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高橋洋一の自民党ウォッチ
「集団的自衛権」世論調査、各社にバラつき 「質問の言葉」定義が適切なのは産経・読売

   集団的自衛権の行使容認の賛否で世論調査結果がばらついている。産経「7割が集団的自衛権を容認」、読売「集団的自衛権、行使容認71%」、朝日「今国会で憲法解釈変更『不要』68%」、毎日「集団的自衛権 憲法解釈変更…反対56%」。

   これらは無作為抽出であるが、集団的自衛権の定義、今の憲法解釈ではできないことを強調するかどうか、限定的な行使を設問に含めるかそれとも二者択一にするかによって、結果は左右される。

産経・読売は「反撃」、朝日・毎日は「戦う」

   集団的自衛権については、産経「米国など日本と密接な関係にある国が武力攻撃を受けたとき、日本に対する攻撃とみなして一緒に反撃する権利」、読売「日本と密接な関係にある国が攻撃を受けたとき、日本への攻撃とみなして反撃する権利」、朝日「アメリカのような同盟国が攻撃された時に、日本が攻撃されていなくても、日本への攻撃とみなして、一緒に戦う権利」、毎日「同盟関係にある米国などが武力攻撃を受けた時、日本に対する攻撃とみなして一緒に戦う権利」と表現している。産経・読売では「密接な関係」、「反撃」となっているが、朝日・毎日では「同盟」、「戦う」と表現が違っている。ただし、「日本への攻撃とみなして」は共通だ。

   今の憲法解釈で行使できないことは、産経・読売は強調せず、朝日・毎日は強調する。設問については、産経・読売は、限定的な行使を含めているが、朝日・毎日は含めず二者択一だ。

   こうしてみると、国民がまだ十分に集団的自衛権を理解していないことが浮き彫りになる。

   集団的自衛権について、そもそも論から説き起こしたほうがいい。国際法では、国家間の個別的・集団的自衛権は国内の個人間の正当防衛と同じだ。ちなみに、英語では自衛も正当防衛もともに「self defence」だ。

限定的行使が当たり前

   刑法36条をみれば、「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」(第1項)と、他人を守ることも含まれている。これは世界共通だ。この他人を他国と置き換えれば集団的自衛権である。もちろん、個別的・集団的を問わず、自衛といってもあくまで正当防衛で、過剰防衛になっていけなのと同じように、いろいろな制約がある。

   この観点から、報道各社の集団的自衛権の定義をみると、産経・読売の「反撃」のほうが適切だ。

   次に、日本の憲法解釈として、集団的自衛権を行使できないとしてきた点について、事実としては正しい。ただし、戦争放棄の憲法は日本だけでない。日本国憲法第9条は、1928年の「戦争放棄に関する条約」に由来しており、同条約は戦後の世界各国で憲法に影響を与え、韓国、フィリピン、ドイツ、イタリアの憲法でも戦争否認されている。しかし、これらの国で集団的自衛権を行使できないという話はなく、日本だけの特異なことだ。とすれば、これまで憲法解釈が誤ってきたともいえるので、誤ったことを強調するのはどうか。なお、朝日・毎日のように、集団的自衛権で「戦う」と表現するのは、日本を含めて戦争否認の国において、適切でない。

   また、集団的自衛権を「他人に対する正当防衛」と考えれば、限定的行使が当たり前である。むしろ、限定的行使をわざわざ言わざるをえない現状の方が、問題である。それだけ、集団的自衛権=戦争という誤った理解がいかに多いかを示している。

   ただ一つ、「日本への攻撃とみなして」は各社共通で、正しい。しかし、この点については、公明党は「個別的自衛権の延長で対応可能」と主張しており、矛盾していることを各社は見逃している。というのは、公明党は、自国が攻撃されたと見なして、個別的自衛権の行使であって、集団的自衛権でないというロジックだ。これは、各社の定義によっても「集団的自衛権の行使」以外の何者でもない。公明党のロジックは、「私は女です、しかし男です」というのと同じだろう。


++ 高橋洋一プロフィール
高橋洋一(たかはし よういち) 元内閣参事官、現「政策工房」会長
1955年生まれ。80年に大蔵省に入省、2005年から総務大臣補佐官、06年からは内閣参事官(総理補佐官補)も務めた。07年、いわゆる「埋蔵金」を指摘し注目された。08年に退官。10年から嘉悦大学教授。著書に「財投改革の経済学」(東洋経済新報社)、「さらば財務省!」(講談社)など。