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ビートル終焉と「CASE」 大変革の中で消えゆく名車たち

   1938年に初代が誕生したビートル。独特のフォルムが世界中で親しまれ、ディズニー映画の主人公にもなるほどだったが、世界の自動車業界が「100年に一度の大変革期」を迎えている中でVWの次世代戦略から外れ、約80年の歴史に幕を閉じる。

   ドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲン(VW)の象徴だった名車「ビートル」の生産が2019年7月に終わり、日本国内で販売される最後の新車63台が同9月、メキシコの工場から自動車輸送船で運ばれて愛知県の港に陸揚げされた。

  • 「初代ビートル」ことフォルクスワーゲン・タイプ1(Rudolf Strickerさん撮影、Wikimedia Commonsより)
    「初代ビートル」ことフォルクスワーゲン・タイプ1(Rudolf Strickerさん撮影、Wikimedia Commonsより)
  • 「初代ビートル」ことフォルクスワーゲン・タイプ1(Rudolf Strickerさん撮影、Wikimedia Commonsより)

西ドイツのみならず米国でも人気

   ビートルの歴史は、「初代」、「ニュービートル」(2代目)、「ザ・ビートル」(3代目)によって脈々と引き継がれてきた。初代ビートルの起源は、1930年代のナチス・ドイツ時代にさかのぼる。国民に安価で実用的な自動車を大量生産して与えたいと考えたアドルフ・ヒトラーが指示を出し、「20世紀最高の自動車設計者」とも称えられるフェルディナント・ポルシェがデザインした。もともと通称だったビートルが「カブトムシ」を意味するように、丸みのある車体が特徴だ。ドイツが戦争に突入したため生産は頓挫したが、戦争に敗れたドイツを占領統治した連合国軍によって再開され、戦後の1945年から本格生産されることとなった。

   初代のエンジンは空冷式で、車体の最後部に設置して後輪を駆動するRR(リアエンジン・リアドライブ)型という現在では珍しいタイプ。「バサバサ」と聞こえる独特なエンジン音も初代の特徴だった。西ドイツ国民に受け入れられたほか、米国にも輸出されて、西ドイツ経済の戦後復興を支えた一面もある。米国でも好評となり、1960年代以降にシリーズ化されたディズニーの実写映画「ラブ・バッグ」では、意思を持つレーシングカー「ハービー」として主役になったほどだった。こうして単なる工業製品を超えた人気を世界中から集め、2003年まで生産が続いた初代は2000万台以上が世に出た。

EVへの経営資源投入で...消える名車

   しかし、そんな名車も世界の自動車業界に押し寄せる変革の波を乗り越えられなかった。VWは2019年11月、電気自動車(EV)専用の共通車台を採用した第1弾「ID.3」の量産を始める。VWは2015年に発覚したディーゼル車の排ガス不正によって、ブランドイメージの低下だけではなく、主力だったディーゼル車の販売も落ち込み、商品ラインアップを立て直す必要に迫られた。そこでVWはEVに経営資源を投入する方針を決め、その構想から外れたビートルを打ち切ることにしたというわけだ。

   同じように日本メーカーでも長く親しまれた車種の生産や国内販売を終了する動きが相次いでいる。パジェロ(三菱自動車)、エスティマ(トヨタ自動車)、キューブ(日産自動車)といった一時は一世を風靡した車種も入っている。「CASE」(インターネットでつながるコネクテッド、自動運転、共有するシェアリング、電動化)と呼ばれる新たな技術や乗り方への対応が急務の自動車業界には、もう20世紀のノスタルジーに浸っている余裕はないのかもしれない。