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としまえん閉園は「半世紀以上前」からの運命だった? ハリポタ計画への長い伏線

   西武ホールディングス(HD)のグループ会社が運営する遊園地「としまえん」(東京都練馬区)が、段階的な閉園を計画している、と報じられた。

   西武側は現時点で、決定事項はないとしている。しかし実は、としまえんの敷地には、以前から公園化する計画があった。突然と思われがちの「閉園報道」を読み解く。

  • 「練馬城址公園駅」になるのか?
    「練馬城址公園駅」になるのか?
  • 「練馬城址公園駅」になるのか?
  • 練馬城址公園の「優先整備区域」参考図(東京都都市整備局サイトより)

跡地は防災公園と「ハリポタ」に?

   「としまえん閉園検討」は2020年2月3日午前、新聞やテレビを始めとする主要メディアから、一斉に報じられた。報道を総合すると、20年以降に段階的に閉園し、跡地は東京都が整備する防災公園となり、敷地の一部は23年春にもワーナー・ブラザースによる「ハリー・ポッター」のテーマパークに生まれ変わるという。各社は「関係者への取材」を通し、春にも正式決定する見込みだと伝えている。

   老舗遊園地の「閉園」報道によって、インターネット上では製造から100年以上の歴史を持つ回転木馬(メリーゴーラウンド)「カルーセルエルドラド」の動向も注目されている。しかし、西武鉄道広報部は2月3日、J-CASTニュースの姉妹サイト「Jタウンネット」の取材に対して、

「そもそも閉園やテーマパークができるという話も決まっていることではないので、エルドラドをどうするかということに関しても、特段なにも決まっていない状況です」

と回答。現時点での決定事項はないとの立場を示している。

   今回の報道を受けて、インターネット上にはショックと悲しみの声が続出。2月3日にはツイッターの「日本のトレンド」で、数時間にわたり1位に「としまえん」が入った。しかし、これまで公表されてきた各種資料を読み込むと、閉園報道が突如として起きたものではないとわかる。

東日本大震災がターニングポイントに

   報道を読み解くにあたり、重要なのが東京都の事業計画だ。さかのぼること半世紀以上、都は1957年に都市計画公園のひとつとして、この一帯に整備する「練馬城址公園」を指定した。それから長年にわたり具体化はしなかったが、石原慎太郎知事時代の2011年に事態が動いた。

   東日本大震災が起きたこの年に発表された「都市計画公園・緑地の整備方針」改訂版では、新たに整備する「新規事業化区域」のひとつとして、練馬区春日町1丁目と向山3丁目の21万9000平方メートルで構成される「練馬城址公園」を挙げている。計画期間は、11年度から20年度までの10年間と定められ、まもなく最終年度に突入する。

   同時公開された「参考図」を見ると、としまえんの主要施設があるエリアが、敷地内を東西に流れる石神井川をはさんで、すっぽりと覆われている。網掛けされた区域部分には、隣接する温浴施設「豊島園 庭の湯」や、「トイザらス」「ベビーザらス」としまえん店なども含まれるが、シネマコンプレックス(映画館)の「ユナイテッド・シネマとしまえん」は範囲外にある。

   都は、公園整備によって、防災機能の強化をもくろんでいる。優先整備区域の選定理由については当時、

「公園、緑地が持つ機能と役割について、防災、環境保全、レクリエーション、景観の魅力、この四つの視点と水と緑のネットワークを形成する上での重要な位置づけ、こういった点から重点化を図るべき公園、緑地を選定しております」(11年10月4日、都議会都市整備委員会での都市づくり政策部長発言)
「緑地が持つ本来の機能の発揮はもとより、本年三月に発生した東日本大震災を踏まえまして、防災機能強化等の視点から優先整備区域としております」(11年11月8日、都議会環境・建設委員会での都公園緑地部長発言)

などと説明していた。

遅々として公表されない整備計画

   方針決定から、8年ちょっと。都知事は石原氏、猪瀬直樹氏、舛添要一氏、小池百合子氏と変遷したが、その動向はあまり伝えられないまま時は過ぎた。小池知事就任後の16年12月に出された、都の中期計画「都民ファーストでつくる『新しい東京』~2020年に向けた実行プラン~」でも、18年度に「練馬城跡公園」(原文ママ)の整備計画を策定するとしているが、現状どうなったかは聞かれない。

   ただ、その間にも東京都議会では、しばしば公園整備をめぐる議論がされている。直近では19年12月11日の本会議で、練馬区選出の尾島紘平都議(都民ファーストの会)が、「事業化のリミットも来年度に迫った」現時点での整備計画の進捗を質問した。これに対して、三浦隆・都建設局長は「引き続き、地元区と緊密に連携をとりながら、整備計画の策定に取り組んでまいります」との回答にとどめている。

   同様の議論は、地元の練馬区議会でも行われてきた。19年9月5日の本会議では福沢剛区議(自民)が都との協議内容を質問し、森田泰子・区企画部長が「現在のところ、具体的な整備内容やスケジュールは示されていません」と答弁している。

練馬なのに「としま」な理由とつながる「練馬城」

   公園の名前からわかるように、かつてこの地には「練馬城」が存在した。14世紀に豊島氏が建てたこの城は、太田道灌に攻め込まれ、後に落城したとされている。それから約400年たった1926年(大正15年)、跡地に作られた遊園地には、豊島氏にちなんで「練馬城址豊島園」と名付けられた。豊島園なのに豊島区にないのは、こういう事情があるのだ。

   住所は100年近い歴史の中で、東京府北豊島郡上練馬村→東京都板橋区→東京都練馬区と移り変わった。90年代には「史上最低の遊園地。」といった広告が話題になり、都営12号線(現:大江戸線)の開通で、交通アクセスも改善。バラエティー番組「水曜日のダウンタウン」(TBS系)の企画で、安田大サーカス・クロちゃんが園内に「収監」され、見物客が殺到した騒動(2018年12月)も記憶に新しい。

   いまでこそ「気軽に行ける遊園地」といった印象だが、開園当初のとしまえんは、どういう姿だったのか。18年12月3日の読売新聞(東京版朝刊)では、「『としまえん』なぜ練馬区に? 豊島氏居城跡に遊園地」のタイトルで、としまえんの広報担当者と、郷土史家の葛城明彦氏のコメントを掲載。葛城氏は「遊園地とはいえ、練馬城の城址公園との意味合いが強かった」と指摘していた。幼少期から通っていた筆者としては残念ではあるが、「本来の姿」に近くなるのであれば、それはそれでアリなように思える。

(J-CASTニュース編集部 城戸譲)