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岡田光世「トランプのアメリカ」で暮らす人たち ベツレヘムの「壁」とメキシコの「壁」

   2018年から19年にかけての年末年始に、初めてイスラエルを旅した。今回も番外編「イスラエルで見聞きした『トランプのアメリカ』」を伝える。

   前回の記事「エルサレムの米大使館を見に行く」で、米大使館に向かうバスの中で出会ったユダヤ人女性は、私を娘の家に連れていった。

   娘夫婦を交えて話していた時、イエス・キリストの生誕地として知られるベツレヘムの話になると、3人は口をそろえて、「ベツレヘムになんて怖くて行けない。私たちがユダヤ人だとわかれば、殺される」と言った。

  • 実際の監視塔を抱きしめる、トランプ大統領のグラフィティが描かれている分離壁
    実際の監視塔を抱きしめる、トランプ大統領のグラフィティが描かれている分離壁
  • 実際の監視塔を抱きしめる、トランプ大統領のグラフィティが描かれている分離壁

「ユダヤ人とわかれば、殺される」

   バスで出会った女性はベツレヘムへ行ったことがあるが、その時はユダヤ人であることがわからないように、ポーランド政府発行のパスポートを使ったという。

   ベツレヘムは、ヨルダン川西岸地区の南部、パレスチナ自治区にある。西岸地区は、1948年の第1次中東戦争後にヨルダンに占領され、その後、1967年の第3次中東戦争でイスラエルに占領された。今もほとんどの土地はイスラエルに統治され、統治者によって3地区に分けられている。パレスチナ政府が実権を握るA地区は、全体の2割にも満たず、ベツレヘムや、パレスチナ自治政府の事実上の首都ラマッラなどが含まれる。

   その周辺のハイウエイや検問所には、「この道路はパレスチナが実権を握る"A地区"に通じる。イスラエル市民の立ち入りは禁止。生命の危険あり、イスラエルの法律に違反する」と書かれた看板が立っている。

   ベツレヘムはエルサレムの南10kmの距離にあり、高さ8mの厚い壁によって隔てられている。この分離壁は2002年にイスラエル政府が、ヨルダン川西岸地区との境界に、「テロ防止のため」に作り始めたものだ。イスラエルのユダヤ人がもうほとんど見ることのない壁の向こうには、いったいどんな世界があるのか。

キリスト生誕の地のイスラム教徒

   私たち夫婦は2018年のクリスマスイヴに、エルサレムからバスに揺られ、イルミネーションが闇夜に輝くベツレヘムの町にたどり着いた。キリストが生まれたとされる聖誕教会に隣接する聖カテリナ教会で、深夜ミサが行われ、世界中から訪れるキリスト教徒らとともに祈りを捧げた。

   クリスマスの雰囲気を感じさせるのは、教会とその前のマンジャー広場周辺くらいで、あとはアラブの世界。ここはパレスチナ内でキリスト教徒が最も多い地域のひとつだが、住民の大多数はイスラム教徒だ。

   宿の主、パレスチナ人のデービッドは、深夜ミサのあと、午前2時近いというのに教会の近くまで車で迎えに来てくれた。宿代には朝食しか含まれていないのに、どの客のためにも彼の妻が栄養たっぷりの美味しい夕食を作り、大きなお盆にのせて温かいまま家族でそろって部屋まで運んでくれた。

   デービッドの親は、ユダヤ人に土地を奪われたという。車で私たちを案内しながら、「ここはパレスチナなのに、あっちにもこっちにもユダヤ人入植地ができた。ベツレヘムを取り囲んでいる。どんどん押し寄せてくるんだ」と吐き捨てるように繰り返した。

「水の量を厳しく制限され、イスラエルを批判することも、自由にここを出ることもままならない。イスラエル兵がやってきて、パレスチナ人を逮捕していくのは、日常茶飯事だ」

   そのあと、私たちだけでベツレヘムの町を歩くと、パレスチナ人たちは口を揃えて気さくな笑顔で、「Welcome.(ようこそ)」と歓迎してくれた。トウモロコシ売りの青年は、「僕らは日本が好きだよ」と夫と肩を組み、写真に収まった。

   店先のテーブルで食事していたアラブ人の2家族は、「一緒に食べろ」とテーブルと椅子を持ってきて、次々に料理を追加注文し始めた。彼らはイスラエルの都市ナザレのそばに住む旅行者で、キリスト教徒だった。50代くらいの女性が、「ここに住むアラブ人たちは気の毒だわ。私たちの地域では、ユダヤ人もアラブ人も一緒に暮らしているのよ」とつぶやいた。

「セキュリティ・フェンス」と呼ぶイスラエル

   ベツレヘムに高々とそびえ延々と続く分離壁は、思った以上に威圧的で閉塞感があった。まるで刑務所の中にいるような錯覚を覚える。監視塔ではイスラエル兵がパレスチナ人を見張っている。有刺鉄線や電気フェンスに囲まれている壁もある。

   分離壁はパレスチナ人の土地を奪い、そこに生活する人々を追い出し、町を分断した。イスラエル政府はこの壁を「セキュリティ・フェンス」と呼び、テロの被害が大幅に減ったと報告している。

   壁には、トランプ大統領がらみのグラフィティが多く見られた。実際の監視塔を抱きしめる巨大なトランプ氏が描かれ、その周りにピンクのハートが散りばめられていた。

   「壁ではなくてフムス(伝統的なアラブ料理である豆のペースト)を作れ」と大きく描かれたものや、トランプ氏を汚い言葉でののしったものもある。

   2019年1月、この町に住むパレスチナ人牧師が、メキシコとの国境に建設する壁の予算の合意が得られない親イスラエルのトランプ氏を皮肉るツイートをした。

「親愛なるトランプ氏へ、壁ならここパレスチナにありますよ。喜んでこの壁をプレゼントしますよ。グラフィティも一緒にどうぞ。この壁の費用は、あなたたちがすでに支払い済みなんですよ」

   ツイートには、敬虔なユダヤ教徒が使う帽子キッパを被って祈るトランプ氏の、大きなグラフィティが描かれた分離壁の写真が添えられている。ユダヤ教徒の聖地『嘆きの壁』を訪れた時の様子で、「I'M GOING TO BUILD YOU A BROTHER...(君の兄弟を建設しますよ=別の壁を建設しますよ)」と頭のなかでつぶやいている。

   壁で分断された2つの世界は、接触がなく、お互いの顔がまったく見えない。敵対心は大きくなり、溝は深まるばかりだ。

   獣医でもあるデービッドには、ユダヤ人入植地に住むユダヤ人の仕事仲間がいるという。「僕たちが友だちになれるのなら、アラブ人とユダヤ人は友だちになれるということじゃないのか」

   それだけが唯一、希望を持てるかもしれないと思えたデービッドの言葉だった。

(次回に続く、随時掲載)

++ 岡田光世プロフィール
おかだ・みつよ 作家・エッセイスト
東京都出身。青山学院大卒、ニューヨーク大学大学院修士号取得。日本の大手新聞社のアメリカ現地紙記者を経て、日本と米国を行き来しながら、米国市民の日常と哀歓を描いている。米中西部で暮らした経験もある。文春文庫のエッセイ「ニューヨークの魔法」シリーズは2007年の第1弾から累計37万部を超え、2017年12月5日にシリーズ第8弾となる「ニューヨークの魔法のかかり方」が刊行された。著書はほかに「アメリカの家族」「ニューヨーク日本人教育事情」(ともに岩波新書)などがある。