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ネットで新聞はこう読まれる(後編)
『芸人式新聞の読み方』プチ鹿島さんインタビュー 
「オジサンの暴論」が本質を突いている

   「時事芸人」のプチ鹿島さんに聞く「ネット時代の新聞の読まれ方」。インタビュー後編では、ネットユーザーが新聞記事を読む際の「心構え」について聞く。

   鹿島さんいわく、「オジサンの暴論」は案外本質を突いていて、美談や陰謀論がはびこりがちなネットで大事にするべきはむしろ「やじうま精神」だという。

  • 「時事芸人」のプチ鹿島さん
    「時事芸人」のプチ鹿島さん
  • 「時事芸人」のプチ鹿島さん

現代人は「お笑いウルトラクイズ」状態

――最近、入手した情報にすぐ白黒つけたがる風潮が強くなってきたように感じます。新聞を読み比べれば、それを防ぐリテラシーも身につくのでしょうか。

鹿島 リテラシーという言葉って、僕はなんだかくすぐったいんです。「やじうま精神」「やじうま根性」程度でちょうどいいように思います。
本当のやじうまやゴシップ好きは1つの情報で満足せず、色々な人に真偽を確認します。これ、カッコよく言えば「裏を取っている」ということ。
そこまでカッコよくなくてもいいので、色々な人に聞きまわる、色々な記事を読むのは大事ですよね。YESでもNOでもなく真ん中で立ち止まり、キョロキョロ周りを見渡すことも必要でしょう。
昔、バラエティ番組の「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」(日本テレビ系、1989年~1996年放送)で東京ドームに集まった参加者が「YES」「NO」と書かれたブースに向かって一斉に駆け出すシーンがありました。
真ん中で立ち止まって考えてもいいんだけど、すぐどちらかに駆け寄らなきゃいけない。今、みんなそれに囚われすぎているような気がします。YESの意見を聞き、NOの意見も聞き、どちらに行くか決めればいいんです。
「こいつが言っているから、朝日・産経が書いているから、俺は逆」「中身は読んでないけど信じない」というスタンスより、よほどいいですよね。

――本書でも触れられた写真週刊誌「FLASH」の発売中止騒動(編集部注:2014年9月8日、光文社が翌9日発売の「FLASH」について、「一部記事に不備がありました」として発売中止を公式サイトで発表した一件。公開されていた当該号の目次を参考に、人気番組の「反原発」ディレクターが自殺したことを報じる記事が問題視されたためでは、との憶測がネットで飛び交った)は、反原発派からすると「言論封殺」に見えたようですね。

鹿島 陰謀論って、たいてい「この記事、この情報を流すと誰が得をするのか」という問いかけで始まるんです。
僕は陰謀論が大好きです。ただ、陰謀論を純粋に信じるのと、「こういう説があるか、どれどれ」という読み方では、全然立ち位置が違いますよね。

ネット発の「いい話」を受け入れる前に

――本書の「オッサンの熱い暴論を復権させよう」「グレーなものは、グレーなままで良い」というスタンスは、ネットで新聞記事に触れる際、大事な気がします。

鹿島 グレーゾーンって、絶対にあると思っています。100%悪人も、100%善人もいませんし、「真実」も本当にあるのか分かりません。結局、「真実らしきもの」を多角的な視点から探っていくしかないんですよね。1つの席から見える景色で「これが真実」と言い張るのは危なくて、それはただの盲信です。

――「真実」を追い求める行為と表裏一体なのが、「美談」に対するネットの反応です。マスコミの「美談」は批判される一方、ネット発の「いい話」は案外受け入れられています。

