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加藤千洋の「天安門クロニクル」(9)
報道人の決起(上)『世界経済導報』事件

   「五四運動」70周年に合わせた学生デモは比較的平穏に終わったが、そこに新しい隊列が加わった点が注目された。首都北京の報道機関で働く記者や編集者らだった。約200人の報道人が起ち上がったことは、学生たちが担ってきた民主化運動に新しい要素を加える意味があった。

  • 長安街をデモする『人民日報』の記者たち、5月中旬
    長安街をデモする『人民日報』の記者たち、5月中旬
  • 長安街をデモする『人民日報』の記者たち、5月中旬
  • まぼろしの『世界経済導報』1989年4月24日号のコピー)

メディア関係者も学生を支援

   この日から首都に戒厳令が施行(5月20日)されるまで、党中央機関紙『人民日報』をはじめ北京に本社を置く新聞、放送、雑誌などメディア関係者が、大きな赤旗に自分たちの所属単位を明示し、「学生支援」を表明し、自分たちのスローガンを叫んでデモを繰り返した。しかも、その模様はそれぞれのメディアで堂々と報道されたのである。

   つかの間ではあったが、党と政府の「喉舌」(代弁者)とされる中国メディアが学生、民衆 の側の視点に立った報道を実践したのだ。たとえば『人民日報』は100万人という空前の規模に達した5月17日のデモの翌18日付紙面で、ハンガーストライキに突入した学生たちへ支援を表明する自社の記者たちのデモの様子を大きな写真付きで報じた。

   その「人民日報記者」という大きな文字で書いた横断幕を持ち、道幅いっぱい広がったデモ行進を私も長安街で目撃した。「ついに党中央機関紙の記者たちも起ち上がったのか」という興奮した気持ちを抑え切れなかった。

   党と政府によって厳しく管理・統制されている中国メディアが街頭デモを実行し、当局に「モノ申す」行動に出たのはきわめて異例の事態と言えた。5月9日、北京のメディア関係者は学生を支援する1013人分の署名を集めた請願書を政府に手渡し、その中で「報道の自由」を要求し、それを制度的に保障する「新聞法」の制定を求めた。

『世界経済導報』への弾圧事件

   報道人が決起した背景には、学生が要求する民主化の一環として当初から「報道の自由」を叫んでいたこともあるが、直接的なきっかけは、直前に発生した「報道弾圧事件」の影響が大きかったのではないかと思う。

   それは改革派色の強い論調によって海外でも注目されていた上海の週刊新聞『世界経済導報』の胡耀邦追悼特集号が、上海市党委員会によって発禁処分にされた事件である。

   『導報』は4月15日の胡耀邦急逝を受け、同19日に進歩的論調で知られた『新観察』雑誌社と合同で胡耀邦を偲ぶ座談会を開催し、参加者の発言を5頁にわたって特集する紙面を準備し、同24日付で発行予定だった。

   座談会には胡耀邦に近い学者、ジャーナリスト、それに革命闘争時代をともにした「戦友」や「部下」ら約30人が参加。その中には天安門事件後に中国を脱出し、パリで結成された中国民主陣線の議長となった厳家其(中国社会科学院政治学研究所前所長)や、歯に衣着せぬ発言で知られた女性ジャーナリスト、戴晴ら急進派知識人らの名前もあった。

   発行前の同22日、上海市党委が欽本立編集長を呼びだし、報道内容について「問題がある」と質した。私が関係者から聞いたところでは、ゲラ刷り段階で内容の一部が香港のメディアで報じられ、それで上海市党委の知るところとなったようだ。

   上海報道界でも老練ジャーナリストとして知られた欽編集長は腹をくくり、処分覚悟で「刷り上がった24日付新聞を発行する」と通告する最後の抵抗を試みた。

   これに対して上海市党委は曽慶紅副書記(後の国家副主席)を責任者とする工作グループを『導報』に送り込み、同27日に欽編集長の職務停止を決定。『導報』は事実上の廃刊に追い込まれた。

   処分理由は、「(座談会参加者の発言には)公開発表されると、当面の情勢を安定させるのに非常に不利で、思想の混乱を引き起こし、安定と団結に影響を及ぼす恐れがある」とされた。

   ごく少部数だけ社外に流出した『導報』4月24日号を、私もコピー版のコピーを手に入れた。文字が若干読みにくいが、例えば厳家其は次のように発言している。

「中国には凝集力が欠けていると言う人がいるが、私は天安門広場を訪ねて、中国の凝集力は非常に強固なものがあると感じた。民衆の胡耀邦同志を心から悼む気持ち、中国人民の正義感は、中国には強い凝集力があることを示している(中略)天安門広場に行って、だれもが二つのことを語っていることに気付いた。一つは胡耀邦追悼の気持ち。もう一つは中国には民主が欠けている、民主が必要である、ということだ。1976年の頃(文革末期に発生した第1次天安門事件のこと=引用者注)も、ほとんど同様の二つの言葉、一つは周恩来総理追悼、そして中国には民主が必要だと叫ばれていた。実際、中国の今日に至るまでの主要な問題は民主主義が欠けているということなのだ。何人かが議論することで、中国人民に関わる重大な問題を傍らに置いたまま、人民の意思を顧みることなく、事が決まってしまうのだ」

   戴晴の舌鋒はさすがに鋭い。

「中国共産党が政権政党であるのは、他に代わりうる力量を持った政権党が無いからだ。私たちはいつも口にしている言葉を繰り返さねばならない。それは、中華民族はいま最も危険な時にあるということだ。もしも改革が前へ進まなければ、とりわけ政治体制改革が前へ進めないとなれば、きっと民族の歴史的災難に瀕してしまうだろう」

   この2人の発言が代表するような政権批判を含む『導報』の特集紙面は「当面の安定と団結に不利」と見なされ、発禁処分を招いた。しかし上海市党委の「果断な措置」は党中央からは高く評価された。当時の上海市党委書記、江沢民が趙紫陽失脚後の後任の総書記として中央に抜擢される際、長老指導者たちが江を評価する「功績」の一つになったという。(次回「下」に続く)

加藤千洋さん

加藤千洋(かとう・ちひろ)
1947(昭和22)年東京生まれ。平安女学院大学客員教授。東京外国語大学卒。1972年朝日新聞社に入社。社会部、AERA編集部記者、論説委員、外報部長などを経て編集委員。この間、北京、バンコク、ワシントンなどに駐在。一連の中国報道で1999年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。2004年4月から4年半、「報道ステーション」(テレビ朝日系)初代コメンテーターを担当。2010年4月から、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。2018年4月から現職。
主な著訳書に『北京&東京 報道をコラムで』(朝日新聞社)、『胡同の記憶 北京夢華録』(岩波現代文庫)、『鄧小平 政治的伝記』(岩波現代文庫)など。
日中文化交流協会常任委員、日本ペンクラブ会員、日本記者クラブ会員。