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【置き去りにされた被災地を歩く】第3回・栃木県那須町
風評払拭めざし「正しい情報発信」  農家と連携、食と観光の「安全」もPR

   東京電力福島第1原子力発電所の事故による放射能の拡散は、東日本の観光産業に大きな打撃を与えた。高線量の観光地では訪問客が激減し、行楽シーズンでも閑散とする光景が報じられることもあった。

   原発から100キロほど離れた栃木県那須町でも、震災後にやや高い放射線量が検出され、観光客が大きく減少した。1度広まった「放射能イメージ」の風評を払拭するのは容易ではない。震災から1年が過ぎても人気復活の処方箋を見つけるための苦闘が続いている。

原発事故で集客は前年の6、7割にとどまる

「那須の観光地としてのありかたが試されている」と連日解決策を模索している茅野さん
「那須の観光地としてのありかたが試されている」と連日解決策を模索している茅野さん

   東京駅から東北新幹線で1時間15分ほど。皇室の御用邸もある那須高原は、都心からアクセスしやすい立地の、自然豊かな行楽地だ。美しい里山の風景、高原ならではのさわやかな気候で夏場は人気を集めてきた。

   記者が那須高原を訪れたのは2012年3月中旬。シーズンオフのためか人出は少なかったが、それでも温泉を楽しむ浴衣姿の観光客や、大型バスでやってきた団体客の姿をちらほら見かけた。

   ペンション「エルハレオ」を経営する茅野健さんは、那須観光協会の副会長も務める。営業17年目となるペンションだが、2011年は原発事故の影響で、集客面で過去に例を見ない大苦戦となった。前年の2010年と比べて6~7割と大きく落ち込んだ。那須全体でも、1年で100万人以上の減少になったという。

   震災直後、茅野さんは積極的に東北の被災者支援で動いた。福島県いわき市や郡山市から自主避難していた人たちを一時ペンションに受け入れたのだ。2011年3、4月を中心に、その数「のべ100人ほど」に上る。ちょうど計画停電が実施され、営業の継続には苦労の連続だったが、ゴールデンウィークを迎えると利用者数は前年並みとなり、影響は最小限で食い止められたと茅野さんも思っていた。

   ところが「かきいれ時」の夏場、事態は一変した。予約が入らず、問い合わせの連絡も来ない。夏の旅行シーズンに入る直前に、一部の週刊誌が「那須は放射能の線量が高くて危険だ』と伝えたのだ。「一気に雲行きが怪しくなりました」と茅野さん。

   記事では、放射能の線量計を持った記者たちが各地をめぐって放射線量を計測し、高い数値を示している写真が掲載された。「那須は危ない」という趣旨の見出しがあり、センセーショナルに伝えられた印象をもったと、茅野さんは悔しそうな表情を浮かべる。

   「エルハレオ」を訪れる人の8割は個人客で、家族連れが多かった。しかし原発事故後は子どもを心配する親たちが敬遠した。首都圏からの訪問者も、目に見えて減ってしまった。年配の客は比較的足を運んできていたので、少しでも集客アップにつなげようと客層のターゲットを絞ったPR活動を展開し、値下げやお土産つきプランをつくったが、「効果は秋以降まで続きしませんでした」。

「風評被害のせい」と嘆くだけでいいのか

高原の自然に加えて、温泉も楽しめる那須
高原の自然に加えて、温泉も楽しめる那須

   那須町はウェブサイト上で、地表から50センチの高さで測定した放射線量を公表している。町内30か所の2012年3月8日時点の数値を見ると、もっとも高い場所で1時間当たり0.69マイクロシーベルト、もっとも低いのは同0.10マイクロシーベルトで、場所によって開きがある。例えば都心の渋谷区や新宿区では地表1メートルの高さでの直近の測定値が、いずれも0.1マイクロシーベルト以下となっている。高さ5センチの場所でも数値はほとんど変わらない。都心と比較すると確かに、那須町の方がやや高線量だ。

   当初に比べ、線量の値が下がっているとはいえ、「すぐに訪問客を呼び戻せる妙案は、正直思い浮かばない」と茅野さんはため息をつく。安全性をアピールしようと、除染作業に精を出すグループもいる。

   ただ冷静に考えてみると、「これを単に『風評被害のせい』と嘆くだけでいいのか」との疑問も頭をもたげてきた。那須の豊かな観光資源のおかげで、シーズンになれば黙っていても客は集まった。それだけに、これまで集客のための努力を怠っていなかっただろうか――。危機的な状況に陥っている今だからこそ、「那須の観光地としてのあり方が試されているのではないかと思うのです」と茅野さんは話す。

   まず、地元の同業者間の連携強化に動き出した。那須町にはペンションが約150軒あるが、これまでは複数のグループに分かれて活動していたという。新たに那須観光協会が「受け皿」のような形となり、すべての事業者の力を結集した「那須復活」のムーブメントづくりに動き出した。

   とはいえ、放射能対策の考え方は同業者の間でもさまざまで、全体の方針を決めるのも簡単なことではない。それでも「まずあらゆる意見を聞き取り、議論し合っていくことが解決への第一歩だと信じています」と茅野さんは強調する。「今こそ5年、10年先を見据えた態勢づくりをしなければなりません」。

胸張って「大丈夫」とアピールしたい

   協会は2011年10月、地元のNPOなどとともに「那須元気プロモーション協議会」を結成。観光や農業に従事する人たちが、食と観光の安全をアピールするために力を合わせ、交流サイト「フェイスブック」やブログで情報を発信している。キャラバンを組んで、外部にも積極的に出向く。試験的に観光と農業を結びつけるような取り組みも、アイデアとして出てきた。那須へ来る動機づけとして、農業体験をしてもらおうというのだ。実体験を通して「那須の食材は安全」ということを分かってほしいのだという。

   茅野さん自身、ペンションを経営するうえで食の安全を観光客に「保証」しなければならない。もちろん、契約する農家では線量を計測し、人体に影響がないとされる野菜や果物を仕入れている。それでも「大丈夫だろうか」と心配する客はいるだろう。「一気に安心を回復させる特効薬はありません。とにかく私たちは、正しい情報を誠実に出し続けること。本当に安全であれば、胸を張って『大丈夫』とアピールしたいです」。

   震災から1年が過ぎ、「被災地に行って元気づけよう、応援しよう」という機運が高まっていると茅野さんは感じているという。

「ただ今は、東北道で那須を通過して東北の方に向かう人が多い。東北へ行く前に那須へ立ち寄ってもらうためにどうすべきか、さらに我々は知恵を絞って行動しなければなりません」