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ソニーを狂わせたのは「米国型経営」なのか

   復活の道を模索するソニーに対し「米国型経営から脱却し、モノ作りの原点に帰れ」的なことを言う人たちがいる。どうやら、モノ作りの重要性を忘れて米国式の利益追求型にシフトしたことが今日の低迷の理由ということらしい。


   本当にソニーを狂わせたのは米国型経営なのだろうか。以前のようなモノ作り重視に戻せば、本当にソニーは復活できるのだろうか。いい機会なのでまとめておこう。

モノ作り重視でも株主重視でもないソニー

問題は、「アメリカ型」なのか
問題は、「アメリカ型」なのか

   まず、現状のソニーがどういう組織かを見てみよう。四季報によればソニーの従業員平均年齢は42.5歳、しかも報道によれば4割が管理職という相当にいびつな構成となっている。もうこの時点でこの会社が『米国型経営』でも何でもないことは明らかだ。


   かといって、モノ作り重視でもないと筆者は考える。ちょっと想像してみてほしい。部員10人の部署があったとして、部長1人、担当部長1人、課長2人と部下が6人ほど在籍しているのがソニーの平均的職場像だが、これで「自由闊達なモノ作り」が行えるだろうか?


   プレイヤー6人に対して、管理する側は4人もいる。しかも、人件費で見れば管理する側の方が上回っているはず。「現場の技術者が大事にされ、自由闊達に業務に取り組んでいる姿」とは程遠い様子が目に浮かぶのは筆者だけだろうか。


   今のソニーは、確かに往年のモノ作り重視経営ではなくなっているけれども、かといって米国型経営ほど合理的でもなく、むしろ両方の悪い所がミックスされてしまっているということだ。

かつて米国がたどった道

   意外に知られていないが、実はアメリカの大手電機メーカーもかつては長期雇用をベースとし、日本企業に近いカルチャーを持っていた。だが1980年代以降、日本の電機メーカーとの競合に晒される中、GEやIBMといった大手メーカーは徹底したコスト管理と10万人規模のリストラにより、今日の復活の基礎を築いている。


   恐らく、ソニーの歴代の経営陣も、ウェルチやガースナーと同じ道を進もうとはしたのだろう。でも、出来なかった。ちょうど先日行われた出井・元CEOのインタビューは、その点を率直に認めたものだろう。

「国の規制も障害になった。日本は従業員を(事実上)解雇できない国だ。(企業が業態を)変えていくことが法律で想定されていない」
(時事通信社「社内不一致で変われず=出井伸之・元ソニー社長」<2015年5月15日配信>より)

   要するに、ソニーを狂わせたのは米国型経営ではなく、むしろ米国型経営の不徹底が原因だということだ。


   終身雇用という形で大企業に国民の生活の面倒を見させれば、表面上、社会は安定しているようには見える。大企業に入れなかった人たちはどうするかって?あなたが右なら「勉強しなかったんだから自己責任」、左巻きなら「終身雇用を守れない中小企業経営陣が悪い、連合と一緒に連帯しよう」なんて言い訳で適当にごまかしておけば済む話。実際、そうやって臭いものには蓋をしつつ、(現役世代向けとしては)きわめて貧弱で安上がりな社会保障制度のまま、日本社会は回り続けている。


   でも、それは企業から活力という最も大事なものを徐々に奪い、やがて経済の停滞という形で、国民全体に大きなツケをもたらすことになるというのが、かねてからの筆者の持論だ。ソニーという企業はその象徴かもしれない。


   最後に、ソニーの今後について記しておこう。ソニーが「活力のある現場」を取り戻すには、膨れ上がった管理職を減らし、年功に関係無しに挑戦できるような仕組みを作るしかない。筆者の感覚でいうと、管理職はせいぜい2割、出来れば1割程度にし、その分、役割給やボーナスとして序列に関わらず分配する仕組みが望ましい。


   そしてそれは、同社が既に昨(2014)年に発表している「年功序列の廃止と職務給への一本化」と見事に合致するものだ。それが間に合うかどうかは分からないけれども、同社が進むべき道の一端に立っていることは間違いない。


   たぶん、これからもメディアや一部OBは、「脱アメリカ型、原点回帰」の流れでベテラン優遇や終身雇用を推すだろうが、ソニーには気にせずどんどん先に進むことをおススメしたい。(城繁幸)