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「そうか、あかんか」認知症母殺人心中未遂 息子「後追い自殺」報道にネット「心が痛い」と衝撃

   社会に衝撃を与えた、いわゆる「京都認知症母殺害心中未遂事件」で執行猶予判決を受けた男性が、その後「自殺していた」と報じられた。

   介護制度や生活保護をはじめとする日本の社会福祉のあり方に大きな課題を突き付けたこの事件。その悲劇的な結末に、ネットユーザーから「悲しすぎる」「心が痛い」といった声が数多く寄せられている。

  • 男性が飛び降りたとされる琵琶湖大橋
    男性が飛び降りたとされる琵琶湖大橋
  • 男性が飛び降りたとされる琵琶湖大橋

「お母さんのためにも幸せに生きて」と裁判官

   事件は2006年2月1日に起こった。京都市伏見区で、10年近く前から認知症を患う母親(当時86歳)を1人で介護していた男性(当時54歳)が、母の首を絞めて殺害。自分も包丁で首を切り、自殺を図った。

   事件の背景にあったのは、セーフティーネットからの「脱落」だ。男性は母の症状が進行して退職せざるを得なくなった時、介護と両立できる仕事は見つからなかった。親族に援助を求められず、失業保険の給付も止まった。デイケア費や家賃の支払いが不可能となり、ついに心中を決意した。

   同年7月の京都地裁判決で男性は、市内の福祉事務所へ生活保護の相談に3回訪れたにもかかわらず失業保険を理由に認められず、助言も得られなかったと告白。当時の裁判官はその過酷な境遇に共感したのか、「恨みなどを抱かず、厳罰も望んでいないと推察される。自力で更生し、母親の冥福を祈らせることが相当」として懲役2年6か月、執行猶予3年(求刑懲役3年)という異例の「温情判決」を下した。さらに、「お母さんのためにも幸せに生きていくよう努力して」と声をかけた。

   そんな男性の悲劇的な「その後」が報じられたのは、事件からおよそ10年を迎えようとしていた2016年1月5日。同日付け毎日新聞によると、14年8月、滋賀県大津市の琵琶湖周辺で投身自殺したというのだ。裁判後、男性は同県草津市の家賃約2万2000円のアパートに1人で暮らしながら、木材会社で働いていた。しかし13年2月、「会社をクビになった」と親族に伝えたのを最後に、音信不通となった。

亡くなる際に持っていたのは、数百円の所持金と「へその緒」

   毎日によると、親族が警察に行方不明者届を出したが、結局、14年8月1日に滋賀県内で遺体で見つかった。その日の朝、男性とみられる人物が琵琶湖大橋から湖へ飛び降りるのを目撃した人がいたという。亡くなる際に身に着けていたカバンには、数百円の所持金とともに自分と母親のへその緒、「一緒に焼いて欲しい」と書かれたメモが入っていた。

   こうした後日談が報じられると、ツイッターには

「マジかよ悲しすぎるだろ...」
「やるせなさすぎる」
「心が痛い」

と悲しみの声が相次いで寄せられた。

   男性は本当に自ら命を絶ったのか。2006年の事件を担当した弁護士に取材したところ、続けていた手紙のやりとりが途絶えており、消息は分からないと語った。また、京都府警や滋賀県警、草津市役所にも問い合わせたが、いずれも「こちらでは自殺かどうか把握していない」との回答だった。

   ここまで大きな反響がネットに集まる理由は、06年4月の初公判の冒頭陳述で検察側が語ったエピソードにある。男性は心中を決意した同年1月31日、「最後の親孝行」として車椅子の母と京都市内を観光。そして、翌2月1日早朝、桂川河川敷の遊歩道で「もう生きられへん。ここで終わりやで」と母に告げた。母が「そうか、あかんか。一緒やで」と返すと、男性は「すまんな」と謝り、額を母の額にくっつけた。その後、「わしの子や。わしがやったる」という母の言葉を合図に男性は母の殺害に踏み切った、という。

   この冒頭陳述のやり取りが「コピペ」されて、事件以後もSNSや掲示板サイト、まとめサイトなどに貼られ続けた結果、男性の身の上がネット上で強い印象を残すことになっていた。