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「親子間」事業継承はナゼもめるのか 解決の糸口はこんな所にあった

   大手家具販売の大塚家具で起きたお家騒動が話題になっています。創業者の父と、後継者の長女が、販売戦略のあり方を巡って真っ向から対立。社長の座が二転三転する騒動となり、結末の行方はともかく企業としてのイメージダウンが懸念されています。オーナー企業における親子間の事業承継は、規模の大小を問わず譲る側にとっても譲られる側にとっても、悩みのタネになることの多い問題です。

   全国規模で消費者向けサービスチェーンを展開するC社。創業者であるK氏は、終戦復興の時代に思い立って事業を立ち上げ、高度成長の波と代理店方式の導入などによって一代で現在の規模にまで育て上げた立志伝中の人物です。事業が安定期に入って以降は、創業時から社長の片腕として側近を務めてきたJ副社長が実質運営指揮を執ってきましたが、K氏は70歳になったのを機に自らは会長職に退き長男のY氏に社長の座を譲りました。

若社長派VS古株副社長派

親子の絆とは言うけれど・・・
親子の絆とは言うけれど・・・

   Y氏は、大学を出ると大手企業で5年をすごした後にC社に入社。30代前半で取締役に就任し、その後常務、専務と順調に昇格していきました。そして、40代半ばでの社長就任。先代から社長就任を突然告げられ、馴れない社長業に身をゆだねながら、実質会長の院政状態の下で会社は運営されていきました。

   この社長人事を快く思っていなかったのはJ副社長です。自分が創業から先代を支え近年では実質トップを務めてきただけに、事業に関する知識や経験は誰にも負けない、Y若社長などとは比べ物にならないという自負がありました。それと同時に、例え創業者の子息であろうとも若造に自分の上に立たれるのはおもしろくないとも思っていたようです。

   一方のY若社長。本業で先代のやり方を越えていくのは到底不可能と思ったのでしょうか、それとも目の上のたんこぶと厄介なお目付け役がいる状況下で、自身の社長としての存在感を社内に示さなくてはと焦ったのでしょうか。大企業で学んだマーケティング理論をもとに異業種との提携による業務分野の拡大を、会長、副社長の反対を受けながらも社長の一存でこれを押し切ってぶち上げたのです。

   新規事業は、詰めの甘さがあったことと時期尚早という感も強く、ほどなく頓挫します。事態は会長と社長の親子喧嘩に発展し、同時に会長の下に一枚岩だった社内は若社長派と副社長派に割れるかの如く不協和音が聞かれるようになり、落ち着きのない状態に陥ってしまいました。この状況に好機到来とばかりにJ副社長は、会長に対して社長に新規事業失敗の責任を取らせるべきとY若社長解任を迫ったのです。同時に自身を社長にせよとの要望も添えた上のことでした。

突然、会長が病に倒れる

   会長は追い込まれ悩みました。なぜ息子が本業を大切にせずに事業分野の拡大に走ってしまったのだろうか、若社長の求心力はもはやゼロに等しいのではないか。さらには副社長に社長の座を明け渡したら息子は二度と社長には返り咲けないのではないか、いやもしかすると副社長に会社ごと乗っ取られるかもしれない。そうかと言って副社長の要望を飲まなければ、副社長一派が反旗を翻し会社運営そのものが危機的状況になるのではないか・・・

   そんな悩み事が重たくのしかかってしまったからなのでしょう。会長は突然、病に倒れてしまいます。一時は生命も危ぶまれる重病でした。なんとか一命を取り止めたものの現場復帰はもはや望むべくもなく、長期療養が必要な状況になってしまったのです。

   社内はしばらく混乱が続きました。一時期はこのまま崩壊かと思われたものの次第に落ち着きを取り戻し、創業者不在の状況下でY若社長を中心に団結して窮地を乗り切ろうというムードが高まっていったのです。J副社長もこの流れを察知し、「番頭さん」としての本来の役割に戻っての協力姿勢に転じたと言います。一体、何が起きたのでしょうか。

   後に副社長はこう話していました。「会長が倒れられて、若社長は変わられた」と。お見舞いにうかがった際に、そのあたりのいきさつを会長からうかがうことができました。 「私が倒れて入院すると、Yは毎日のように見舞いに来てくれました。そして『あれを教えてくれ』『これはどう考えたらいいのか』と尋ねてくる。私も毎日1時間ぐらいずつ、がんばって一生懸命話をしました。2、3か月も続けるうちに当社の魂を伝えきれたような気がして、むしろ倒れて良かったかなと。もっと早くにやるべきだったと、反省もしました」

「温故知新」の精神

   親子経営者は、親子関係であるが故に他人同士とは異なり、なぜか経営者としてのコミュニケーションが不足するのです。先代は見て学べと無言の圧力をかけ、後継は先代を敵視しそれとは違うやり方で自己を顕示したがる。そんなおかしな流れ故に、身内への経営トップの座の承継がなぜか難しくなってしまうケースは間々目にするところです。

   それから3年、K会長は創業50周年を見届けて亡くなりました。葬儀では、喪主を務めたY社長の挨拶に胸を打たれました。

「私は勝手に経営者としての父をライバル視し、病に倒れるまで父に学ぶ姿勢はありませんでした。しかし病床の父とたくさん話をして、事業継続に必要なことは父と子が協力して作り上げる『温故知新』の精神であると理解しました。会長、ありがとうございました」

   「故きを温ねて、新しきを知る」。新旧どちらが欠けても事業承継はうまくないのです。同族企業の事業承継になくてはならないものを実感させられた、見事なご挨拶でした。以来、父子の事業承継前の経営者としての緊密なコミュニケーションこそが、帝王学と言われる後継教育そのものなのだと私は思っています。(大関暁夫)