 田畑政治三つの疑問」によると、当時の政治部でも行動は厳しく律せられていた。田畑の入社前後の1923年、中国視察後に許可なく引き続き1か月余旅行した部員が減俸処分、27年には無断で中国に旅行に行った部員が減俸処分を受け、2人とも直後に依願退職している。

   ましてや「社外活動」は当時の「服務内規」でも禁止されていた。ただし、「特に総務局の認可を得たる者はこの限りにあらず」とあり、田畑の場合はこれに該当し、「水泳活動を社内でしっかり認知・認識されていた」という。田畑は、ロス五輪に行った際、記者としてではなく、「水上連盟代表者 田畑政治」として何度も通常の紙面に登場しているというのだ。

朝日新聞は野球とともに水泳も販売戦略にしたかった?

   社報では、「水泳は記者活動の妨げにならなかったのか?」と、現代の記者として当然の問いを投げかけている。ドラマでは記者の仕事そっちのけで水泳活動にまい進する姿が描かれているからだ。しかし、実際は優秀な政治部記者だった。当時の政治部長が先鞭をつけた「夜討ち朝駆け」を率先して実行、政治家の懐に飛び込む。つかんだネタを後輩記者に伝えて特ダネにさせる。

   もう1つは、当時の朝日新聞のスポーツ報道事情もあったようだ。朝日新聞は1915年から全国中等学校野球大会(現在の夏の甲子園大会)を主催、新聞販売面でも役立った。28年のアムステルダム五輪で、水泳の日本選手が金・銀・銅メダルを獲得、にわかに水泳が注目されるようになった。そこで、同年10月、朝日新聞は「国際水上競技大会」を主催する。

   結局、野球大会に加えて水泳まで社の事業にする余裕がなかったのか、翌年以降大きな水泳大会を主催していない。しかし、証拠資料は残っていないが、「社として花形コンテンツとなった水泳の中心人物を抱え続けていく方針を立てたとしても不思議ではない」と特集記事では推論している。田畑の上司の緒方竹虎はこんなコメントを残しているという。

   「田畑はエラくならなくってもいいんだよ。田畑には水泳があるんだから」

   田畑の「二足のわらじ」の背景に、こんな新聞社事情もあったことを頭に入れておくと、「いだてん」を見る楽しみも増すかもしれない。(テレビウォッチ編集部)