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横綱・稀勢の里めぐり牛久と竜ケ崎のガチンコ 「こちらが出身地」で二つの市民栄誉賞

   横綱・稀勢の里の「出身地」を巡り負けられない戦いが話題になっている。茨城県の龍ヶ崎市は2017年1月25日、稀勢の里に市民栄誉賞の授与を決め、牛久市も27日夜にも授与を決める。

   相撲協会は横綱の出身地を牛久と登録していて市民を挙げての応援となっているが、横綱昇進を決定付けた1月22日の千秋楽でのNHKの中継は龍ヶ崎市からで、出身の中学校に集まった市民の大歓声を映していた。

  • 牛久市と龍ヶ崎市はHP上で稀勢の里の応援合戦を繰り広げる(写真は牛久市HP)
    牛久市と龍ヶ崎市はHP上で稀勢の里の応援合戦を繰り広げる(写真は牛久市HP)
  • 牛久市と龍ヶ崎市はHP上で稀勢の里の応援合戦を繰り広げる(写真は牛久市HP)
  • 牛久市と龍ヶ崎市はHP上で稀勢の里の応援合戦を繰り広げる(写真は龍ヶ崎市HP)

生まれは兵庫県芦屋市

   どうして横綱は「2つの出身地」を持っているのか。牛久市HPに掲載されているプロフィールによれば、1986年7月3日に兵庫県芦屋市で生まれた横綱は、2歳のときから龍ケ崎市に住み、同市立の松葉小学校、長山中学校を卒業した。牛久市に転入したのは中学2年の時で、02年2月に鳴戸部屋(千葉県松戸市)に入門した。入門時に牛久に住んでいたことで、日本相撲協会は牛久市出身として登録している。

   一方、牛久市と龍ヶ崎市は隣接している。龍ヶ崎市民にとっては横綱が住んでいた期間は圧倒的に長く、幼馴染や学友、恩師などはこちらに集中しているため、本来ならこちらが真の出身地だと思っている。中学を卒業してすぐに入門したとはいえ、牛久市には両親が住んでいる。帰省の場所であり「横綱が戻ってくるとすれば牛久しかない」と市民は愛情を注いでいる。傍から見るとどうでもいい話のようだが、両市にとっては真剣そのものだ。

   龍ヶ崎市は横綱を「龍ケ崎育ち 松葉小・長山中出身 稀勢の里」と応援してきた。出身中学校には12年に設置された「稀勢の里資料室」があり、中学時代の写真や卒業文集のコピー、全身パネルのぼり、などが飾られていて、市内のショッピングセンターなどに出張展示もしている。また、本場所のパブリックビューイングも行われ、大勢の市民が集まり応援しているのだ。

   かたや、公式の出身地である牛久市は、大きな後援会を持っていて、17年2月9日に横綱は昇進の報告のため市役所を表敬訪問し、2月18日にはJR牛久駅東口けやき通りで、横綱昇進を祝うパレードが行われる予定だ。

   そうした2つの市がちょっとしたバトルの様相を呈したのは市民栄誉賞の授与だ。龍ヶ崎市は早々と25日に決定した。市にとってこの賞は初授与となる。あわてたのは牛久市だ。

「お互い協力して盛り上げて行きましょうという思いです」

   龍ヶ崎市に先を越されるのは想定外だったようだ。牛久市はもともと、27日に審査委員会を開催し30日にも授与を決める予定だった。それが急きょ、27日の審査委員会後の夜にも決定することになった。龍ヶ崎市の総合政策部は17年1月27日にJ-CASTニュースの取材に対し、

「我々の方が早く栄誉賞授与に動いた結果だと自負しています」

と、横綱愛を強調した。一方、後れを取った形の牛久市の秘書課は、

「当方の審査委員会組織が大きいから時間がかかっただけであり、授与に関しては『かねてから』市長の頭の中に存在した」

と、一歩も譲らない。ネット上では「稀勢の里の出身地の奪い合い」などと揶揄されていることについて、龍ヶ崎市の総合政策部では、

「市民栄誉賞の情報交換はありませんでしたが、ライバルというよりは、お互い協力して盛り上げて行きましょうという思いです」

と話していた。牛久市の秘書課も似たような考えだった。

「うちだけが応援するよりも、2つの町が応援しているという事はそれだけ活気が出るため、いいことだと思います」