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加藤千洋の「天安門クロニクル」(10)
ゴルバチョフ訪中(下)首脳会談での機密暴露

   5月15日正午、ソ連のゴルバチョフ書記長(最高会議幹部会議長)はライサ夫人、シェワルナゼ外相と予定時間に特別機で北京首都空港に到着した。

   ただしスケジュール通りにいったのは到着まで。以後の行事予定は学生運動の余波で次々と変更を余儀なくされた。天安門広場西側にある人民大会堂の東側広場で行う予定の歓迎式典は急きょ空港に変更。国賓歓迎用のレッドカーペット、礼砲などが空港に急送された。ソ連最高首脳の訪中は1959年のフルシチョフ第一書記以来30年ぶりの歴史的なものだったが、簡素な行事となった。

  • ゴルバチョフ書記長訪中を報じた5月16日付の『人民日報』。書記長の後ろにライサ夫人、シェワルナゼ外相ら。迎えるのは楊尚昆国家主席
    ゴルバチョフ書記長訪中を報じた5月16日付の『人民日報』。書記長の後ろにライサ夫人、シェワルナゼ外相ら。迎えるのは楊尚昆国家主席
  • ゴルバチョフ書記長訪中を報じた5月16日付の『人民日報』。書記長の後ろにライサ夫人、シェワルナゼ外相ら。迎えるのは楊尚昆国家主席
  • 5月16日の天安門広場には大群衆が詰めかけた。西隣の人民大会堂にいるだろうゴルバチョフ書記長の耳に、自分たちの声が少しでも届いたらと。

世界が注目した中ソ首脳会談

   この日のよく晴れた首都空港の光景は、ほろ苦い記憶で思い出される。

   『AERA』から特派されていた私も、その日は朝日新聞の空港取材班に加わっていた。北京時間の正午は東京時間で13時。夕刊締め切りまで30分しかない。取材には人手が必要だったのだ。

   特別機の扉があき、書記長夫妻の姿が見えたのを確認するや、一人が空港ターミナルビルへ走る。タラップを降りた夫妻が出迎えた楊尚昆国家主席と握手したのを見たもう一人がターミナルビルへ。そこから電話で北京支局へ連絡する。あらかじめ作っておいた原稿(予定稿という)の事実関係が間違っていないか確認するためだ。

   当時、北京で一般サービスが始まって間もない携帯電話を、北京支局も申請していたが、まだ貸与の順番が回ってきていなかった。

   ふと空港エプロンの一角で、白いスーツ姿の女性が携帯電話を使っているのが目に入った。人海作戦の我々を横目に彼女は見たままを、どうやら東京に直接レポートしているらしい。当時、民放テレビ局のニュース番組でキャスターをしていたB女史だった。キャメラマンが使う脚立の上に腰かけ、片手には白い日傘が。それで5月15日がカンカン照りだったことを覚えている。

   余計な話(でも携帯電話の有無は取材上も重大な意味があった)が長くなってしまったが、世界中のメディアも注目したのが中ソ首脳会談である。

   ゴルバチョフ書記長は15日午後、人民大会堂で楊尚昆国家主席との会談にのぞみ、その後の歓迎夕食会に出席。その宴席のすぐ外の天安門広場には学生とともに20万人とも30万人ともいう大群衆が詰めかけており、予定にあった広場の人民英雄記念碑への献花は取りやめとなった。

   翌16日は鄧小平、李鵬首相、趙紫陽総書記の順に個別に会った。このうち午前10時40分から始まった人民大会堂での鄧・ゴルバチョフ会談が、「中ソ和解、関係正常化」を正式に確認する場となった。党総書記、国務院総理(首相)でもない満84歳の鄧小平が、中国政治の最終決定権を握る「最高実力者」であることが証明された。

趙紫陽がもらした一言が波紋

   ただ16日午後に釣魚台迎賓館で行われた、双方の改革の進展などについて重点的に話し合われた趙・ゴルバチョフ会談も、別の側面から後に注目されることになる。翌17日付朝日新聞朝刊が報じた次のような1節である。

「また同総書記(趙紫陽)は席上、引退がうわさされている鄧小平氏が87年の党の正式決定に基づき、最重要問題に関し実質的な指導権を握っていることを明らかにした」

   このくだりの趙紫陽発言を16日の国営新華社通信はこう報じている。

「ご承知のとおり、鄧小平同志は一九七八年の一一期三中全会以来、国の内外で公認されたわが党の指導者である。第一三回党大会で彼は自分の意志によって、中央委員会から退き、政治局と常務委から退いたが、彼はわれわれにとって不可欠な人であり、彼の英知と経験はわれわれに欠かせないものであることを全党が知っている」
「一三期一中全会では一つの正式決定が行われている。この決定は公表されなかったが、非常に重要な決定である。つまり、われわれの最も重要な問題では彼が舵を取る必要があるというものだ。われわれは、この決定はこれまで外部には公表していない。きょう初めてあなたに話した」(『チャイナ・クライシス重要文献』第1巻、269頁)

   以上から明らかなのは、中国共産党の最高レベルの国家機密が党トップの総書記の口から外国首脳に暴露されてしまった、ということだ。

   思わずポロっと漏らしてしまった不注意発言ではないだろう。何らかの意図に基づく、外部に拡散されるのを承知の発言と見るべきだろう。

   事件後の6月30日に公表された陳希同北京市長の『報告』は、これについて「趙紫陽同志は五月一六日のゴルバチョフとの会見の機会を利用して、闘争の矛先を意識的に鄧小平同志に向け、情勢をより一層悪化させた」と規定。発言に同調した改革派知識人らに「独裁者が限りない権力を握っている」「中国にはまだ皇帝の称号なき皇帝、老いて愚昧なる独裁者がいる」などといった「極めて反動的な」言論を誘発させたなどと指摘した(同上268頁)

   確かに「機密暴露」発言は、趙紫陽の、鄧小平との決別のメッセージだったといえるだろう。(次回は「指導部に亀裂走る」上)

加藤千洋さん

加藤千洋(かとう・ちひろ)
1947(昭和22)年東京生まれ。平安女学院大学客員教授。東京外国語大学卒。1972年朝日新聞社に入社。社会部、AERA編集部記者、論説委員、外報部長などを経て編集委員。この間、北京、バンコク、ワシントンなどに駐在。一連の中国報道で1999年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。2004年4月から4年半、「報道ステーション」(テレビ朝日系)初代コメンテーターを担当。2010年4月から、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。2018年4月から現職。
主な著訳書に『北京&東京 報道をコラムで』(朝日新聞社)、『胡同の記憶 北京夢華録』(岩波現代文庫)、『鄧小平 政治的伝記』(岩波現代文庫)など。
日中文化交流協会常任委員、日本ペンクラブ会員、日本記者クラブ会員。