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外岡秀俊「コロナ 21世紀の問い」(3) 隠喩としてのコロナ

   「新型コロナウイルス」と、「コロナ禍」は違う。前者は自然界に存在する脅威だが、後者はヒューマン・ファクターが加わり、人が作り出し、人を巻き込む活動の総体だ。ウイルスを「正しく恐れる」だけでは十分ではない。ウイルスが表象するものを見極め、差別や偏見にとらわれないことが必要だろう。

  • スーザン・ソンタグ(1933~2004)。20世紀米国を代表する批評家、小説家。「こころは体につられて(上・下)」(河出書房新社)など、著書多数。
    スーザン・ソンタグ(1933~2004)。20世紀米国を代表する批評家、小説家。「こころは体につられて(上・下)」(河出書房新社)など、著書多数。
  • スーザン・ソンタグ(1933~2004)。20世紀米国を代表する批評家、小説家。「こころは体につられて(上・下)」(河出書房新社)など、著書多数。

日本災害医学会でのこと

   私が14日間の「自主隔離」に入ったのは、2020年2月23日で、ほかの人よりも多少早かったかもしれない。

   2月22日までの3日間、神戸市内で第25回「日本災害医学会」の総会・学術集会が開かれた。阪神淡路大震災25周年にあたる今年の総合テーマは、「これでいいのか、災害医療!」。いわば学会の原点を再確認する意欲的な場で、私は倫理委員会から「専門医講習」で話をするよう依頼された。

   演題は「震災取材から考える災害時の医療活動」にした。

   私は1989年に米西岸で起きたロマ・プリータ地震、95年の阪神淡路大震災、2008年の中国・四川大地震、11年の東日本大震災を現地で取材してきた。そうした経験をもとに、部外者の目で見た医療活動の課題について話してほしい。そういわれ、気軽な気持ちでお引き受けした。

   雲行きが怪しくなったのは、その1週間ほど前のことだ。学会の主力会員に「災害派遣医療チーム(DMAT)」の皆さんがいる。

   大災害の急性期にいち早く駆け付け、救急医療を担当する医師や看護師らのプロ集団だ。今回、そのDMATが、武漢からのチャーター便帰国者や、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客乗員への医療対応に当たっているという。

   学会には全国の一線から2000人以上の医療関係者が集まる。もしそこで新型コロナウイルスの感染が起きれば、いわば災害医療の中核が崩れ、機能不全におちいる。主催者はその問いを突きつけられた。

   今回の学会は3年前から準備してきた。石原諭・副大会事務局長によると、主催者は三つの選択肢を検討し、直前まで熟議を重ねたという。実行か、簡略化して実行するか、中止か。結果として、学会は第二の「簡略化した上での実行」という道を選んだ。

   懇親会など、不要不急の催しはすべて削ぎ落とし、感染者や濃厚接触者の対応に当たった会員には参加の自粛を求めた。厚生労働省のガイドラインに沿って、発熱などの症状のある人にも参加を控えるよう呼びかけた。会場には消毒液を備え、手洗い励行を訴えた。

   会場に行くと、学会は異様な緊張に包まれていた。自分たちの仲間が最前線で対応に当たっているのだから、当然だろう。関係者によると、自粛要請を知らず、当日学会に来て事務局に断られ、やむなく引き返した会員もいたという。

   海外からの参加者は渡航ができず、プログラムのいくつは取りやめになった。それでも、あえて学会を開いた意義はあった。穴のあいたプログラムを埋めるかたちで、新潟大学大学院で国際保健学を担当する斎藤玲子教授が、「日本でいま起こっていること」と題する緊急特別講演を行い、最前線の医療従事者が新型コロナウイルスの特徴や対策、現状などについて、知見を共有できたからだ。

   斎藤教授は疫学曲線や多くのデータを示しながら、その時点ですでに、クルーズ船では感染がピーク・アウトしつつあること、今後に市中感染が広がれば、医療崩壊を防ぐために、軽症者は自宅療養をしたほうがいいことなど、的確な見通しを語っていた。

