2024年 4月 20日 (土)

「親から虐待」大人になっても心の傷癒えず人間関係が苦手・・・上司から叱責でフラシュバック

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   幼いころに親から虐待を受け影響で、大人になっても傷がいえずに苦しんでいる人が少なくない。児童虐待事件は、去年(2019年)9万7000件(警察庁まとめ)と過去最悪だった。しかし、事件が起きたときは注目されても、「虐待後をどう生きるか」に関心が寄せられたことはほとんどなかった。

   生活保護を受け、一人暮らしの21歳男性は、自分がどこで生まれたのか記憶がない。「父親がDV(家庭内暴力)だったらしい。自分ではまったく覚えていない」とつぶやく。強い心理的ストレスのせいで記憶を失うことがあるのだ。

   覚えているのは、小学生のころに不登校で学校からよく電話がかかったことぐらい。「電話が怖い。トラウマなんですよ」と言って、多くを語ろうとしないし、語れない状態でもある。高校卒業後に就職したが、人間関係を築けず、辞めた。今の暮らしを抜け出したいと思いながら、「どうしていいかわからない。不安がぬぐえない」という。

「ここしか居場所ない」半グレ組織に誘われ実刑判決

   別の21歳男性は小学生の時に両親が離婚、引き取られた父親から毎日のように激しい虐待を受けた。「死ぬかと思った経験を何度もしました。暴力を日常茶飯事的にやられました」と話す。

   高校卒業後に就職した工務店で、上司に叱責された時、父親からの虐待がフラッシュバックし意識を失った。これをいくら説明しても理解してもらえず、仕事を辞めた。ネットカフェで寝泊まりていたころ、半グレ組織に声をかけられ、「居場所はここしかない」と思ったという。「関係が壊されるつらさを知っているから、誘いに乗るし、やれることはすべてやった」と告白した。去年、違法薬物の使用で実刑判決を受けた。

   宮崎県の自立援助ホーム「ウィング・オブ・ハート」の施設長、串間範一さんは、ホームで共同生活する5人のうちの17歳女性が心配でならない。彼女はSNSで不特定多数の男性と知り合い、性的関係を繰り返す。門限の夜10時を過ぎても戻らず、2日後に帰ってきたときは、妊娠していた。父親はだれかわからない。

   彼女が生まれて、すぐ両親が離婚した。母親は10年にわたり育児放棄だった。養護施設にいても、寂しくなると抜け出してしまったらしい。串間さんは「何度言っても分からないのは、心配されるとか、待っていてくれる人がいるとかの経験がないからです。無条件で愛情を感じなければならない時代が空白だったんです。1年や2年で癒されるのはむずかしい」と語る。

虐待体験を積極的語る「僕が飢えていたのは、優しい大人の存在です」

   都内に住む会社員、橋本隆生さん(41)は、妻と子ども2人がいる。「幸せな家庭を持てるとは思ってもいなかった」という。子どものころ、虐待された。左目の下には父親に殴られてできた傷跡がある。「縫っていない。病院に行かなかったから」

   2歳下の弟、隆くんは食事を残し、激怒した父親に風呂場で暴行された。「僕はリビングにいて、怖くて動けなかった。風呂場で弟は浮いていた」と振り返る。隆くんはその後、病院で死亡が確認された。

   高卒後に介護の仕事に就いたが、上司に叱られたのをきっかけに職場を離れた。「小さいころにさんざん否定されて生きていたから、ささいな注意をされただけで落ち込んだ。仕事が続かなかった」という。

   転機となったのは34歳の時で、自分史を書く市民セミナーに行ったときだ。虐待体験を人前で話すと、他の受講者から「よくここまで立派に生きてきたねえ」と声がかかった。「生きてきたのは無駄じゃないと思いました」と、いまは虐待経験を積極的に語る活動を続けている。ペンネーム「隆生」は弟の名前からつけた。「精いっぱいの笑顔と優しい言葉を(虐待された人に)かけてほしい。僕が飢えていたのは、優しい大人の存在です」という。

   取材した山浦彬仁ディレクターは「暴力親から逃れれば解決と思っていましたが、私たちは現実を何も知らなかった」と報告した。作家の石井光太さんは「虐待のニュースは、終わるとだれも関心を持ちません。児童福祉の人たちに任せて無関心だった僕たちは恥ずかしいと思わなければいけない」と指摘した。

   NHKクローズアップ現代+(2020年2月26日放送「虐待後」を生きる~癒えない"心の傷"~」)

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