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靖国公式参拝は、こうして途絶えた 示唆された黙認、見通しの甘さ、追い詰められる趙紫陽氏

   1985年8月15日に中曽根康弘首相(以下、肩書きはいずれも当時)が戦後の首相として初めて靖国神社を公式参拝した際、政府・与党は86年以降も公式参拝を継続する意向だった。だが、85年9月には中国・北京で大学生による反日・反中曽根デモが起き、中国外務省も「中国人民の気持ちを深く傷つけた」などとする非難声明を出すなど、状況は一変していた。

   中曽根氏が国立国会図書館(東京都千代田区)に寄託した大量の文書には、新聞記者の取材メモをとじ込んだ大量のファイルや、中国側が訪中団に語った参拝への懸念をまとめた報告書も含まれている。そこからは、当初の政府・与党の楽観姿勢と、予想外の反応の強さに困惑する様子が浮かび上がってくる。

  • 1985年に靖国神社を公式参拝する中曽根康弘首相(当時)(写真:AFP/アフロ)
    1985年に靖国神社を公式参拝する中曽根康弘首相(当時)(写真:AFP/アフロ)
  • 1985年に靖国神社を公式参拝する中曽根康弘首相(当時)(写真:AFP/アフロ)

「オレが外相だったら大ゲンカだ」反発した自民幹部は...

   9月にデモが起きたことで、10月17~19日に予定されていた秋の例大祭に中曽根氏が参拝するかが焦点になっていた。「10/2 16:20 藤波 コンダン」のメモでは、藤波孝生官房長官とみられる人物が、参拝について「検討するということであり、いま総合的に検討している」としながら、中国の反応については「厳しいとみています」。「いろいろやっているが効果はあがっているか」という問いには、いら立ちをにじませた。

「いやあがっていない。(外ム省の)アジア局長を呼んで効果があがるように、早くやれと言った」

   安倍晋太郎外相が訪中している最中の「10/11 16:30 藤波」のメモでも、事態の進展は読み取れない。

「厳しい、ということでしょうね。Ⓐもよく話をしてくるとは言っていましたがね。例大祭に行く行かないは、こっちが決めることですが」

   中国側の反応に反発する向きもあった。「10/11 藤尾 各社」のメモだ。自民党の藤尾正行政調会長とみられる人物が、

「靖国で例大祭まで言うのはどうかね。オレにはわからんよ。オレが外相だったら大ゲンカだ。とても外相はオレには出来ないな」

と発言している。なお藤尾氏は翌86年7月に文部相に就任したが、9月に発売された月刊誌「文芸春秋」の対談で、日韓併合について「韓国側にも責任がある」などとした発言が問題化。中曽根氏は自発的な閣僚辞任を求めたが藤尾氏は拒否したため、罷免されたという経緯がある。

   結局中曽根氏は、「臨時国会での代表質問への対応や訪米準備に時間を食われ」た(藤波氏記者会見)結果として、参拝を見送った。

冷ややかな宮澤喜一氏「これからどうするのでしょうかねえ」

   その舞台裏を語る人物もいる。赤文字で「要注意」と書かれ、「宮沢私邸懇(85.10.24夜) オフレコ」と題したメモだ。青い自民党の便せんに手書きされている。宮澤喜一総務会長とみられる人物が、河本派のパーティーで外相の安倍氏と話したという内容を、このように明かしている。

「これはオフレコですが、外務省としては公式参拝ということになると当然中国のリアクションが予想されますから事前に中国側と非公式な折衝をしたらしいんですね。そしたら中国の方も終戦記念日に参拝するくらいなら黙認するという反応だったらしいんですね。ところが北京大学でデモが起こり、中国のマスコミがこれを取り上げ、日本のマスコミもこれを取り上げることによってすっかりポリティックスな問題になってしまった。そうなると、中国外務省も原則論で押さざるを得ないということらしいんですね」

   その上で、当時の政府の見通しの甘さを指摘した。

「(編注:日本時間でこの日午前に、ニューヨークで行われたばかりの)中曽根趙紫陽会談で原則の確認をしたようですが外務大臣は『まだまだ尾を引きそうだ』といっていましたね。まあ、終戦記念日と秋季例大祭は私も性格が違うと思いますし、今度は時間がないということであのような処理をしたのですが、これからどうするのでしょうかねえ。『一旦政府が決めた方針が外国の内政干渉によって覆るのはおかしい』というのはちょっと激しすぎるとは思いますが、リアクションが読めなかったのかといわれれば政府は苦しいですよね」

胡耀邦総書記の失脚リスクを伝える報告書も...

