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「20世紀型ジャーナリスト」が没落するワケ

   先日、ある経済ジャーナリストの新刊を読んでビックリした。なんというか、ものすごく退屈なのだ。

   いや、別にそんな本は珍しくもないのだが、僕個人は90年代にはその人のファンで、本も何冊か読んでいたので驚いた。ボケるような年でもないし、間違ったことを書いているわけでもない。ただ単純に、退屈なのだ。

人材価値の大きな基準にならなくなった「情報量」

   実は、ここにはとても重要な変化が影響している。一言でいえば、変わったのは書き手の側ではなくて、読み手の側だろう。

   従来、人材価値の大きな基準として情報量というものがあった。ところがITの普及で誰でも膨大なデータベースが利用可能となり、物知りというだけでは必ずしも評価されない時代となってしまった。

   前出の先生はその典型で、彼の並べる多ジャンルでグローバルな情報はグーグル経由で今や高校生でも入手可能になっている。90年代と同じように世界の政治経済ネタを書いても、田舎のお婆ちゃんくらいにしか尊敬されない。要するに社会全体のリテラシーが上がったわけだ。そりゃ雑誌も新聞も売れなくなるはずだ。

   では、変わってどういった基準が全面に出てくるのか。当然そういった外部情報の山の中から必要なものを引っ張り出し、「これはこうやって使いましょうね」と提示してみせる論理力だろう。それが企業向けだとソリューションやコンサルになり、本や雑誌なら独自の見解や展望ということになる。

   ちなみに、この価値観の変化は人材という面でも見られるものだ。採用時に学歴不問という大企業が増え、東大はようやく05年に就職課を立ち上げた。言われたことはコツコツやれるが、何をやってよいのかわかりませんという人は、なかなか企業も採ってくれない。学歴とは、しょせんは過去の情報量の証明書でしかない。

   たぶん、これから10年のうちに、新聞や雑誌といったメディアは再編期を迎え、力関係は激変するだろう。同時に、それを手に取る人間の側でも勝ち負けといった序列は様変わりしているはずだ。

城 繁幸