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増え続ける「車上生活者」道の駅で2年・・・仕事も家もなく雨風しのげるのはここだけ

   道の駅などに車を駐車して暮らす、車上生活者が増えている。今年8月(2019年)、埼玉・熊谷市の道の駅「めぬま」で50代女性が母親の遺体を車の中に放置したとして逮捕された。警察によると、女性は母親と息子の家族3人で1年間車上生活をしていたという。

   群馬・吉岡町の道の駅「よしおか温泉」では、夜になると暗闇の中に10台ほどの車が止まっていた。その中の1台は車上生活者で、トラック運転手をしていたという66歳の男性だ。この12月で1年になる。後部座席で眠り、カセットコンロで料理もする。金がない時は手作りのゼリーで凌いでいる。70キロあった体重は40キロ台まで落ちたという。

   この男性が車上生活者になったのは、仕事を失い生活に行き詰まったためだ。アパートの家賃の支払いが滞り、退去して車中で暮らすようになった。「生活保護を受けたらどうかと言われたが、市役所に行ったら、車を持ってるならダメと却下された。次の仕事を見つけるためには車は手放せない」と話した。

   年金支給前夜から午前0時振り込みの年金をATMの前で待ち、下ろした年金でガソリンスタンドに行き、ガソリンを5リットル買い、「移動するよ。ここには戻らず、どこかで。ここにずっと止めていたら相当まずいでしょ」と話して、道の駅「よしおか温泉」を出ていった。

きっかけは引きこもり、DV、職場トラブル

   福岡・宗像市の道の駅「むなかた」には27歳の男性が車上生活を続けていた。派遣社員としてトラックの製造ラインで働いていたが、退職して寮を出たため、車上生活者となった。「8時に出勤して午前1時まで働くこともあった。やりがいもなく、続かなかった。今のほうが働いていた時より気持ちは楽」と言う。 後部座席には飼っていたハムスターの遺骨が置かれていた。日中はファミリーレストランに移動し、隅の席で過ごす。「友人ゼロ、彼女いない」という男性は、幼い頃に両親が離婚し、父方の祖父に虐待され、ノイローゼになったこともあった。以来、どの職場でも人間関係に悩み、職を失うたびに車上生活をしている。現在はプログラミングの勉強中で、「まずは仕事と住む場所。この2つですね。こんな生活を幸せと思いたくない」という。

   行政の支援を受けて、夫と3人の子供とアパートで暮らしている30代の女性は、3年前の冬まで車上生活をしていた。当時、長女は1歳で、長男を妊娠中だった。「車がなかったら野宿だった。ネットカフェは子供を連れては入れないので、車が雨風をしのぐ唯一の場所でした」

   両親とは疎遠で、同居していた親戚とのトラブルをきっかけで車上生活を始めた。夫婦共働きで日雇いの仕事をしていたが収入は月10万円で、アパートを借りる余裕はなかった。

   神奈川・海老名サービスエリアで車上生活をしている70代の夫婦は、認知症の妻の徘徊で近所に迷惑をかけないため2年前からここで寝泊まりしているという。宮城県の道の駅で車上生活を送る5人家族は公園の水道で洗濯し、小学2年生の長女は通学させていない。清掃員として働きながら車上生活をする女性、夫のDVで家に帰れないために千葉で車上生活をしている50代の女性もいた。

   取材した後田麟太郎後田ディレクターは「想像以上に多くの車上生活者がいて驚きました。引きこもりやDVなど孤立問題と結びついているようです」と報告する。車上生活を続けて亡くなった人もいる。わかっているだけで、関東地方の道の駅で少なくとも9人の車上生活者が死亡している。

誰にも頼れない社会、無関心な社会の怖さ

   車上生活者の支援をしている静岡県のNPOに高齢の母娘の車上生活者がいるという情報が入り、現場の道の駅に向かうとすでに移動していた。NPO職員によると支援には課題があり、生活保護を勧めても拒まれるケースが多く、「助けてと言えない人は多い。言ってもらえる関係を作っていくしかない」と話す。

   武田真一ディレクターは、30年前からホームレスの支援を行っている福岡・久留米のNPO法人「久留米越冬の会」を訪ねた。会の阿英紹氏は「ホームレスと車上生活者は同じではなく、これまでの対策では解決できません。どこかで社会との交わりが閉じられてしまっていて、追い込まれてしまっているとしか思えません。冷たい社会になっているので、オアシスみたいなものが必要」と話した。

   後田ディレクター「多くの車上生活者が誰にも迷惑をかけられないと話していました。誰にも頼れない社会、無関心な社会の怖さを感じます」

NHKクローズアップ現代+(2019年11月19日放送「車上生活 社会の片隅で...」)