   中国の反発はこの後も収まらず、86年には公式参拝のみならず、参拝そのものの断念に追い込まれる。背景にあるとみられるのが、中曽根氏とは良好な関係にあった胡耀邦総書記の失脚リスクだ。この懸念を伝える報告書も、「中曽根文書」に含まれていた。

   中曽根氏は稲山嘉寛・経団連前会長が「日本食品技術総合展示会」への出席名目で86年7月に訪中した際、靖国問題で中国側と接触するように頼んでいる。中曽根氏は「正論」2001年9月号のインタビューで、当時の様子を次のように明かしている。

「稲山さんはいろいろ話したんです。帰国する前日の朝6時頃、宿舎に知日家であった二人の要人が来て厳粛深刻な表情で、 『靖国の公式参拝は是非やめてほしい。そう中曽根総理に伝えて下さい』 と、いったんですね。そのときに稲山さんは、靖国問題が胡耀邦総書記の進退に影響が出そうだという暗示を受けた。あの頃、改革政策をすすめる胡耀邦さんは保守派の要人から非難され始めていた。(中略)胡耀邦さんと私とは非常に仲が良かった。兄弟分みたいな関係にあった。そこで私が参拝すると、胡耀邦総書記追い落としの原因をつくったようなことになるかもしれない。そういう暗示を受けたな。それで胡耀邦さんを守らなければいけないと思った。それもあってやめたんです」

   当時の中国側の「暗示」を示したとみられる報告書が、一連の中曽根文書に含まれていた。報告書は手書きノートのコピーで、報告書が入った封筒には、手書きで

「靖国問題に関する中国側見解の報告(後藤田官房長官あて)」
「稲山嘉寛訪中団」
「昭61年7月21日」

とある。文書の冒頭には

「閣下より二つの問題が提起されている。それにつき私見を述べる前に一つ確認したいことがある。中曽根首相とは現在でも良い関係にあるのか。(稲山先生 肯定的な返答をする」
「私は個人的に中曽根さんと友好的な関係にあり、中曽根さんが望むなら今後長期にわたって個人的友好関係を保ってゆきたい。友達であれば本心を語るべきで、うそは言うべきでない。また友達は互いに助け合うべきで、相手を困らせるべきでない」

とあり、胡耀邦氏本人か、胡耀邦氏のメッセンジャーにあたる人物の発言を、稲山氏の随行者が記録したとみられる。

「私の真心からの進言であり、中曽根首相や自民党の友人に対し好意的な発言である」

   内容は次のとおりで、A級戦犯の合祀(ごうし)を特に問題視し、参拝を強行すれば、国内的な説得が難しくなることを訴えている。


(引用ここから)
   重要なことはほかでもなく、そこに戦犯が祭ってあることである。戦犯がいなければなにも問題はない。戦犯を祭ってある以上、これは一国の内政問題ではなくなり、一国の首脳が公式に世界公認の戦犯を参拝するならば、必ず全世界の関心をひく。 かつて中国のマスコミは、この行為は中国人民の感情をきずつけると主張したが、その見方も不完全である。この行為は又、日本政府の国際的イメージをそこなうものである。私はお国の政府の人びとが考えるべき核心問題はまさにこの点であると思う。日本の国政的イメージは日本人が自分で判断するのではなく、他の国ぐにの人びとの日本に対する印象によって決まるのである。

   政府の首脳、閣僚が、かつて中国やその他の国で犯罪行為を行った戦犯を崇拝したら、世界にどのような印象を与えるであろうか。みなは彼が今なお戦犯をしのび、その行為を賛美しているという印象を受けるであろう。少なくても彼らが善悪の区別もつけられないと思うであろう。従って、中曽根さんの友達として忠告したい。近年来貴国の世界におけるイメージは基本的に良いと言える。平和なイメージ、自国の発展に努力しているイメージ、科学の発展に努力しているイメージである。せっかく良いイメージをつくり上げてきたのに、このような小さな事でそれを台なしにしてもらいたくない。現在世界には、まだ多くの国が日本の軍国主義復活を警戒している。私が貴国を訪問する前、中国でも多くの人が日本は軍国主義の道を進むのではないかと疑っていた。訪日後、私は800人の幹部大会をひらき、説明をし、その後疑う人は減少した。しかし世界の他の国では今でも疑いをもっている。ソ連、東ヨーロッパの四億人は疑っている。そのため貴国が若干年内に大規模な国防力拡張をしないことは大変賢明なことである。しかし、もしここで政府閣僚が、国防力の大幅な増強を求め、教科書の改ざんをし、その上靖国参拝までやるとどうなるであろう。ソ連等は手をたたいて喜び、それみたことかと、日本軍国主義復活論をまきちらすであろう。中国もそのような事態が起きることを望まない。中国の多くの青年も同じ疑いを抱いている。