   その講演のあと、大会長を務めた中山伸一・兵庫県災害医療センター長に会って感想を申し上げた。中山氏は、「やって良かったと思う」とうなずいた後、「だが、彼らを十分守ってやれなかった」と苦渋の表情を浮かべ、私に一枚の紙を渡してくれた。その後、学会で採択する予定の声明案だった。

「新型コロナウイルス感染症対応に従事する医療関係者への不当な批判に対する声明」

   その文章によると、学会員らはチャーター便での帰国者約800人、クルーズ船の乗客乗員約3700人に対し、搬送調整約700件、船内で診療したうえで救急搬送した重篤者の事例170件余、さらには1800人への処方薬の配布などの活動をしてきた。

   ところが、自らの身を危険にさらしたこうした医療従事者の中に、職場で「バイ菌」扱いされるなどのいじめを受けたり、子どもの保育園・幼稚園から登園自粛を求められたり、さらには職場管理者から、現場活動したことについて謝罪を求められるなど、「信じがたい不当な扱い」をされた人が出ているという。

   声明は、「当事者たちからは悲鳴に近い悲しい報告が寄せられており、もはや人権問題ととらえるべき事態」だと述べ、「偏見や先入観に基づく批判が行われることは決して許されない」と抗議している。

   DMATは、阪神大震災での災害医療対応が十分でなかったことを教訓に、05年に創設された。鍛えられたプロ集団だが、今回のような大規模感染に特化した訓練を受けた人はいない。今回は、感染下で対応できる実働集団がいないため、政府の感染対策の穴を埋めるべく、通常の手順を踏まないかたちで急派された。その奮闘を称えてしかるべきなのに、あろうことか、排斥や偏見の的になった。

   「彼らを守ってやれなかった」と悔やむ中山氏は、DMATの半数以上の隊員育成に携わってきた。「育ての親」ゆえの悔恨なのである。

スーザン・ソンタグの分析を吟味

   コロナウイルスの医療対応にあたった会員は参加を自粛した。しかし、同じ職場の関係者や先輩後輩が濃厚接触した可能性は消し去れない。23日に札幌に帰った私は、その日から自宅での「自主隔離」に入った。その6日目の28日には北海道の鈴木直道知事が独自の「緊急事態宣言」を出し、3月19日にいったん宣言は解除されたものの、4月7日には政府が緊急事態宣言を出し、5月4日に延長された。「自主隔離」を始めてから「巣ごもり」は、ほぼ3か月になる見通しだ。

   その間、かつて読んだ本を再読することが増えた。あらゆる災害や大事件がそうだが、暮らしを支える日常性という文脈が大きく変わると、読むものや見るものが、それ以前とは一変することがある。人工照明のもとで見ていたものが、太陽光のもとで本来の輝きや質感を取り戻すのに似ている。

   私にとってはアルベール・カミュの「ペスト」がそうだった。かつては極限状態にある人間を描く寓話や仮構ととらえていた物語は、まさにコロナ禍の「今」を描くリアルな人間ルポと思えてくる。

   理不尽な批判や非難にさらされたDMATのことを考えながら、もしやと思い手に取ったスーザン・ソンタグの「隠喩としての病い エイズとその隠喩」(富山太佳夫訳、みすず書房)も、自分にとっては、今まさに再吟味すべき本だと思えた。

   米国の文芸批評家ソンタグは、75年にガンに罹っていると知り、78年に「隠喩としての病い」を書き、89年にはその続編というべき「エイズとその隠喩」を発表した。本書はその合本の翻訳である。

   ソンタグの仕事は写真論や映画論など多岐にわたり、「文明批評家」の呼称がふさわしい。人の病をテーマに取り上げたこの本も、彼女という大樹が伸ばした多くの枝の一つであり、その後、この「病の文化誌」という枝から無数の小枝が茂り、花々を咲かせている。

   彼女の批評のターゲットと、方法論は明快だ。病は病ととらえ、患者はその時々の医療水準に応じた治療を受けるしかない。だが、真に病に向き合うには、そこに投射されるさまざまな不安や恐れ、意味づけをはぎ取り、病にまつわる「神話」を解体しなければならない。

   自らガンになったソンタグは、患者が社会からスティグマ(烙印)を押され、差別や偏見の対象となることを知った。なぜ、どのようにして病はスティグマとなるのか。それを文化史や文芸史にたどって考察したのがこの本だ。

