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保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(17)
天皇の「代理人」自任した軍人たち

   昭和天皇と軍人の間には、本来なら大元帥とその部下という関係があり、さらに軍人の精神的支柱といった回路ももっている。一方で軍事指導者は天皇の大権を付与されているのだか自らは他の将兵の模範になる心づもりがなければならない。ところが昭和10年代の軍事指導者は全くの考え違いを行なっていた。

   東條英機に代表される軍人たちは、自らを天皇の代理人と考えるのである。自分に異議を申し立てるのは、天皇に異議を申し立てるのだと考える。

  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
    ノンフィクション作家の保阪正康さん
  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
  • ドーリットル隊の爆撃に出撃するB25-B型爆撃機。日本本土に対する初の空爆だった。

「いつものように資料はメイキングしますね」

    この倒錯した心理が、太平洋戦争を担った軍事指導者に共通している。天皇と自らが一体だとの心理は、社会病理の枠組みに入るという意味を持つ。自分だけが天皇の信頼を得ていて、それゆえ自分の命令は天皇の命令であり、自分の意見は天皇の意見だとの理解のもとで、現実の政治を動かしていったのだ。この自制心なき天皇観がどれほど現実を歪めたかは歴史が充分に示している。軍事指導者たちは、いわば不可視の部分にあってどれほど天皇をないがしろにしていたか、そのこともやはり整理しておかなければならない。

   あえて2、3の例を挙げる。太平洋戦争が始まったあと、陸海軍の指導者は天皇に虚偽、あるいは全くの嘘、偽りを伝えている。そのような例は枚挙に暇がないほどだ。典型的な例だが、昭和19(1944)年7月に東條内閣がサイパン陥落を含め、戦況がより一層悪化したために天皇を始め重臣などの信頼を完全に失い、辞職した。変わって小磯國昭内閣が誕生する。海軍では米内光政が海軍大臣に就任し、新たに戦争指導に当たる。その米内に、天皇は「アメリカとの戦力比が現在はどうなっているかを知りたい」と望んだ。米内は、海軍次官の井上成美を呼び、この旨を伝えている。

   そこで井上は、海軍省の軍需局長を呼び、この旨を伝えている。すると軍需局長は、井上に向かって、「いつものように資料はメイキングしますね」と答える。井上がメイキングという答えに驚くと、その局長は「これまで嶋田さん(繁太郎、以前の海軍大臣)の時はそうしていましたよ」という驚きの回答を平気で口にする。すくなくとも軍の中央部では基本的な部分で天皇を愚弄していてその時の光景は、まさに不可視の領域のみで密かに演じられていたのである。

開戦4か月で天皇に「虚偽報告」

   『昭和天皇実録』は、昭和天皇の在位期間を含めその87年の人生を記録した貴重な文献である。宮内庁書陵部が24年5か月をかけてまとめた。これを丹念に読んでいくと陸海軍の指導者たちはいかに天皇を欺いていたかが浮かび上がる。太平洋戦争が始まってからまだ4か月でもう嘘をついているのである。この実録の昭和17(1942)年4月18日の記述は以下のようにある。

「午後二時、御金庫室廊下において参謀総長杉山元に謁を賜い、空襲に関する奏上をうけられる。暫時の後、内務大臣湯沢三千男に謁を賜う。なお午後二時、東部軍司令部より敵機九機を撃墜した旨が発表される」

   これはアメリカ軍のドーリットル隊が東京を中心とした各地に爆撃を行ない、日本が被害を受けたケースである。日本本土に対する初の空爆だった。これによれば不意に日本を襲い、相応の爆撃によることで、日本の軍事指導者たちに衝撃への恐怖を起こそうとしていた。杉山は軍令の責任者としてこの爆撃を天皇に伝えた。杉山はアメリカ軍機の9機を撃墜したと報告しているのである。大本営発表も9機との内容であった。 しかしこれは偽りで、実際にはドーリットル隊の一機も撃墜できなかったのである。

   杉山はこの段階ですでに事実を偽って報告していたのである。しかも 防衛総司令官だった東久邇宮稔彦王が、天皇の前に進み出て、「敵機は一機も撃墜できませんでした」(東久邇宮著 『やんちゃ孤独』)と伝えると激昂し、「防衛総司令官には、陛下に直接報告する権限はない」と妨害している。つまり偽りは意図的だったのである。

   こう見てくると、戦時下の日本の実情は天皇主権国家と言いながら、その実情は全く異なっていて「天皇の名を利用した軍事指導者のやりたい放題の体制」だったということになる。私たちはこの現実からある教訓を知るべきであろう。その教訓とは、戦時下を含めて昭和10年代の日本の可視化した姿(それはファシズム体制とか軍事独裁体制ということになるのだが)を史実として語ってきたのだが、実は不可視の虚像があり、それに振り回されていたということだった。

   その不可視の像とは何か、ということになるが、それは神の代理人を自称する集団が壮大な虚構空間を作りあげていたとうことである。天皇を利用して、自分たちの軍事という機構の価値観のみで時代と歴史に向き合ったというべきであった。それは明治150年の今、真摯に検証しておかなければならないテーマなのである。 (第18回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。