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ブッシュにも、ビン・ラディンにも、ISにも揺るがなかった中村哲医師の信念「偽善と茶番は長続きしない」

   12月4日(2019年)、アフガニスタンで銃撃されて亡くなった中村哲医師は、貧困やテロとどのように戦ってきたのか。2001年の米国同時多発テロで、ブッシュ大統領はビン・ラディンが潜伏しているアフガニスタンに空爆を仕掛けた。中村医師は、武力によるテロとの戦いに疑問を投げかけた。「ブッシュ大統領が『強いアメリカ』を叫んで報復の雄叫びを上げ、米国人が喝采する。瀕死の小国に世界中の超大国が束になり、果たして何を守ろうとするのか、素朴な疑問である」(「医者、用水路を拓く」より)

   現地で診療所を開設するなど、医療支援を行ってきた中村医師だが、武力ではテロは断ち切れない、その背景にある貧困の問題を解決しなければならないと考えた。「水が汚い。下痢で子供が死ぬ。100人の医者より1本の水路だ」と、クナール川の水を引き込み、干ばつでも枯れない用水路を作る。資金もノウハウもないままに川の流れを変える工事がスタートした。

   冷たい川に入り、石を動かす中村医師の姿を見て、現地の人たちも変わった。タリバンの元戦闘員や米国軍に雇われた傭兵たちも、「自分たちの力で国土を立ち直らせ、また農業をしたい」と協力し始めた。

   だが、米国は空爆を続け、誤爆もあり、民間人の死者が急増する。タリバンも爆弾テロで対抗する。治安は一段と悪化した。中村医師は「世界平和のために戦争をするという。いったい何を、何から守るのか。こんな偽善と茶番が長続きするはずはない」と手記に残している。

   日本が国際協調でインド洋での給油活動を始めると、「日本だけが何もしないでいいのかではなく、何をしたらいけないのかを熟考すべき。国際協調もうつろに響く」とも書いている。

25・5キロの用水路は完成したが治安は悪化の一途

   2008年8月、中村医師にとって衝撃的な事件が起きる。5年にわたり活動を共にしていた仲間、伊藤和也さんが、武装グループに殺害されたのだ。静岡にある伊藤さんの墓前には、中村医師が贈ったクナール川の石が3つ置かれている。伊藤さんの母は「中村先生は、活動をやめたら和也の遺志が揺らぐ。和也を殺した人を思うとやめてはいけないと言っていました」と語る。中村医師はアフガンに残り用水路の工事を続けた。

   そして2010年。総延長25.5キロの用水路が完成する。死の谷は緑の大地に変わった。人々は次々と故郷に戻ってくる。中村さんは用水路が見える農場に伊藤さんの功績を称える碑を建てた。

   2011年5月、米国はビン・ラディンの潜伏先を襲撃し殺害した。2014年12月には治安維持などに当たっていた米軍を中心とする国際部隊の大半が撤退した。すると、タリバンが勢力を盛り返し、過激組織ISも台頭した。軍の施設や政府機関を狙ったテロが繰り返し発生し、民間人の死傷者は5年続けて1万人を超えた。中村さんは銃を持った警備員を同行させるほど治安は悪化していった。

「必要なのは弾丸ではありません。温かい食べ物と温かい慰め」

   中村医師とともに現地で活動した蓮岡修氏は、「先生は現地の人々に威張った態度を見せたことがなかった。常に現地の人々に敬意を払っていたことを思い出します。大統領が先生のお棺を運んだり、村々で追悼式が行われたり、水路の水は砂漠を潤しただけではなかったのだと実感しています」と話した。

   国連元政務官で慶応義塾大学大学院の田中浩一郎教授は、「誠の人道主義者で、負傷者は敵も味方もなく治療するという、ほかの人にはできないことをなさっていました。外国軍を追い出し、外国人を攻撃の対象にして、外国人がいなくなれば傀儡政権を倒せると考えるテロ組織の犠牲になった」と、その死を悲しんだ。

   中村医師の志はアフガニスタンに受け継がれている。用水路の建設に携わった現地の男性は、「暮らしは大きく変わった。自分の畑に水が来て農業が再開できた。(中村医師が)亡くなって悲しいが、残った仕事を自分たちで進めたい」と話した。中村医師は生前、自分がいなくても用水路の建設を進められるようにと職業訓練校を開設し、1000人以上が参加している。

   中村医師はこんな言葉を残している。「寒風の中で震え、飢えているものに必要なのは弾丸ではありません。温かい食べ物と温かい慰めです」

NHKクローズアップ現代+(2019年12月10日放送「中村哲医師 貫いた志」)