2024年 4月 26日 (金)

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三浦春馬「自殺」なぞ読み解くカギは母親か?週刊文春と週刊新潮で見方真反対<

   人気俳優の三浦春馬が自殺した。まだ30歳という若さである。子役から注目を浴び、俳優として順調に伸びてきていたのに、何があったのだろう。イギリスに語学留学し、踊って歌も歌えば、ギターも弾く、得難い才能だった。7月20日(月曜日)のワイドショーはこの話題でもちきりだったが、私が見る限り、才能もあるのに、努力し過ぎである。

   付き合っていた彼女と別れ、最近はやけ気味に酒を飲んでいたという話もあるが、これだけのモテ男、女性のことで死ぬことはないのではないか。何が三浦に起こったのか、知りたいものだが、週刊文春と週刊新潮を読み比べて、三浦の母親がキーマンになるようだが、母親像は正反対である。

   三浦は茨城県土浦市出身。彼の小さい頃に母親は離婚し、<「春馬くんに苦労をさせまいと必死で働いていた」(母親の友人)>(週刊文春)という。「小さい頃は引っ込み思案で大人しかった春馬くんに、俳優の道を勧めたのはお母さん」(同)で、地元の演劇学校へ入れ、彼女は学校の近くで飲食店を経営していたそうだ。三浦は7歳から芸能活動をスタートさせた。

   子ども時代の彼に演技指導をしたつくばアクターズスタジオの加藤麻由美元会長は、新潮に対して、最初から華があってスタジオの顔になってもらおうと、特待生として迎え、月謝は取らなかったそうだ。地元で路上ライブをすれば、すぐに100人ぐらいのファンが集まるようになったという。母親は熱烈な矢沢永吉ファンで、2000年にドラマ『雨に眠れ』(TBS系)で息子が共演した際には、大喜びしたそうだ。

   だが、俳優として脚光を浴びるのは2006年の『14才の母』に出演後からで、下積みは長かったが、<「実家への仕送りも欠かさなかった」(事務所関係者)。俳優としてブレイクすると、母親は個人事務所の社長に就任。母子の関係はさらに濃密になっていく>(週刊文春)。母親の再婚相手とも良好な関係を築いていたが、母親は7、8年前に離婚している。多忙を極めていく三浦は、精神的に追い詰められ、茨城に帰って農業の道へ行こうと考えていた時も、心の支えになったのが母親で、思いとどまるよう説得したそうである。

   三浦と母親とは一心同体と文春は報じているが、週刊新潮は違う。<「三浦さんは、以前から家族との関係に悩んでいました。母親から度々金銭を無心され、芸能界の仕事に嫌気がさしていた、役者をやめると決意して農業をやりたいと言ったこともあったけど、その度に母親から反対され、最近は断絶状態だったと聞いています」(芸能関係者)>

   彼の子供の頃の母親の様子も、「春馬くんの母親は、土浦の風俗店に勤務していて、仕事の終わりに通うほどホストクラブに入れあげていた」(古くから一家を知る親族)と異なっている。

   母親が三浦にベッタリと離れなかったのは事実のようで、親族が、「母親はいい年をした息子を"ハルちゃん"と呼んで溺愛していましたね。土浦の家を出た後は、春馬くんから住居用にと都内の高級マンションを買って貰った。(中略)春馬くんは自分が母親を支えたいと考える一方で、どこか負担になっていたのでは。実際、自殺した賃貸マンションは、家賃が10万~20万円台とスターらしくない物件で、相当節制していたと思います」。どちらの描く母親像が正しいのか、私には判断がつきかねるが、「母親は、訃報を知るや、すぐさま遺体の元に駆け付けた」(文春)という記述を見る限り、母親にも死をほのめかしてはいなかったようである。

   やはり新潮で、某テレビ局のプロデューサーが、気持ちの浮き沈みが激しい俳優で、テンションが下がっている日は、なかなか撮影が始められず、カメラが回っていても反応が鈍く、扱いに困ることがあったと話している。ある芸能関係者も、4年ほど前に「事務所を辞めたい」と漏らしていて、その頃から飲酒量が増えていったという。

   三浦にサーフィンを教え、親交を深めていた卯都木睦(53)も、三浦が酒を飲んでいるので、????ったことがあったと語っている。サーフィンには熱心で、一昨年の元日から2日続けて、茨城の海でサーフィンを楽しんだことがあったそうだ。だが、三浦が父のように思っていた卯都木にも、「サーフィンの相談は受けたけど、プライベートの悩みを打ち明けてくることはなかった」という。

   卯都木は三浦の死をこう見ている。「この自殺も泥酔するくらいイヤなことがあって、突発的にやったんじゃないかって。そうでないと、普段の春馬なら考えられない。春馬はすごくポジティブな人間だったから」

   多くの女性たちと出逢い、別れてきた。最後に、30歳で結婚したいといっていた三浦春馬が出会ってしまった逢魔時。脳裏に浮かんだのは母親の顔か、それとも茨城の海だったのだろうか。

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、 『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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