2021年 9月 24日 (金)

40歳近くになって恋も結婚も自由にできない「嵐」活動休止でジャニーズ事務所離れは当たり前か・・・

建築予定地やご希望の地域の工務店へ一括無料資料請求

安部譲二が樫の六尺棒もって週刊現代編集部に乗り込んできた!面白い人が次々いなくなるなあ

   安部譲二が亡くなった。享年82。「塀の中の懲りない面々」がミリオンセラーになった頃に知り合った。自由が丘の居酒屋で飲んで、外に出て、いきなり「元木さん、思い切り腹を叩いてくれ」といい出した。高校時代はボクシングをやっていた安部ちゃんだから、私の柔な拳では痛くもかゆくもなかった。

   書くものも面白かったが、彼の話は抱腹絶倒だった。山口組の鉄砲玉がフライデー編集部を襲撃した時、真っ先に電話をくれて、「元木さん、ボディガードがいるならすぐに行くから」といってくれた。

   週刊現代の担当編集者が安部ちゃんと揉め、樫の棒を持って現代編集部に乗り込んできたことがあった。私が出て丸く収めたが、持ってきた六尺棒を「何かの時に必要になるかもしれないから」といって置いていった。

   糖尿病がだいぶ悪くなり、都内を引き払った頃から会うことがなくなった。世の中から面白い人が次々にいなくなる。

   講談社の大先輩である大村彦次郎元常務も亡くなった。享年85。「小説現代」「群像」で編集長を務めた。作家に愛された人だった。99年に「文壇栄華物語」で新田次郎文学賞を受賞し、「時代小説盛衰史」などの著作がある。

   講談社に親しい先輩はほとんどいないが、大村元常務はなぜか時々声をかけてくれて、2人で飲んだ。江戸っ子気質で、文壇の裏話が面白かった。もっと話を聞いておけばよかった。

   人間の科学新社の小幡一社長も亡くなってしまった。小さいながら良書を一生懸命出し続けていたが、カネの苦労は大変だったと思う。講談社の先輩、杉山捷三の傘寿のお祝いの会で会ったのが最後になってしまった。(文中一部敬称略)

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

今すぐ無料会員に登録して、コメントを書き込もう!
姉妹サイト

注目情報

PR
追悼
J-CASTニュースをフォローして
最新情報をチェック
電子書籍 フジ三太郎とサトウサンペイ 好評発売中