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海外アジアの人たちは、私たちの敵ではない 現地に行くことで変わる意識

「グローバル化で、日本は貧しくなる!」
「アジアの人たちは、日本人から仕事を奪っている!」

   そんな言葉で恐怖を煽る人たちがいます。確かに国際社会における日本の位置づけが変わることで、既得権を奪われる人がいることは否定できません。

   しかし、日本がどう変わるべきなのかを自分たちの頭で考えれば、私たちの未来は必ずしも暗いとは限りません。よりよい未来を描くためにも、海外に出て現地の様子を自分の目で見ることには、大きな意味があると思います。それによって、いまの意識が思わぬ形で変わるかもしれません。

ジャカルタにも一人ひとりの人間が生活している

津波の凄まじさを物語る南三陸町防災庁舎。震災後21か月を過ぎても周辺広範囲ががれきの山
津波の凄まじさを物語る南三陸町防災庁舎。震災後21か月を過ぎても周辺広範囲ががれきの山

   いま、海外アジアを敵視している人たちは、まるで宇宙人が我々を侵略し、何かを盗んでいったように考えているのかもしれません。

   しかし、例えばインドネシアのジャカルタに行ってみると、そこに生きる人たちの様子を目にすることができます。それまで貧しい生活をしていた新興国の国民たちが、彼らなりに頑張って新しい仕事を手に入れ、お金を稼ぎ、そのお金で新しい車を買って喜んでいます。

   それはまるで、私たち日本人の50年前の様子のようです。JKT48のコンサートに行ったり、資生堂の化粧品を奪い合うように買う人たちがいます。超高級ショッピングモールでお手伝いさんを3人従えて、高級ブランドショップを闊歩するマダムもいます。

   その一方で、小さな古い雑貨屋で味の素や整髪料を一回分ずつ買っている庶民もいます。「インドネシア」「ジャカルタ」でひとくくりにできない、一人ひとりの人間がいます。

   テレビやネット、本だけで情報を得ていると、そういうシンプルな現実を忘れてしまいがちですが、現地に行くことで認識が大きく変わることが多いものです。

   絵空事だった遠い土地のことが、実際に人が住んでいる場所に変換される。そうすることで、自分の住んでいる土地との直接比較ができるようになり、その土地の希望も絶望もリアルに感じられるのです。

   この「現地に行って自分の目で見て、自分の頭で考える」ことの大事さを、先日、東日本大震災の被災地となった宮城県を訪れたときに、あらためて思い出しました。

東北の被災地も東南アジアも「7時間」あれば行ける

   深夜、東京から車を走らせて7時間。遅まきながら訪れた東北の地にあったのは、想像以上の世界でした。鉄骨だけ残った庁舎、地上に打ち上げられた巨大な船舶、住宅の残骸、何もない原っぱ――。

   恥ずかしながら、テレビや写真で見ていた光景が実在するものだと実感した瞬間です。津波で押し流された一帯と道を一本隔てたところに、無傷の住宅地があります。テレビカメラでは、そういう「まだら」な様子をすべてカバーすることはできません。

   これは、ジャカルタをどう捉えるかにも似ています。ピカピカのスポットの脇に、昔ながらの古い長屋が軒を並べている。「これがジャカルタだ」と一部を分かりやすく切り取っても、それですべてを言い表すことはできないのです。

   被災地にも、広大ながれきの山のそばに、そこで困ってうずくまっている人、何とか店を開いて経営している人、何もないところに新しいものを作り出そうと希望を持って立ち向かっている人など、さまざまな人たちがいます。そんな様子を見ると、自然と「自分に何かできないか」「こんな関わり方ならできそうだ」という思いが起こってきます。

   ふと考えると、東南アジアの各都市は、成田から飛行機で7時間くらいで行けます。決して短い時間ではありませんが、なんとかすれば誰もが捻出できる時間ではないでしょうか。

   東北の被災地もジャカルタも、一度訪れてみることで「想像上の遠い場所」から「自分たちと同じ人間が生活している街」と認識が変わります。そうすれば、その後のニュースの見え方も変わってきますよ。(森山たつを)