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元貴乃花親方が元文科相と会談 「参院選へ立候補」説との関係

   貴乃花親方が退職に追いやられたひとつの要因となった角界の一門制度。2018年7月の理事会において、すべての親方は5つある一門に所属しなければならないと決定し、9月27日の理事会までにいずれかの一門に所属することが義務付けられていた。

   受け入れ先が見つからなかった貴乃花親方は、期日を待たずして9月25日に退職を表明。退職届の書類に関して不備があるとして、協会と再三のやりとりがあったが、10月1日に退職届が受理され、これをもって正式に貴乃花部屋が消滅した。

  • 貴乃花親方(2018年9月25日撮影)
    貴乃花親方(2018年9月25日撮影)
  • 貴乃花親方(2018年9月25日撮影)

約30年間、無風だった協会理事選

   貴乃花親方は、一門制度の改革を掲げて協会と対峙してきた。2010年の理事選で立候補したのも改革を目指してのことだった。「声を上げる理事」として協会の古き体質を変えようとした。

   1968年に理事の選挙制度が導入されて以降、96年まで約30年間にわたり無投票当選が続いた。なぜ30年もの間、一度も選挙が行われなかったのかといえば、事前に各一門が候補者を調整していたため、定員の10人を超える候補者が出なかったためである。

   協会内ですべてを決着するという古い慣習は、隠蔽体質を作りかねない。これを打破しようとして、手を挙げた貴乃花親方に先立つこと20年前に2人の親方による反乱があった。

   1998年の理事選において、間垣親方(元横綱2代目若乃花)と高田川親方(元大関前の山)が禁を破って一門の調整を無視した形で独自に立候補し、角界初の理事選が行われた。この選挙で高田川親方は理事に当選したが、のちに一門の混乱を招いたとして高砂一門を破門された。

   2000年にも無所属として高田川親方が立候補し選挙となったが、これを最後に2010年の貴乃花親方立候補まで選挙は行われなかった。

「きょうは引退の報告」

   今回の騒動でより正当化された感のある一門制度。改革を果たせぬまま志半ばで角界を去った貴乃花親方は、2018年10月4日発売(首都圏など)の週刊文春(10月11日号)で、「どこにも属さない中で自由な意見を言うことが出来なくなる」と指摘し、「組織の崩壊に向かっていくような気がします」と角界の将来を憂いた。

   一方でこの日、貴乃花親方は東京・千代田区の議員会館で馳浩元文科相と会談した。次なる「就職先」が決まっておらず、その動向に注目が集まる中、報道陣から来年の参院選出馬について問われると、「きょうは引退の報告。次は何の仕事をするか(考える)余裕はない」などと答えていた。

   当選不可能とされていた協会の理事選では4回の当選を勝ち取った実績を持つ貴乃花親方。仮に参院選出馬となれば、絶大な知名度が大きな力となるのは間違いない。国会議員として角界を改革する日が来るのか。今後の貴乃花親方の言動に目が離せない。