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国際バレエ入賞者の父は「狩人」 「僕の血の影響があるのかな」

   スイス・ローザンヌで開かれたバレエコンクールで、日本人が1位と2位を独占し、さらに6位入賞も果たした。6位の加藤三希央さんの父、久仁彦さんは兄弟デュオ「狩人」として今も活動を続ける。代表曲「あずさ2号」と聞けば、懐かしく感じる人は少なくないだろう。

   息子の快挙を喜んだ父だが、自身のこれまでの道のりは、決して平たんではなかった。「狩人」は一度解散し、歌手以外の道も模索していた。

デビュー曲「あずさ2号」がいきなり爆発的なヒット

   加藤三希央さんは現在、モナコにある王立グレースバレエアカデミーに所属する。母は元ダンサーでバレエ教室のコーチを務め、兄と妹もバレエを学んだ。本人は5歳で習い始め、2010年には全日本バレエコンクールのジュニア部門で優勝した。

   2014年2月3日放送の「朝ズバッ!」(TBS系)では、父・久仁彦さんも登場した。「狩人」として活動する現役の歌手だ。愛息の国際大会6位入賞の報に、「バレエ評論家が以前『音楽的なセンスもないとダメ』と言っていた。その方面は、僕の血の影響があるのかな」とうれしそうに感想を述べていた。

   三希央さんは18歳での快挙となったが、久仁彦さんが弟・高道さんと「狩人」としてデビューしたのは1977年、20歳そこそこの年齢だった。デビュー曲「あずさ2号」がいきなり爆発的なヒットとなり、日本レコード大賞新人賞に輝いた。その後数曲は好調に売れたが、人気は徐々に下降線をたどる。それでも「狩人」の活動は継続し、1994年からはテレビ番組「THE夜もヒッパレ」(日本テレビ系)で準レギュラーとして2002年まで出演していた。

   ただ「狩人」での兄弟仲は、常に良好というわけではなかったようだ。弟の高道さんは2011年11月24日付の読売新聞の記事で「兄弟、仲が悪くもよくもない。普通ですけど、練習も、話し合いもしない」と当時を振り返っている。2012年7月19日付の日刊スポーツは、デビュー当時からふたりともソロ志向が強く、考え方の違いも多々あり、仕事の直前まで口論するなど兄弟げんかが絶えなかったと明かしている。2007年を最後に、「狩人」は解散した。

   その後、久仁彦さんはソロミュージシャンとして歩む傍ら、俳優業に進出してミュージカルに出演、2008年にはボクサーとして「リングデビュー」を果たした。「あずさ2号」で売れた当時のようにテレビにひっぱりだこというわけではないが、地道ながら芸能界で活動を続けていたのだ。

実家のある福島を応援したいと再結成

   久仁彦さんは現在、東京で単身赴任状態。妻の実家は福島県で、息子の三希央さんは福島市内の有名バレエスクールで技を磨いてきた。2011年3月11日の東日本大震災では、家族は無事だったが、東京電力福島第1原発の事故は地元に大きな衝撃をもたらした。米ニューヨークで開かれる国際大会に出場する予定だった三希央さんだが、「家族を置いていけない」と断念したという。

   震災は、久仁彦さんの心境にも変化をもたらした。福島には実家があり、2006年に「狩人」として最後に出したシングルは福島県を歌った曲だった。地元を応援したいとの気持ちが強まり、2012年の「狩人再結成」につながったそうだ。2014年に入ってからも、複数の歌手とともに1月17日、小田原市でコンサートを開催。以後、1月だけで関東地方5か所の会場でコンサートを行うなど精力的に活動している。