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保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(29)
「皇軍転じて神軍に」が意味すること

   近代日本の軍事組織は、結局この国の歴史総体に多くの反省点をもたらしたのだが、その出発点は、大日本帝国憲法発布時の陸相たる大山巌の全軍への訓示に凝縮されていた。

   前回触れたように大山は、軍人は天皇への忠誠という点では一般社会とは隔絶しているといい、つまりはこの国の中心軸にならなければいけないとの意気込みを披瀝したのである。憲法発布時には、確かにその意気込みは必要とされたといいうる。

  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
    ノンフィクション作家の保阪正康さん
  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
  • 日本帝国憲法発布時の陸相だった大山巌

軍事組織は少しずつ手直しされるはずだったが...

   しかし議会政治の進展や国民意識の高揚などで、軍事は政治に従属するなどして、少しずつ手直しされながら、近代国家の道筋を歩むのがどの国の歴史を見てもありうべき姿であった。日本はそうはならなかったのである。軍事が「統帥権優位」の立場を主張し、それがこの国の近代国家の常態だとの態度を変えなかった。

   その行きつく先が、昭和の「大東亜戦争」の中に凝縮されていた。このことを裏付けるのが、昭和10年代の日本ファシズムの実態である。ここには可視化している部分と不可視の領域がある。まず可視化した部分を確かめてみよう。これにはあえて昭和10年代の3点 の文書や資料を指摘できる。次の3点である。

(1)「國體の本義」(2) 「戦陣訓」 (3) 「皇軍史」

   すでに紹介していることだが、(1)や(2)は、いわば攘夷の思想をやや牽強付会に鼓吹している冊子である。ここでは(3)の書の内容について考察してみたい。

   「皇軍史」は1943(昭和18)年8月5日に陸軍の教育総監部が刊行した683ページに及ぶ大部の書である。すでに物資が不足している時に、陸軍だからこそこのような書籍を刊行できたと言っていいだろう。もともとこの書は軍内で下級将校の教育本だったのだが、太平洋戦争が苛烈になっていくにつれ、一般にも軍内教育はどのように行われているかを知らせるために刊行されたと言うのである。

皇軍史から作り出された「不可視の領域」

   現実には国民の全てを兵士化しようとしているのだから、その教科書にという思惑があったのだろう。この書には「序説」があり、日本軍(皇軍)という所以が説かれている。皇軍転じて、今は神軍といった感を与えるようなニュアンスが全体を覆い尽くしているのである。この序説には次のような一節があり、この書を貫くテーマだといってもいいであろう。長くなるが引用しよう。

「我が肇国の初めより天祖の率ひ給ひし軍隊乃ち神軍と称すべきもの、さては天孫降臨に際して供奉せる軍隊等即ち我が皇祖皇孫を護り衛りし軍隊を叙して皇軍成立の本義を明かにし、人皇第1代神武天皇御東遷に随ひまつり中州平定の聖業を御翼けした皇軍を語り、以後歴代の天皇御親卒の下に皇道を宣揚し皇威を顕揚した皇軍の事績を叙して皇紀二千六百年の今日に及んだ」

   わかりやすく言うならば、今我々は神軍として、聖業完遂の使命を持って今次の戦争を戦っていると言うのであった。神武天皇からの神代、そして神軍が聖なる存在として存在するとの認識は、明治からの近代国家そのものの否定につながっている。まさに理知や理性、それに知性などはまったく存在しないといった理解であった。大山巌の訓示はここに行きついたのであった。ところがよく吟味していくと、ことはそう簡単ではないことがわかってくる。つまり不可視の領域がこの皇軍史の中からは作り出されているのである。その点に注目しておく必要があるのだ。

「血が流れていない神」なので「銃弾に当たっても死なない」という理屈

   『皇軍史』が示している不可視の領域とは何か。具体的に言うならば、1882(明治15)年1月に天皇によって発せられた「軍人勅諭」をまったく独自に解釈するのである。もともとは天皇の軍隊が尽くすべき役割を説いたのがこの内容である。ところが『皇軍史』はその役割以上に重要な精神があるとするのである。

   軍人勅諭の冒頭は、「我国の軍隊は世世天皇の統率し給ふ所にそある」と言うのだが、この部分を「神武天皇躬ら大伴物部の兵どもを率ひて中国(なかつくに)を平定し給ひし以来、歴世平間の大権を掌握あらせられ建軍の本義炳乎として確立せられたる所以を明かに御示しになった」と独自に解釈する。軍人勅諭をこう解釈することで、現実離れした空間を作り出す。現実の人間は、神代からの精神を具現化した抽象的存在になっていく。精神によってのみ存在するから、食糧がなくても、銃弾に当たっても決して死なない。なぜなら血が流れていない神としての存在だからである。

   この神国の神兵たちという理解は大本営の参謀たちにとって、なんとも頼もしい。だから平気で特攻作戦や玉砕といった戦術が取れたのであった。(第30回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。