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「これ、放送しちゃダメだったろ」 TBSドラフト特番、死にたかったと嘆く「指名漏れ」選手にスタジオ絶句

   2017年10月26日放送の「ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう」(TBS系)で、九州共立大の望月涼太選手(22)が特集された。そのエピソードが「あまりに重すぎる」とインターネット上で波紋を広げている。

   「死にたいと思うくらい、申し訳ないなって」。望月選手は番組VTRの中で、両親へのこんな「懺悔」を口にしていた。一体、彼と両親との間に何があったのか。そして、ドラフトの「結果」はどうなったのか。番組で生中継された、その一部始終とは......。

  • 「死にたかった」ドラフト候補選手が嘆いた理由は
    「死にたかった」ドラフト候補選手が嘆いた理由は
  • 「死にたかった」ドラフト候補選手が嘆いた理由は

「自分が野球をやってから、家の中がおかしくなった」

   望月選手は滋賀県出身の遊撃手で、大学通算110安打を記録したヒットメーカー。高校時代は通算32本塁打を記録するなど、パンチ力ある打撃も特徴。今年のドラフトでは、複数の社会人チームの誘いを断ってプロ志望届を提出していた。

   そんな望月選手の生い立ちを紹介したのが、ドラフト当日に放送されたTBS特番だった。特集のタイトルは、「野球が切り裂いた家族の絆 今夜、笑顔を取り戻す」。野球をきっかけに「崩壊」したという望月選手の家庭をクローズアップした内容だ。

   この特集VTRの冒頭で望月選手は、

「自分が野球をやってから、家の中がおかしくなった。死にたいと思うくらい、申し訳ないなって思っていました」

と懺悔の言葉を口に。その上で、家族がそろって写真を撮影したのは「15年前が最後」との情報も紹介された。

   いったい、望月選手の家庭に何があったのか。番組のVTRで特集されたエピソードは、次のような内容だった。

   幼い頃からプロ野球選手を目指していた望月選手は、小学4年生の時に周囲との「温度差」から少年野球チームを退団。そこで、建設会社を経営していた父に「毎日練習に付き合って欲しい」と頼んだ。

   息子からの真剣な願いに父は応えた。毎日2時間の朝練習に付き合い、会社も早退した。さらに、息子を高額な野球塾に通わせるなど、毎月10万円以上を望月選手のために費やした。

   当然、家計は苦しくなり母はパートへ。だが、それでも父は息子のサポートを優先した。あるときは、息子の練習のために85万円のバッティングマシーンを購入したというのだ。

部下の横領で父の会社は廃業に

   望月選手が中学生になると、親子の練習時間はさらに伸びた。父が会社を休んで練習に付き合い、経営を部下に任せることも多くなっていた。

   このとき、一家を揺るがす大事件が起きる。父が仕事を任せていた部下が、会社の建設資材を転売し、その金を持ち逃げしたのだ。被害額は数千万円に達し、父の会社は廃業を余儀なくされた。

   会社を失ったことで、望月家の生活は激変。日々の食費にも困るようになり、父と母が衝突することも多くなった。だがそれでも、父は「高校入学まで付きっ切りで練習を見たい」として、なかなか新たな仕事を始めなかった。

   徐々に崩壊する家庭に強く責任を感じていたという望月選手。番組の再現VTRでは、自分の部屋で一人号泣する望月選手に、妹が、

「やめなよ、野球。家族がここまでぐちゃぐちゃになってるのに。そこまでして続けるものなの、野球って?」

との言葉をかけるシーンも放送された。

   こうした状況について、望月選手は番組のインタビューの中で、

「泣いてるときは死にたいって思っていました。お父さんを見てても、お母さんを見てても前までは普通だったのに...。幸せな普通の家族。でも自分が野球をやってから、家族が無茶苦茶っていうかバラバラになった」

と悲壮な表情を浮かべて振り返る。その上で、「自分が何とかしないといけない。プロ野球選手になって、親を生活できるようにさせてあげたい」とも話していた。

ドラフトの結果は...

   その後、望月選手は中学を卒業し、奨学金で高校、大学へ進学。そして今年のドラフトで、ついに指名候補に名乗りを上げた。

   番組では、江藤愛アナウンサーが「望月選手、そして家族の夢はかなったんでしょうか」とコメントし、ドラフトの結果を紹介。だが――、望月選手の名前が会場で呼ばれることはなかった。

   番組MCの中居正広さんは、「えっ、全部もう、育成(指名)も終わったんですか」と呆然とした表情で一言。スタジオのゲスト全員が黙り込み、その中でも北斗晶さんは目に涙を浮かべていた。

   そして番組では、「指名漏れ」となった直後の望月選手との中継が始まった。現場の女性アナが「今回は残念な結果となりました」と声をかけると、望月選手は目を真っ赤にして「はい...」とだけ返答。現在の心境を尋ねられると、

「(5秒ほど言葉が出ず)あの...、ちょっと言葉が出てこないんですけど。力がなかったから呼ばれなかったと思うので。素直に受け止めて...、もう1度、プロを目指して頑張りたい」

と言葉に詰まりながらも答えていた。

   また、ドラフト指名を自宅で待っていた望月選手の家族にも中継が繋がり、母と妹が涙を流す姿が映し出された。コメントを求められた望月選手の父は、

「そうですね......。う~ん、退路を断ってプロ一本で挑戦してくれたことにね、本人の望む結果ではなかったと思いますけど、僕は親としてそこは評価してあげたいと思います」

と絞り出すように漏らしていた。

古田敦也のコメントが「唯一の救い」...

   こうした救いのない展開に、番組を見ていた視聴者はあ然。ツイッターやネット掲示板には、

「望月君の話重すぎるだろ...しかも指名されてないとかもう...」
「全国放送でこれは酷すぎる... 見てる側も虚しい」
「望月くんに救いはあるんだよな?彼に何の罪があるんだよ。親の功罪はあるかもしれないけどこんなのあんまりだ...」

との書き込みが相次いだ。そのほか、「これ、放送しちゃダメだったろ」「本人と家族のインタビューは残酷過ぎる」などと番組の姿勢を問題視する意見もあった。

   ただ、ゲストとして出演していた古田敦也氏のコメントが、「唯一の救いだった」という声も相次いでいた。

   望月選手とスタジオを中継した場面で、古田氏が「まさに僕と同じ境遇です」と声をかけたのだ。

   古田氏は1987年の立命館大学時代、ドラフト入りが確実視されながら指名漏れとなった過去がある。その後、社会人を経由してプロ入り。ヤクルト黄金期の捕手を務め、2005年には大学・社会人を経験した選手として初めて2000本安打を達成した。

   こうした経歴をもつ古田選手は、周囲からプロ入りを期待されながら指名漏れとなった望月選手に対し、

「僕も大学4年のとき、沢山の人に囲まれながら、指名されませんでした。今は悔しいとか恥ずかしいとか、色んな思いがあると思うんですけど、逆にその辛い思いがこれからあなたの力になって、人生を切り開いていくことになると思います。ぜひ、この先も頑張ってほしい」

とエール。中継が終わった後のスタジオでも、「強くなって、そのうちすぐに(ドラフトに)帰ってくると思います」と述べていた。