J-CAST ニュース ビジネス & メディアウォッチ
閉じる

F1撤退にスポーツカー断念 「決断も変わり身も早い」ホンダ

   トヨタ自動車がF1から2009年限りで撤退することを決めた。08年のホンダに続くトヨタの離脱により日本メーカーは姿を消すことになる。21世紀に入り自動車最高峰レースでの対決と騒がれたトヨタとホンダ。しかし欧州勢の厚い壁に阻まれて頂点に立ったのは06年雨中のハンガリーグランプリでのホンダ1度のみに終わった。結局同じ結論に至った両社だが、その過程には「決断も変わり身も早いホンダ」「従来の判断からの連続性を尊重し重厚なトヨタ」というそれぞれの企業文化がよく表れていた。

   トヨタの豊田章男社長は09年11月4日の会見で、 「6月に社長に就任して以来、商品を軸とした経営に重点を置きたいと申し上げてきた。今はこれらのことに会社のリソーセス(経営資源)をできるかぎりシフトすべきであると考え、まことに残念ながらF1を続けることができなくなった」 と撤退理由を説明した。

ホンダ撤退の際、トヨタも終了を議論

   トヨタ幹部によると08年12月、ホンダが撤退発表した際にトヨタも参戦終了を議論したが、できるだけコストダウンして続けることを決めたという。ホンダの関係者は「予想はしていた。1年間は様子を見たが経営環境が好転しなかったのでやめることにしたのでは」と話す。

   会見で悔し涙を隠さなかったホンダの福井威夫社長(当時)は 「経済情勢のことだけでなく自動車産業は次の100年に向けた新しい時代に入った。F1に注いできたような情熱を新しい時代に注ぐべきだ」 と語った。捲土重来を目指し、空力を磨き上げた戦闘力の高いマシンを準備していたことは09年シーズンに後継チームのブラウンGPがチャンピオンになったことで証明されたが、「誰よりも悔しかったはず」と言われた福井社長自身がF1をやめハイブリッド車など環境車開発に集中することを決断した。「判断が1年遅れれば3、4年のギャップになる」とも述べた。

両社の判断に違いが際立つスーパースポーツカー

   もっとも、トヨタのF1参戦は02年でホンダ(第3期)の1年遅れで ともに同じ8年間をF1に費やしたことになる。社内テストドライバーの最高位S2を持ち、レース参戦経験もある豊田社長は「モータースポーツを文化として育てたいと、チームはコスト削減にありとあらゆる手を尽くしてくれた」と振り返ったが「社長になり立場が変わった」と語り、「味わいのある車をつくりお客さまに1台1台を大事に届けて喜んでいただきたい」と顧客に直接届ける商品開発に注力する考えを強調した。隣ではF1チーム代表の山科忠専務が涙に暮れていた。

   F1撤退時期以上に両社の判断に違いが際立ったのがスーパースポーツカーの商品化だ。ホンダはアキュラの頂点として進めていた「NSX」後継のV10エンジン車の開発を断念。小型車とハイブリッド車に集中することを宣言した。対してトヨタは東京モーターショーでV10・560PSのレクサス「LFA」を10年に世界限定500台で発売すると発表した。価格は3750万円。ホンダの近藤広一副社長が「トヨタさんもホンダもそう違った経営をするわけじゃない」というように、実は似た動きをとることも多いとはいえ、今後も随所で判断の違いが表れそうだ。