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追悼・藤原伊織さん 「博打の借金」から生まれた直木賞

   昨夜(5月16日)、奥さんから「あと2日間」というようなメッセージを留守電にもらい、驚いた。今朝一番で駆けつけるのに、手ぶらでは拙いと花屋に作らせたアレンジメントが30分もかかったうえ、都営浅草線のダイヤの乱れで予定より40分遅れて、10時39分に五反田NTT病院に着いた。

   教えられた10A13号室に入ろうとすると、中年の看護婦が飛んでくる。「患者さんがどういう状態かご存知ですか?」と詰問する。事情を話すと彼女は「待ちなさい」と中に入る。悪い予感。奥さんが泣きはらした顔で出て来て、「主人は10時14分に息を引き取りました」と。

もう「藤原の文学」は読めないのか

   藤原伊織(本名・利一)の身体は肋骨が露わにやせ衰え、いつものような蟷螂(かまきり)みたいな顔も頬はこけ、口をあんぐりと開けて優しい顔をしている。「藤原!」と言って額に触るとまだ暖かい。今にもむっくり起き上がりそうな気配。涙が思わず頬を伝わる。もう藤原の文学は読めないのか。

   31年前、電通にいた藤原は大阪から東京へ転勤になり、筆者の営業部に部員として加わった。以来、大酒を飲み、文学を語り、映画を議論して過ごした仲だ。

   最初に会った時から酒とギャンブルの好きな男だった。酒を飲むと間もなく眠り化石状態になるので、誰かが川崎の自宅までタクシーで送って行かなければならなかった。だから誰でも藤原宅は知っているし、何よりもインターセクションを降りた近くの交番がしょっちゅう尋ねられるので藤原宅までの順路を暗記していて、直ぐ教えてくれた。

   ギャンブルは凄く、マージャンはレイトが高くて仲間うちでは付き合いきれず、プロと打っていた。CMの撮影でエジプトへ送り出したら、そこにカジノがあったらしく、CM制作費をプロダクションから前借りして何百万円もつぎ込み、スッカラカンになって帰国したのを怒ったことがある。ギャンブルの借金がかさんで川崎の家を売り、賃貸のアパートに移ったが、負けは更に込んでいたようだ。

「1000万円を返さなければ命を取られる」

   私がアメリカ電通でNYにいる時に電話がかかって来た。どうしても10月までに 1000万円を返さなければ命を取られる。江戸川乱歩賞が賞金1000万円で、それを取る自信はある。ついてはNYの地理、曲がりくねった交通事故の多そうな道路や5番街の様相などを教えてくれと。それが「テロリストのパラソル」になり、見事乱歩賞を取った。

   NYから帰った翌年の春、突然今晩付き合ってくれと言う。心細いから新宿のバーで直木賞の発表を待つのだが仲間がいる、と。「お受けします」と電話で頭を下げていた藤原の姿を今でも思い出す。

   昨年の秋、病院から電話があった。「ウチのカミさんには言わないで欲しいが、もう少し経ったらオランダに一緒に行ってくれないか」と。「苦しんで死ぬのは嫌だ。人間は尊厳死を保つべきだ。オランダは唯一尊厳死を認める国だから、英語が出来るあなたとカミさんと3人で旅立ちたい」。

   奥さんはそのことを知らなかったようだが、聞くと苦しまず静かに亡くなったと言う。確かに死に顔は安らかだった。

松島恵介(「365日映画コラム」担当)