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原発作業員に「私は残れとは言えない」 細野氏は「政治家菅」をなぜこれほど絶賛するのか

   細野豪志原発事故担当相が、福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)のヒヤリングに対して、菅直人前首相の判断について「日本を救った」と高く評価していたことが明らかになった。自分と比較しながら、政治家としての菅氏をほめまくっている。

   この発言は、いわゆる「撤退問題」に関連して政府と東京電力が統合対策本部を設置した経緯に関係するものだが、別の事故調は菅氏の判断を「今回の事例を普遍的な先例とするべきではない」としており、評価が分かれている。

ヒヤリング内容はPDFファイル28ページに及ぶ

菅前首相の判断が「日本を救ったと今でも思っています」と述べていたことが明らかになった細野豪志原発事故担当相(2011年4月撮影)
菅前首相の判断が「日本を救ったと今でも思っています」と述べていたことが明らかになった細野豪志原発事故担当相(2011年4月撮影)

   民間事故調は2012年7月24日夜、原発事故当時は首相補佐官だった細野氏に対して行ったヒヤリングの内容をウェブサイトに公開した。細野氏以外に、菅氏、枝野幸男経済産業相、海江田万里前経産相、福山哲郎元官房副長官へのヒヤリング内容も公開されている。

   細野氏へのヒヤリングは11年11月19日に行われ、その分量は、PDFファイルで28ページにも及ぶ。

   11年3月14日深夜から15日にかけて、東京電力が福島第1原発から全滅撤退の意向を持っていると首相官邸が受け止めたことから(東電は一貫して「全面撤退」の申し出を否定)、菅氏が清水正孝社長(当時)を官邸に呼び「撤退はあり得ない」などと通告。早朝になって菅氏は東京・内幸町の東電本店に乗り込み、東電幹部を「逃げてみたって逃げられないぞ」などと叱責した。直後に政府と東電による統合対策本部が立ち上がったが、法的根拠のあいまいさが指摘されている。

「本当に私はその判断には驚きました」

   細野氏の発言で注目されているのは、この統合対策本部が立ち上がるまでの経緯についてだ。統合対策本部が立ち上がった経緯について、細野氏は、

「これは総理の、もう個人判断です。本当に私はその判断には驚きました」

と、菅氏の独断だったことを明かしている。その上で、

「私は菅直人という政治家の生存本能というか生命力ってすさまじいものがあると思っていて、この局面で我が国が生き残るためには何をしなければならないのかということについての判断は、これはもう本当にすさまじい嗅覚のある人だという風に思っているんですね」

と、この判断を評価。

「東電に乗り込んで、法律には書いてないかも知れないけれども、そこでやるしかないんだという判断は、私は日本を救ったと今でも思っています」

とまで述べている。また、

「菅政権の歴史的な評価というのは、まだ片がついていない」

とも述べた。

「私は、『残れ』と言うことに関してはちゅうちょしました」

   一方、細野氏自身は、

「ここで残れということは、彼ら(作業員)が命の危機にさらされるかもしれないと思うわけです。私は、『残れ』と言うことに関してはちゅうちょしました。言えないかなと」

と、かなり迷いがあった様子だ。

   実は、細野氏が絶賛した一連の菅氏の判断をめぐっては、評価が割れている。上記の細野氏へのヒヤリング結果などをもとに作成された民間事故調の最終報告書では

「一定の効果があったものと評価される」

との記述があるが、7月23日に発表された政府事故調の報告書では、

「福島第一原発についての情報アクセスの改善という面では積極的に評価をすることも可能であるが、政府の対応に必要な情報は必ずしも東京電力に係る情報のみではない上、東京に本社本店のない他の電力会社の原子力発電所において同様の事故が発生する場合もあり得ることから、今回の事例を普遍的な先例とするべきではない」

と、消極的な評価にとどまっている。7月5日に発表された国会事故調の報告書は、さらに手厳しい。

「ベント、海水注入などの東電自身が対処すべき事項に関与し続けながら、一転して、東電社長の『撤退は考えておりません』という一言で発電所の事故収束を東電に任せ、他方で、統合対策本部を設置してまで介入を続けた官邸の姿勢は、理解困難である」

と、官邸の対応がブレたことを批判している。さらに、「撤退問題」については、

「当初から全員の撤退は考えていなかったものと認められ、上記の菅総理の行動によって、東電の全員撤退が回避された、という事実は認められない」

と、東電側に軍配を上げている。細野氏の「日本を救った」発言を真っ向から否定している形だ。