鹿島 ヘイトスピーチと美談は、どちらも「言いっぱなしでいい」という点で同じです。とくに美談のウソには被害者がいないので、なかなか止められません。
佐村河内守さんの騒動のとき、「NHKが騙された」というネットの批判に僕は乗っかれませんでした。佐村河内さんについては、NHKが取り上げる前からなんとなく知っていただけで、あえて俯瞰しませんでした。耳も聞こえない、目も見えないのに、作曲才能はある。ツッコミどころがなさすぎて、目をそらしてしまったんです。
そんなとき、昔だったら、街のオジサンが「佐村河内ってどんなやつだ? あれ、聴こえてんじゃねぇか?」と指摘しました。で、それが意外と本質を突いている。それこそ、(ビート)たけしさんみたいな。
でも今は、「あれ、聴こえてんじゃねぇか?」と指摘するのもダメな雰囲気でしょう。

――「美談」を持ち上げる人を疑うと反発されがちです。

鹿島 佐村河内さんをずっとウォッチして、「本当に聴こえているのか?」と指摘する。そういう熱のこもった「うかつさ」はあっていいと思うんです。みんなが牽制しあって、何も言えない状況に風穴を開けるのは熱いオジサンしかいません。悪い例というか、それをうまく利用したのがドナルド・トランプなんですが。
オジサンはたとえば、魚屋さん、八百屋さん、とそれぞれの職場で何十年と人を見続け、自分なりの「信用できる・できない」の判断基準を持っています。
その究極が床屋政談です。町内会のオジサンが集まり、繰り広げる人物品評会。政策ではなく、「あの政治家は胡散臭い」「言っていることを信用できない」ということをなんとなく語り合います。そんな表面的な人物品評会は、意識の高い人にバカにされがちですが、案外本質を突いているものです。
同じ政策を掲げた政治家をジャッジする場合、最終的な判断基準は「人柄」です。それはネットの情報を追うだけでは編み出せない。だから、毎日朝から晩まで働いて、色々な人間を見てきたオジサンなりの「生活の知恵」を見習うべき部分があるんです。 僕らはどうしても頭でっかちになりがちです。もちろん、オジサンに全乗りするのはダメですが、「愛のあるうかつな言葉」が役に立つときもあります。
世の中って、ぼんやりしていて、うかつです。「このことについて言ったり、触れたりするのはやめておこう」となれば、言論は発達しません。

今楽しむべき時事ネタ

――そういう思いに至ったのは、新聞記事に対するネットユーザーの反応を見たからでしょうか。

鹿島 それもありますね。ツイッターを始めて7~8年ほど経ちますが、ツイッターの「世論」とリアルの世論は絶対違います。
ちょうど石原(慎太郎)都知事の時代。石原さんが都知事選に出たとき、SNSは石原批判で盛り上がった一方、ふたを開けてみると開票1分で「当確」が出ました。
そのとき、「これは何だろう」と思ったんです。ツイッターでは情報に敏感な人の意見を聞けます。でも、「うかつなオジサン」の声も聞いた方がバランスを取れるな、と感じました。
自分の見たいもの、知りたいものしか受け入れないのは、自分に自信があるからです。僕は自信のないタイプなので、色々な人に意見を聞こう、色々な新聞を読もう、という気になります。もしかしたら(自分は)間違っているかもしれない。その感覚を忘れない方がいいです。

――そんな鹿島さんがオススメする、「今ウォッチするべき時事ネタ」はありますか。

鹿島 「加計学園」(編集部注:岡山市の学校法人)のネタでしょうか。現状、まさに1~2か月前の森友学園ネタに近い。東京新聞は今、「こちら特報部」のコーナーでいち早く報じていますが、まだ各紙で報じ方にばらつきがあります。今楽しむにはもってこいでしょう。
加計学園のネタを「報じないことに憤る」のではなく、「他社が報じるタイミングはいつか」を見ておきましょう。

プチ鹿島氏 プロフィール

1970年長野県生まれ。大阪芸術大放送学科を卒業後、大川興業に所属 。お笑いコンビ「俺のバカ」での活動を経て、フリーとなる。2012年からオフィス北野所属。スポーツからカルチャー、政治まで幅広いジャンルの時事ネタを得意とする「時事芸人」としてラジオ、雑誌を中心に活躍している。
著書に『教養としてのプロレス』『東京ポッド許可局』(共著) がある。