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「どうする家康」マメ知識 今川氏真を襲った渦巻く策謀 「バカ殿だから没落」説を見直す
<歴史好きYouTuberの視点>

   NHK大河ドラマ「どうする家康」。次回2月26日(2023年)放送回は「第8回 三河一揆でどうする!」です。登録者数14万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、今週原稿で最も熱く語りたい「マメ知識」は?(ネタバレあり)

  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」提供
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受難の始まり

   いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。

   『どうする家康』が何倍も面白くなる歴史知識をご紹介します。

   今回のテーマは、家康にとって最初のライバル、今川氏真の苦労と没落への道です。

   桶狭間の戦いで父・義元を失った直後、松平元康(以下、家康で表記)に裏切られた氏真ですが、氏真を裏切ったのは元康だけではありませんでした。

   永禄5年(1562)、井伊谷の国衆・井伊直親が家康との内通が疑われ、氏真によって誅殺されました。この出来事は、2017年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』でも描かれ、記憶に新しいです。

   しかし、直親の死については確実な史料がなく、本当に家康と内通していたのか?氏真は直親誅殺を命じたのか?詳しいことはわかっていません。

   もし事実なら、この直親の離反が、のちに「遠州忩(そう)劇」と呼ばれる氏真の受難の始まりとなります。

   翌年には、引間城主・飯尾連龍(お田鶴の方の夫)が裏切り、岡部元信を攻撃。さらに天野氏や奥山氏といった天竜川沿いの国衆たちが次々と謀反を起こしました。

   天野氏や奥山氏は討伐され、飯尾連龍も一度は赦免されますが、のちに駿府城へ呼び出され処刑されたと言われています。

   さらに二俣城の松井氏や、御一家衆(一門衆)の堀越氏など、この頃の今川を裏切る勢力は枚挙にいとまがありません。

同盟相手の北条を助けるために...

   かつては、氏真が放蕩に明け暮れたバカ殿だったため、愛想をつかしてみんなが裏切ったかのように説明されてきましたが、決してそのような理由ではなく、それぞれが自身の利益を優先した結果とされています。当然、徳川家康や、武田信玄からの誘引があったことも原因のひとつです。

   さらに、この頃の氏真を悩ませるのは国衆の裏切りだけではありませんでした。

   上杉謙信の襲来です。

   上杉謙信は、小田原の北条氏康を討伐するため、はるばる山を越えて関東へ攻め込んできていました。

   氏真は、父を失い裏切り者が続出するという状況の中でも、同盟相手の北条を助けるために関東へ出兵していました。

   律儀にもほどがあると思いますが、これは後の家康との戦いに備えて、北条氏を見捨てることはできないと判断したからでしょう。しかし、想定以上に家康の動きが早く、北条に援軍を頼む前に、事態は最悪の状況となってしまったのです。

   遠州忩(そう)劇による混乱をなんとか治め、三河こそ失ったものの、遠江・駿河の領国経営に力を注いでいた氏真ですが、突如として最悪の敵が現れます。

   三国同盟の一角、武田信玄です。

   今川義元が桶狭間の戦いで敗死したのち、織田信長の養女と信玄の四男・勝頼が結婚。織田家と武田家は同盟関係を結びました。

武田家との同盟関係の変化

   これに反発したのが、信玄嫡男の義信です。義信の妻は今川氏真の妹であり、義信にとって、織田信長は妻の仇になるわけです。そんな織田家と同盟を結んだ父・信玄に対し、義信は謀反を企てます。しかし、この企ては失敗し、義信は幽閉されてしまいます。

   当然、氏真もこの信玄の行動に不信感を抱き、有名な塩止めを行っています。(のちに上杉謙信が武田に塩を送り、「敵に塩を送る」という慣用句が生まれます)

   北条氏康の仲立ちなどもあって、なんとか同盟関係を維持していた武田と今川ですが、武田義信が自害したことで、ついに氏真は武田との手切れを決意します。

   氏真は上杉謙信に同盟を求め、信玄に対抗しようとします。

   ところが、謙信は武田の領国である信濃へ侵攻せず、越中へ進軍します。この時の謙信にとっては、越中で起きていた騒乱を鎮めるほうが優先だったのでしょう。

   謙信が越中に進軍したことで、後顧の憂いが無くなった信玄は、ついに三国同盟を破棄して駿河へ侵攻しました。

   実は、信玄も徳川家康と密約を交わし、今川を挟み撃ちにする算段がついていたのです。

   本気になった武田信玄に、氏真はなすすべもなく、西からは徳川家康に挟み撃ちにされ、戦国大名としての今川氏はここに終わりを迎えました。

   今川氏の没落は、単に氏真が無能だったからではなく、さまざまな策謀が渦巻いた結果の敗北だったのです。

   さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!

   (追記:参考文献など)今回の参考文献は、『今川氏滅亡』(大石泰史著、角川選書)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。

   <第7回解説動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>


++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2022年冬には登録者数が13万人を突破した。22年12月には『家康日記』(エクシア出版)を公刊。