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広報担当者が直面する「経営者からの恫喝」 「どこから給料をもらっていると…」

   広報セクションを取り上げた小説は、『広報室沈黙す』(1984年、高杉良)が有名である。実在大手損保をモデルに、広報の立場から巨大企業の不祥事を描き、いまでも広報関係者を中心に読み継がれている。最近では、警察発表に真実はあるのかを問う『64(ロクヨン)』(横山秀夫)、航空自衛隊の広報を題材とした『空飛ぶ広報室』(有川浩)などがある。

   広報は、社会に開かれた窓であり、窓は大きいほうがいい。また、せっかく窓を開いていても、建物のドアを閉ざしていては、情報発信ができないし、外からの新鮮な空気も入ってこない。組織は淀みがちであり、時に社会の論理やお客様の満足度よりも社内の論理を優先してしまう。窓を担当する広報はもちろん、それ以上に重要なのは、経営トップが社内のドアと窓を社会に向けて開放するという指示を明確に出すことである。広報関連の小説は、そのことを教えてくれる。

「(社会と社内の間で)股裂きに遭う」

   社会に向けて窓を開くのは、大企業よりも中堅・中小企業のほうがたやすい。経営トップがそれを率先垂範し、皆が従うように指示すれば、それですむ。優先順位は「社会と顧客」である。ところが、広報担当者の多くが「どこから給料をもらっていると思っているのか」という恫喝を経営トップ・幹部から受けている。例えば、不良品を販売してしまった場合、広報担当者は社会と顧客への迷惑を最小限にとどめるため、事実と原因、今後の対策を発表しようとする。

   これに対して、経営トップ・幹部がもみ消しに動き、広報担当者に発する言葉が「どこから給料を……」である。こうしたケースで、広報担当者は「(社会と社内の間で)股裂きに遭う」とも言う。また、広報担当者が社内を粘り強く説得すれば、発表するにせよ、しないにせよ、経営トップ・幹部との間にしこりが残り、冷や飯を食わされる。経営トップ・幹部が広報の重要さを理解してくれないと、広報は因果な商売となる。

   かつて、三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)の岸暁頭取は、役員でなくても広報部長を取締役会に同席させ、意見を述べさせていた。「銀行の中で社会に開かれた窓口は広報なのだから、広報の意見が極めて重要」との考えからだ。三菱銀行が受けたバブル経済の痛手が比較的軽微だったのは、このようなトップがいたからだろう。一方、同じころ別の大銀行の頭取は、全国銀行協会連合会(全銀協)会長会見で失言をしてしまった。

経営トップが率先垂範し「社会と顧客に向き合うこと」を優先する

   この銀行の広報部長は、頭取に対し「公式会見での発言を、広報部長が取り消すことはできない」と話し、頭取自らが会見に出席したメディアに1社1社電話をかけて、訂正をした。この広報部長は後日、飛ばされた。この銀行は、バブルで痛手を被った。池井戸潤の半沢直樹シリーズのようなことが銀行にはある。

   話をもとに戻そう。中堅・中小企業はいま、総じて厳しい経営環境の中にある。だから、なおさら初心に帰って「社会やお客様に対して何ができるか」を見つめ直すべきなのではないかと思う。その時に、併せて情報戦略の一環として対外的な窓である広報を考えていただきたい。

   先に不祥事の例を挙げたが、中堅・中小企業の広報活動は商品・サービスを中心に前向きなテーマがほとんどであり、中堅・中小企業にこそ広報は必要と言える。むしろ、ライバル企業に差をつける切り札にさえなり得る。その際、大切なのは、経営トップが社会と顧客に向き合うことを優先するリーダーシップを発揮し、率先垂範することである。(管野吉信)