   私共はこれまで彼らを説得してきたが、これ以上事態が進展すると、もう説得はできなくなる。中曽根首相の靖国公式参拝は、中国やアジアの国ぐにの国民感情を傷つけることより、日本のイメージを傷つける結果になる。以上は私の真心からの進言であり、中曽根首相や自民党の友人に対し好意的な発言である。その他の下心はなにもない。
(引用ここまで)


「私も大変困った立場に立つことになろう」

   報告書はA4用紙5枚。上記引用部分は1~3枚目で、その大半が中曽根氏の秘書官を務めていた長谷川和年氏の著書『首相秘書官が語る中曽根外交の舞台裏』(朝日新聞出版、2014年)に

「また、胡耀邦も稲山さんとの会談で次のように言っている」

という書き出しで紹介されている。この書籍に紹介されていない報告書の4~5枚目には、胡耀邦氏の危機感がさらに強くにじむ。参拝の形式を変えても効果はなく、今後の参拝を中止しない限り、胡耀邦氏の立場が危うくなることを訴えている。


(引用ここから)
   また、靖国参拝を要求している人びとは、日本の中でもそんな数ではない。それは

・遺族 数千人にすぎない。
・一部この問題は日本が諸外国の国民感情を害しているのではなく、中国、南朝鮮が日本の国民感情を害していると唱えている人びと。しかし、これらの人びとはもっと高い見地で、これは日本のイメージを傷つけていることをみてとることができない。

   では、双方の言分を通す方法はないのか。私はあると思う。

   8月15日に靖国神社ではなく、別の所で、それには金が少しかかるかも知れないが、靖国の式典よりもっと盛大なものをやり、戦犯を含めない戦争の犠牲者、愛国の士を追悼し、平和への祈願を行えば、要求は満たされるのではないか。

   中曽根さんが断固として靖国に行かず、しかも別の所でもっと立派なものをやれば中曽根イメージは高まることであろう。

   逆に、一昨年は行き、昨年はいかず、今年はまた行くとなると、そのイメージは大変悪くなり、一昨年の時よりさらに強烈な反応が出てくるであろう。そうなると、総書記と言えども、何にも言うことはできず、私も大変困った立場に立つことになろう。

   以上は中国の国民感情を大切にする立場からではなく、日本の政府、首脳の世界におけるイメージを守る立場から述べた。

(○稲山先生: 参拝の方式を変えても靖国で行うなら誤会(編注:「誤解」の誤字だとみられる)はまぬがれないと理解してよいか

○その通りである。例えば、西ドイツで、もし靖国と同じような場所があり、そこでたとえヒトラーを除いても、もし戦没者の慰霊祭をやったとしたら全世界の抗議にあうであろう。幸いに西ドイツには靖国がないが。

   我々は歴史を尊重し、全世界の人民の歴史に対する感情に注意しなければならない。第二次大戦はまだあまりにも生なましい記憶が残っている。体験者もまだ多く生きている。200年後になればさほど問題にならないかも知れないが。従ってこれらの問題の対処は慎重の上にも慎重な態度が必要である。

   中国はまだいいが、モスコアは、デマをまきちらすであろう。輿論づくりは上手だから。

   私はかねがね誰かこの問題について、つっこんで話し合いたいと思っていた。公式な場で私が言う訳にはいかない。だから、今日この問題の話と聞いたので30分ではたりないから一時間にしてもらった。稲山先生に感謝している。
(引用ここまで)


   結局、胡耀邦氏は1987年1月の政治局拡大会議で総書記を解任。中曽根氏は前出の「正論」のインタビューで、かつての盟友を「ひどい目に遭った」と思いやった。

(J-CASTニュース編集部 工藤博司)