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映画「この世界の片隅に」ここにもすずさんがいた・・・戦時下でもおしゃれ求める女性たちに応え続けた埼玉の美容院

   博多大吉キャスターが「大人も子供もぜひ一緒に見て考えていただきたい。そんな特集です」と取り上げたのは、戦争の辛さや悲惨さの中にも、普通の人たちの普通の暮らしがあったことを丹念に描いた映画「この世界の片隅に」だった。公開から3年経っても上映が続いている人気作だ。

   「あさイチ」はこの夏、映画の主人公・すずにちなんで、「#あちこちのすずさん」というキャンペーンを展開し、戦時中の暮らしのエピソードを募集した。寄せられたエピソードは、映画制作チームの描き下ろしのアニメと、俳優の松嶋菜々子の語りで紹介した。

炊事用に配給された木炭でパーマ

   埼玉に住む美容師・大塚良江さん(83)が投稿したのは、「パーマ」にまつわるエピソードだ。昭和の初め頃から、電気を使うパーマの機械が使われていた。しかし、戦争が始まると、「贅沢は不謹慎」「パーマは電力の無駄遣い」という風潮が広がった。「パーマネントのお方は当町通行を御遠慮下さい」という看板が立てられた道もあったほどだ。

   それでも女性たちはパーマをあきらめなかった。大江さんの母・ふみさんが営んでいた美容院には、戦時中もパーマをかけたがる客がたくさん押し寄せた。

   電気は使えなかったので、「木炭パーマ」という方法が編み出された。木炭の火にトタン板をかけ、金属のクリップをのせて熱くして巻いた髪の毛にかぶせるというものだ。

   木炭は客が持ち込む決まり。当時は炊事用に家庭に配給される貴重なものだったが、ご飯は枯れすすきなどで炊いて、木炭はパーマに回していたそうだ。

「女性が美しさを求める心は強い」

   パーマをかけている1時間半の間、客はふみさんにいろんな思いを吐き出した。「空襲であす死んでもいいように、綺麗な髪型でいたい」「息子が戦死したの。気持ちを張らなければ家事もできないわ」

   ふみさんは時に涙を浮かべながらうなずいていたという。大江さんは「女性は美しくなると、本当に喜びを満面にする。私もそれを見た時に、『絶対、学校を卒業したら美容師になろう』と思いました」と語った。

   大江さんに続いて、妹の繁子さんも美容師になった。さらに、甥や子供たちも続いて、いまでは一家6人が美容の仕事に就いている。そのみんなに受け継がれているのは、「女性が美しさを求める心は強い」という信念だ。

   次女の環さん「東日本大震災の時でも、やはりお客様はいらっしゃいました」

   大江さん「苦しみがあるからこそ、いらっしゃる。お薬を飲むよりも、美しくなった方がすーっと心も落ち着きます」

   博多大吉キャスター「戦時中って、そういうのとはかけ離れた日常かと思ったら、結構みなさんおしゃれを楽しんでいたんですね」

   ゲストの本上まなみ(俳優)「パーマをかけている間の1時間半で、胸の内を吐露して、また頑張ろうって思える。セラピーの要素もあったんじゃないかと思いますね」