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<いだてん~東京オリムピック噺~/最終回「時間よ止まれ」>(NHK総合)
東京オリンピック開幕!田畑、金栗、志ん生・・・人生をかけたそれぞれの夢は叶ったのか

   1964年の東京オリンピックの開会式当日が最終回だ。前日は大雨でだったが、夜半から上がり、開会式が始まるころはNHKの北出清五郎アナが「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます」と伝えるような快晴になった。

   大会組織委員会の前事務総長・田畑政治(阿部サダヲ)は、開場前の無人の国立競技場のスタンドに1人立ち、感無量でフィールドを見下ろしている。そこに足袋を履いて現れたのが、1912年のストックホルム五輪に日本人初のマラソン選手として出場した金栗四三(中村勘九郎)だった。金栗は恩師・嘉納治五郎(役所広司)と約束した聖火リレー最終走者に選ばれなかったことに未練をにじませる。

   最終ランナーに選ばれたのは、広島出身の早稲田大学生の坂井義則(井之脇海)だった広島に原爆が落とされた8月6日に生まれたというのが理由だった。坂井は重圧に押しつぶされそうになっていた。

国立競技場に世界から93カ国・地域の5000人

   落語家の古今亭志ん生(ビートたけし)は、高座に「富久」を掛けた。酒で失敗ばかりしていた幇間、久蔵が、恩のある旦那が店を構える日本橋界隈が火事だと聞き、浅草から駆け抜つけるシーンが聞かせどころのネタだ。

   戦時中の満州で、若き日の志ん生(森山未來)と知り合った金栗の弟子、小松勝(仲野太賀)は、志ん生に走り方を教えたことがあった。小松は侵攻してきたソ連兵に撃たれて死亡した。小松が幻となった1940年の東京オリンピックでメダル獲得を目指していたことを知っている志ん生は、開会式に合わせて「富久」を演じたのだ。

   国立競技場のゲートが開き、観客席は人々の笑顔で埋め尽くされ、フィールドにはこれまでで最も多い93カ国・地域の5000人を超える選手らが参集した。日本中が見守る中、坂井が163段の階段を駆け上がり、聖火台に点火する。その上空では航空自衛隊「ブルーインパルス」が5色の飛行機雲でオリンピックのシンボルマークを描いた。(2019年12月15日よる8時放送)

                               

寒山