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発見し研究し開発して売れる確率は100万分の1!ノーベル賞・吉野彰さんが味わったサラリーマンの苦労

   ノーベル化学賞の受賞が決まった吉野彰・旭化成名誉フェロー(71)が生出演し、IT・インターネット社会を支えるリチウム電池の開発から事業化までをさまざまなキーワードを示しながら語った。

   全体的なキーワードは「100万分の1」。吉野さんは「研究を成功させる確率は、まあ、このぐらい」と話した。すごく小さく思えるが、「確率10分の1のことを6回やり続ければ100万分の1になる」という点がミソだ。

   そのために吉野さんが心がけてきたのは、「超現代史のススメ」だそうだ。「ここ10年か20年の歴史(諸研究の成果)がどうだったかを理解すると、未来が見えてきます」という。最近10年から20年ぐらいの研究データを調べることで、その延長上に先のことがあるとの意味だ。

   もう一つのモットーが「シーズの糸をニーズの針穴に通す」。シーズは専門的技術や能力、ニーズは未来の必要・需要をさす。実際にはどちらも動くもので、「その中でジェットコースターに乗って針の穴を通す確率が100万分の1。それぐらいむずかしい」という話を、吉野さんは笑顔で披露した。

「バカだといわれながら、誰にも相談できずに続けました」

   吉野さんが新技術の開発を始めた1981年ごろ、リチウムは電池の画期的な材料として注目されていたが、大きな弱点があった。水に触れると燃えやすい。「朝来たら、電池が壁に跳んで燃えていた」(元同僚の實近健一さん)というほどの危険な素材だった。吉野さんたちは、充電したリチウム電池に鉄の塊を落とす、ライフル銃で撃つといった負荷をかけ、試行錯誤した。吉野さんは「まるで悪魔の川を渡るようでした」と振り返った。

   その最中に目にしたのが、今回いっしょにノーベル化学賞を受賞したジョン・グッドイナフ博士たちの「リチウムを電極に使ったら」のアイデアだった。もう一方の電極に吉野さんたちはカーボンを考えた。

   「カーボンといっても分子構造はさまざまで、全国の企業を訪ね歩きました。サンプルをもらって一つ一つ試したがダメ。200から300ぐらいやったなあ」と吉野さん。自社で開発したカーボンを試すと、安定した性能が得られ、ようやくリチウム電池の原型が完成した。電力を蓄えたリチウム電池は携帯電話の充電をするときなどに威力を発揮した。その経過を、吉野さんは「孤独な研究」という。「1人か2人でああでもないこうでもない、バカだといわれながら、誰にも相談できずに続けました」

   武田真一キャスター「サラリーマンとしては、プレッシャーもあったのではありませんか」

   吉野さん「それもあるけど、研究は基本的に確率の低い仕事ですから、それで逃げたら続きません」

リチウム電池はエネルギー革命を起こす

   なにかおもしろそうなものを見つけたとしても、「評価項目が100あると、ずば抜けた特性が1で、あとの99は全部問題点。片っ端から解決していくしかない」という。

   こうした状態を、吉野さんは「死の谷」と、独特のたとえで語った。「会社が材料メーカーだから、社内で電池事業の議論をしても答えが出ませんでした。電池メーカーの人を紹介してもらってアドバイスを聞いた」そうだ。

   そこを乗り越えると、今度は「ダーウィンの海」と吉野さんが呼ぶ販売競争にさらされた。なかなか売れなかったのだが、ある日突然売れ出す。それがIT革命、1995年のウインドウズ95の発売だった。これをきっかけにパソコンや携帯電話のメーカーが一斉に動き始めた。

   今では、スマートフォン、ノートパソコン、カメラに電気自動車とリチウム電池を使った製品があふれる。宇宙開発や自然エネルギー発電などにも貢献して環境問題の解決へ期待も高まる。吉野さんは次の未来に向けて「ET革命」(エネルギーの分野でのテクノロジーの変革)を期す。リチウム電池にエネルギーをため、必要な時に必要なところへ供給する。今回の受賞理由でもある功績だが、「もっと性能を上げる努力をすれば、地球の環境問題に答えを出す大きな武器になる」と吉野さんは言い切った。

   *NHKクローズアップ現代+(2019年10月10日放送「ノーベル化学賞 吉野彰さん 開発秘話と未来への思い」)