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高橋洋一の霞ヶ関ウォッチ
「共謀罪」を統計学の視点でみると... トレードオフ理解し極論は避けよ

   組織犯罪処罰法改正案が2017年5月23日に衆院を通過し、参院に送られた。同法案で新設される「組織的な犯罪の共謀」が、いわゆる共謀罪である。自民、公明、維新は、法案の一部を維新による提案(取り調べの可視化やGPS捜査の制度化への検討)によって修正したので賛成の立場である。一方、民進、共産などは強硬に反対している。

   共謀というのは英語で「conspiracy」と言うくらいであるので、海外にも存在する概念である。それを罰する法制度があるのが通例だ。ところが、日本ではなかったので創ろう、というのがそもそもの発端だ。ただし、日本では初めてなので過去の政権が手こずった難問だ。

  • 「共謀罪」を統計学の視点でみると…
    「共謀罪」を統計学の視点でみると…
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「あわてんぼうの誤り」と「ぼんやりの誤り」

   反対派の言い分は、「一般人が対象になり得る」「警察などの捜査権限が拡大し、公権力による監視が強まる」という。一方、賛成派は「そうした懸念はわかるので、その弊害を少なくして、海外並に共謀を罰する法制度を創ろう」という主張である。

   この両者の言い分を聞いていて、筆者は統計学の有名な話を思い出した。「第一種の過誤」と「第二種の過誤」である。

   ここで、統計学の小難しい話をしても無駄なので、共謀罪に即して考えてみよう。「第一種の過誤」とは、一般人を冤罪逮捕するミスである。これは、「あわてんぼうの誤り」ともいわれている。警察が何か証拠をつかんで、あわてて逮捕してみたら、犯罪に無関係な人だったというわけだ。

   「第二種の過誤」とは、テロリストを取り逃すというミスだ。これは、「ぼんやりの誤り」といい、警察がうかつにもテロリストを見逃してしまうのだ。

   刑法では、刑事訴訟法336条「被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない」と、「疑わしきは罰せず」の原則がある。これは、「第一種の過誤」、つまり「あわてんぼうの誤り」をしないように戒めている。

   しかし、最近ではテロ事件も世界各国で多く、「第二種の過誤」つまり「ぼんやりの誤り」も無視できず、重要になっている。

両者のバランスを確保し、両者のリスクを減少させることが必要

   統計学では、何もしない前提では、「第一種の過誤」と「第二種の過誤」はトレードオフ(二律背反)の関係で、「第一種の過誤」を小さくしようとすると、残念なことに「第二種の過誤」が大きくなってしまう。

   これは、共謀罪の議論の時にも出てくる。共謀罪の反対論者は、特別な対策なしを前提として、テロリストを取り逃すというミスを小さくしようとすると、一般人を冤罪逮捕するミスが大きくなるという。

   一方、共謀罪のまじめな賛成論者は、一般人の冤罪逮捕もテロリストの取り逃がしの両方のリスクを減少させるように、種々の対策を提案する。その一つが、維新のような、取り調べの可視化やGPS捜査の制度化である。取り調べの可視化は一般人を冤罪逮捕するリスクを減少させるし、GPS捜査の制度化はテロリストの取り逃がしリスクを減少させる。

   ちなみに、共謀罪反対論者のいうように、何ら対策もなしに、一般人の冤罪逮捕のリスクをゼロにしようとすれば、統計学的な帰結としては、テロリスト取り逃しリスクが際限なく大きくなってしまう。これでは社会の安定を確保できないだろう。

   一般人の冤罪逮捕と、テロリストの取り逃がしの二つは、トレードオフ関係があることをきちんと認識して、両者のバランスを確保し、両者のリスクを減少させることが必要ではないか。そのためには、修正案の優劣で争うべきで、廃案は論外である。

   二つの間のトレードオフが理解できないと極論に走るのは、原発即ストップと同じ構造である。どうりで、極端な賛成と反対の論者の面子をみるとまったく同じなわけだ。


++ 高橋洋一プロフィール
高橋洋一(たかはし よういち) 元内閣参事官、現「政策工房」会長
1955年生まれ。80年に大蔵省に入省、2006年からは内閣参事官も務めた。07年、いわ ゆる「埋蔵金」を指摘し注目された。08年に退官。10年から嘉悦大学教授。著書に 「さらば財務省!」(講談社)、「図解ピケティ入門」(あさ出版)、「『年金問題』は嘘ばかり」(PHP新書)など。