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加藤千洋の「天安門クロニクル」(5)
二人の総書記の失脚(上)自ら選んだ後継者を切る

   「胡耀邦の死」を知ったのは中国中央テレビ(CCTV)の夜の放送だったが、2年3か月前の「胡耀邦の失脚」を公式に確認したのも同じ時間帯のニュース『新聞聯播』だった。中国語の「新聞」はニュースという意味だ。

   1987年1月16日午後7時からの放送の冒頭、アナウンサーが胡耀邦党総書記辞任に関する同日開催された中国共産党政治局拡大会議のコミュニケを淡々と、しかし厳かな口調で読み上げた。

  • 光明日報(1987年1月17日付)が報じた胡耀邦辞任を伝える政治局拡大会議公報(コミュニケ)
    光明日報(1987年1月17日付)が報じた胡耀邦辞任を伝える政治局拡大会議公報(コミュニケ)
  • 光明日報(1987年1月17日付)が報じた胡耀邦辞任を伝える政治局拡大会議公報(コミュニケ)
  • 2016年2月、習近平主席がCCTVを視察した際、ロビーに「央視の姓は党」「絶対忠誠」などと書いた看板が出た。中国ネットでこんな写真が拡散されている。

学生デモから政局に発展

「胡耀邦同志は、党の集団指導原則に違反し、重大な政治原則上の問題で誤りがあった。会議では胡耀邦同志に対し、厳粛かつ同志的批判を加えたが、同時に事実に即して成し遂げた業務上の成績について肯定した」

   これだけでは具体的にどのような問題があり、政治責任を胡がなぜ問われたのか、肝心な点はよくわからなかった。

   会議では趙紫陽首相を総書記代行に、首相の後任に李鵬副首相の昇格を決定した。胡耀邦の党内地位は、それまでの政治局常務委員からヒラノの政治局員にワンランク降格しただけですんだ。

   この辞任発表の1か月余り前の86年12月、安徽省合肥市にある中国科学技術大学を震源地に、全国主要都市で学生デモが連鎖的に発生し、中国政治は一気に政局モードになっていた。指導部内の誰かが勝利し、敗れた者が失脚する。毎度繰り返されてきた激しい権力闘争である。

   当時、私は朝日新聞の北京支局(現在は中国総局)に駐在する特派員(という用語も大時代的だが)だった。ベテラン支局長のもとで、なるべく外に出て、断片的でもいいから多様な情報をつかんでくることが任務だった。この時も懸命に取材したが、世界でも最も閉鎖的とされた当時の中国、いや現在もだが、政治の舞台裏の動きをつかむのは容易ではなかった。

   それでも支局長と連名で1月16日の公式発表前、15日付の朝日新聞朝刊で「胡総書記の進退に発展も」「趙氏が職務代行か」と報じていた。

   この時の私の見方も楽観的というか、やはり浅かった。常駐記者として海外に出たのは初めて。改革開放の時代が幕を開け、国際社会の一員になろうとしている国で、政権トップの座にある指導者が簡単に首を斬られるだろうか。もちろん胡耀邦は党総書記という肩書上はトップではあるが、真の実力者は裏に控える鄧小平であることは百も承知だった。それでも中国政治のすさまじき権力闘争に対する認識が甘かった。

   正直に言えば、この時の一連の取材では共同通信北京支局に完敗だった。(1)中国科学技術大学での学生デモ発生の初報、(2)安徽省の人民代表選挙で共産党推薦候補だけ立候補が認められ、学生が支持する候補者は認められなかった問題がデモの背景にあること、(3)学生の背後に大学副学長で物理学者の方励之という「教祖的存在」がいること、そして(4)胡耀邦辞任に至るまでの政局など、終始リードされた。共同の辺見秀逸記者の海外メディアでも突出した報道ぶりが中国当局を刺激したのか、間もなく国外退去を求められた。後に「辺見庸」のペンネームで芥川賞を受賞し、作家専業となったのは知る人ぞ知るだ。

党の「喉舌」の中国メディア

   中国中央テレビ(CCTV)についても一言触れたい。「CCTVは中国でいえばNHKに相当する」と紹介されることがあるが、政府直轄の100%官製メディアだ。CCTVと同じく政府直属の新華通信社(略称・新華社)、共産党の中央機関紙の人民日報が中国メディアの「御三家」と称される。

   この主流メディア3社の第一の任務は「党の喉舌」、すなわち党と政府の「代弁者」として路線・方針・政策を民衆に宣伝することだ。中国のメディア状況もネット情報空間の急速な拡大で変容著しいが、この大前提は不変どころか、習近平総書記は政権の座に就いて以来、「メディアの姓は、あくま『党』である」と強調する。

   トップメディアCCTVの夜の総合ニュース『新聞聯播』は19時から30分間放送され、「その日何があったか」を知る上では北京駐在記者にとっては重要な情報源だ。私も『新聞聯播』と20時からのラジオニュースは、よほどのことがない限りチェックするよう心掛けていた。ネット情報で様々な情報が飛び交う現在の中国の情報環境とは、現代と近代の差以上のものがあった。

   そうそう、胡耀邦辞任が報じられた1月16日は、夕方近くになって『新聞聯播』で「重要ニュースがある」との予告放送があった。いまも北朝鮮の国営メディアがやっている社会主義国家の伝統的な政治宣伝の手法である。この時は取材で外出していたが、予告が出たことを支局長が知らせてくれたので、19時までに支局に戻って放送を見て、朝刊用の原稿作りができた。

(次回「下」に続く)

加藤千洋さん

加藤千洋(かとう・ちひろ)
1947(昭和22)年東京生まれ。平安女学院大学客員教授。東京外国語大学卒。1972年朝日新聞社に入社。社会部、AERA編集部記者、論説委員、外報部長などを経て編集委員。この間、北京、バンコク、ワシントンなどに駐在。一連の中国報道で1999年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。2004年4月から4年半、「報道ステーション」(テレビ朝日系)初代コメンテーターを担当。2010年4月から、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。2018年4月から現職。
主な著訳書に『北京&東京 報道をコラムで』(朝日新聞社)、『胡同の記憶 北京夢華録』(岩波現代文庫)、『鄧小平 政治的伝記』(岩波現代文庫)など。
日中文化交流協会常任委員、日本ペンクラブ会員、日本記者クラブ会員。