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「国際化」羽田が成田を滅ぼす? 空港の棲み分け、可能なのか

   羽田空港の国際線の発着枠を増やすため、東京都心を低空で通過して離着陸する飛行ルートが新たに設定される見通しとなったことで、改めて成田空港との棲み分けが問題になっている。国土交通省は、東京五輪・パラリンピックが開催される2020年までに羽田の国際線枠を拡大し、訪日外国人客の増加につなげる考えだが、本来、首都圏の国際空港は成田空港のはず。国交省が近年進める羽田国際化の加速路線の行きつく先は?

   最近の国交省は羽田と成田を合わせて「首都圏空港」などと呼ぶので、一般の利用者にはわかりにくい。国交省としては、羽田を国内線と国際線の拠点空港とし、成田は海外の利用者が乗り継ぎに利用するほか、格安航空会社(LCC)の拠点空港として整備する方針のようだ。果たして思惑通りうまく行くのだろうか。

  • 「国際化」する羽田空港
    「国際化」する羽田空港
  • 「国際化」する羽田空港

2014年に羽田空港国際線ターミナルを拡張

   歴史的経緯を振り返ると、戦後の高度経済成長で羽田空港は発着枠が一杯になったほか、騒音問題が大きく、国際線は成田に移管することになり、1978年に成田空港が開港した。しかし、成田空港は「強引な空港づくりの一面」(国交省)から反対運動が起き、滑走路が1本の「片肺」状態が長く続いた。2本目の暫定平行滑走路(2180メートル)の供用開始は2002年、この平行滑走路を北側に延伸し、2500メートルのB滑走路として供用を開始したのはやっと2009年のことで、空港整備が大幅に遅れた。この間、成田空港は「日本に乗り入れたい」と名乗りを上げた航空会社を断らざるを得なかった。

   これに対して、羽田空港は騒音対策から東京湾への沖合展開が進んだ。2010年10月にはD滑走路が供用開始となり、発着枠が約7万回増え、このうち6万回を国際線に割り当てたことが大きな転換点となった。D滑走路の供用開始で、1978年に成田空港に国際線を移管して以来、初めて国際定期便が羽田に戻ったのだ。

   2010年当初、羽田空港の国際線は昼間のアジア近距離路線が中心で、夜間に限り、どこでも飛べることになっていた。成田空港は騒音対策のため、深夜・早朝に飛べないため、羽田で補完する位置づけだった。ところが2014年3月に羽田空港国際線ターミナルを拡張し、羽田の発着枠が3万回増えたことをきっかけに、羽田からどこへ飛んでもよいことになった。相手国との航空交渉が必要だが、羽田が文字通り国際空港として脚光を浴びることになったのだ。

日本の航空政策の矛盾

   国交省としては、羽田は引き続き、国内線の基幹空港としての機能を残しつつ、国際線では「高需要ビジネス路線」を担う空港を目指していくという。成田は北米とアジアを結ぶ乗り継ぎ需要とLCC、貨物需要を担う空港を目指す。成田は、例えばシンガポールから北米に向かう外国人が乗り継ぎの中継地として利用するケースが多い。それは成田に国際定期路線が集中し、乗り継ぎやすいからだ。

   従って、羽田は日本人が国内線と国際線の乗り継ぎで使い、成田は外国人が乗り継ぎで使うイメージとなる。もちろん日本人でもLCCを利用する人は羽田よりも成田を使うことになる。

   しかし、東京都心を低空で通過して離着陸する飛行ルートの設定で羽田の発着枠が増えるほど、成田の需要が減るのではないか。国交省が主張するように成田を外国人利用者の乗り継ぎ空港とするのであれば、日本の利用者にとって成田の存在は薄れていくだろう。羽田の利便性が高まるほど国際線が羽田に集中し、外国人の乗り継ぎも、いずれ羽田になるのではないか。日本の航空政策はそんな矛盾を抱えている。