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加藤千洋の「天安門クロニクル」(3)
バラと戦車(下)夜、戒厳軍が発砲

   1989年6月3日の午後、ラジオニュースが何度か「天安門広場には決して近づかないように」と流していたのが、気にはなっていた。そろそろ約束をしていたAの家に行こうと、午後9時すぎ頃だったか、広場から自転車で長安街を西に行き、西単交差点で北上。デパートなど大型店舗が並ぶ西単大通りも通常の週末の夜の様子だった。それから細道に折れ、胡同にあるA宅に向かった。着いたのが午後10時前ごろだったか。それからベランダで缶ビールを飲んだことは前述の通りだ。

  • メモ帳に残っていた当夜、自転車で走ったコースの走り書き
    メモ帳に残っていた当夜、自転車で走ったコースの走り書き
  • メモ帳に残っていた当夜、自転車で走ったコースの走り書き
  • 天安門の裏側                                      

私の当日の行動記録

   では、戒厳軍の発砲を受けた群衆が、その西単大通りを懸命に逃げてくるのに出くわした後の私の行動を再現しておこう。

   メモ帳に走ったコースの手書きの地図が残っていた。後で自分の行動を思い出せるようと、走り書きしていたものだと思う。

【3日】
23:30 西単から東へ、東へと胡同をジグザグに走る。
23:55 故宮の南口の午門と天安門の間の南北の道に出る。息切れして小休止。
だが、こうしていてはいけない。天安門楼閣の下をくぐり、天安門広場が見える場所へ移動。

【4日】
0:05 目の前で障害物に乗り上げて立ち往生した装甲車が群衆に包囲され、火が放たれ炎上する。飛び出てきた兵士を群衆が袋叩きにし、逃げ惑う。救急車が来る。 
0:15 1時間前にいた西単方面が気になり、長安街を再び西へ。障害物がある道路はなかなか前へ進めない。
0:30 中南海付近は騒然とした雰囲気。何とか前進する。
0:40 六部口交差点で装甲車、戦車に対して群衆が阻止行動。レンガ片や石を投げるが、実弾発射で応戦されて逃げ惑う。私も電柱の陰に隠れ、さらに南の北京音楽堂方面に後退する。
0:50 これ以上は危険と感じ、南へ逃げる。人民大会堂西側の道を前門西大街へ。東へ向かい前門手前で再び長安街へ向けて北上。この時点では嵐の前の静けさだったのが不思議だ。
1:10 天安門付近に戻る。「戒厳軍出動、実弾発砲」の事態を東京に急報すべく、国際電話が使える場所へ行かねばならない。携帯電話はなかった。最寄りのKDDジャパンダイレクトが使える北京飯店に向かうが、周辺を公安関係者風の男たちが囲み、入場を拒む。
1:30 しばらくウロウロしたが、鋭い音を立てて銃弾が頭上をかすめる。血まみれの負傷者が続々と運ばれていく。やむなく王府井大通り北の投宿先のホテル和平飯店へ。
1:40 和平飯店から国際電話で『AERA』編集部に連絡。
2:10 北京飯店付近に戻る。正面入り口が閉じられ内部に入れない。ガラス扉の上部に銃弾跡が数か所。時折、空気を切り裂く実弾音。群衆を蹴散らそうとする警告発射のようだ。広場方面から逃げてくる人々の中に衣服が血まみれの姿も。
2:30広場に近づくのは困難と判断。王府井大通り東の協和病院に負傷者が運ばれているようなので、そちらに向かうことにする。
2:50病院裏口で待機。続々と負傷者が運ばれてくる。救急車も出動するが、多くは仲間の肩に担がれたり、戸板で運ばれたりで、着衣は血まみれ。
3:30 ホテルから朝日新聞北京支局に電話。広場で取材した記者、カメラマンとは連絡が取れていないという。北京飯店付近で見た状況から不安が募る。手分けして主な病院に問い合わせすることにする。
4:40 自転車で北京支局へ。死傷者数などで中国側の友人、知人から「赤十字情報では死者約2000人」など様々な情報が寄せられ、逆に情況の問い合わせも続いた。

   

――バタバタと対応するうちに、夜が明け始めた。

学生に同情的だった住民

   以上の時間の経過の中で忘れられないシーンを二つ書いておきたい。

   一つは、故宮の午門の前でのことだ。ビールを飲んで自転車を必死でこいだ ので、息が切れた。石のベンチに腰掛け、しばしまどろむ。ほんの数分間だっ ただろう。目が覚めると向かい側の石のベンチで若いカップルが抱き合って いた。夢か現か。天安門事件の夜の忘れられぬ光景である。

   二つ目は、協和病院の裏門でのこと。真夜中だが、多くの住民が集まっていた。パジャマ姿も混じる。みな不安げに事態を見守る。負傷者が運ばれてくると、彼らが手をつないで通路を確保する。仲間を担いできて、疲れ切って座わり込んだ学生に、老婦人が「さあ砂糖水だ。飲みな」と碗を差し出す。

   搬送が途切れると、住民たちから自然にシュプレヒコールがあがった。拳を振り上げ「人民の軍隊だろう、人民を撃つな!」「李鵬よ、退陣せよ!」。ふと2人の男の奇妙な行動が眼に入った。小型の録音機のような装置を抱え、群衆の間を動き回っている。明らかに住民らの怒りの声を収録している。人相風体から公安関係者と推測した。武力鎮圧に対する「国民の反応」をさぐる一環だったのか。コソコソとした姿が、忘れられない。

(次回は「あなたは改革者」上)

加藤千洋さん

加藤千洋(かとう・ちひろ)
1947(昭和22)年東京生まれ。平安女学院大学客員教授。東京外国語大学卒。1972年朝日新聞社に入社。社会部、AERA編集部記者、論説委員、外報部長などを経て編集委員。この間、北京、バンコク、ワシントンなどに駐在。一連の中国報道で1999年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。2004年4月から4年半、「報道ステーション」(テレビ朝日系)初代コメンテーターを担当。2010年4月から、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。2018年4月から現職。
主な著訳書に『北京&東京 報道をコラムで』(朝日新聞社)、『胡同の記憶 北京夢華録』(岩波現代文庫)、『鄧小平 政治的伝記』(岩波現代文庫)など。
日中文化交流協会常任委員、日本ペンクラブ会員、日本記者クラブ会員。