   「隠喩(メタファー)」についてソンタグは、アリストテレスが「詩学」で用いた簡潔な定義を引用する。「隠喩とは、あるものに、他の何かに属する名前をつけることである」。

   あるものを、それとは違う何かに似ている、と思うこと、そう想起させることが隠喩ということになる。つまり人は病に対し、病ではない何かの意味を投射している。それがソンタグの批評の出発点だ。

かつては結核とガン

   ソンタグは隠喩に飾り立てられた病の典型として、19世紀の「結核」と20世紀の「ガン」を取り上げる。いずれも、当時の医療水準では手に負えない正体不明の病とされた。

   不治の病であれば、本人に病名を知らせることは死刑宣告にも等しい。だが、心臓病の患者に病気を隠そうとする人はいない。結核やガンの患者に病名を知らせないのは、そこに何か不吉なもの、おぞましいものが感じられるからだ。

   ソンタグによれば、語源的には結核もガンも、「突起」や「腫物」に由来し、区別されなかった。それが区別されるようになったのは、19世紀に細胞病理学が進み、結核が細菌性の伝染病であり、ガンが細胞活動の一種であることが分かってからだ。

   近代以前の流行病は、「病気は悪行への罰」という反応を引き出し、「病気は社会に対する審判」だという価値観をもたらした。トゥキィディディスは紀元前430年のアテネで発生したペストが無秩序と無法状態を生み出したことを描き、ボッカチオの「デカメロン」は、1348年のペストの大流行がフィレンツェにもたらした堕落や悪行を暴き出した。

   だが、近代以降は、審判は社会にではなく個人に下されるという病気観が広がり、病気は個人の性格や感情の発露という見方が支配的になる。19世紀の芸術家は結核をロマン派風に抒情的に描き、患者を「繊細」さと「憂愁」のイメージで彩った。

   20世紀になって結核の治癒が一般化すると、代わってガンが不治の病の主役になる。ソンタグによると、ガンをめぐる比喩は、「憂愁」からその魅力を引き去った「暗鬱」のイメージである。得体の知れないガンは「殺し屋」として描かれ、患者は「ガンの犠牲者」として描かれる。病気の心因説では病気になるのも回復するのも最終的には病人の責任なので、「魔性の敵」とみなされるガンは命を奪う病気であるのみならず、「恥ずべき病気」にもなる。

   こうして病は、社会からさまざまな隠喩を投射されるが、その負のイメージが定着すると、今度は病自体が、社会に対する隠喩となる。ヒトラーは1919年のユダヤ人攻撃演説で、ユダヤ人こそ「諸民族の間に人種的な結核」を生み出すと非難し、30年代になると、ユダヤ人問題をガンにたとえ、その治療のためには周辺の健康な組織の多くを切除しなくてはならないと説いた。

   こうして政治の場でガンを比喩として持ち出せば、それは即刻、暴力や強硬手段を使わなければ生命にかかわるような社会的疾病を意味するようになる。それはイデオロギーや政治的な信条とはかかわりがない。トロツキーはスターリン主義を指して「マルクス主義のガン」と呼び、中国では文化大革命を主導した四人組を「中国のガン」にたとえた。アラブ陣営はイスラエルを「アラブ世界の心臓部に巣食うガン」と呼んだ。それは、すぐに切除しなければ命にかかわる疾患を意味し、強硬手段を誘発する比喩として使われる。

   ソンタグはガンに関する記述の多くに戦争用語が使われることに注意を喚起している。ガン細胞はたんに増殖するだけでなく体を「侵し」、体のずっと離れた部位に「植民地を作る」。体の「防衛力」が弱ければ、「腫瘍の侵略」が続き、ガン細胞を「殺す」ためには、患者の命さえ救えれば、体にどんな害があってもかまわない、とされる。

   こうして病は、社会からさまざまな負のイメージを投射され、やがてはそれ自体が強烈な隠喩となって社会を動かしていく。

「エイズとその隠喩」

   ソンタグが「隠喩としての病い」を発表したのは、ガンがまだ「不治の病」であり、病名の告知が死刑宣告と等しい時代だった。もちろんその後はガン治療が進み、早期発見早期治療の方針が社会にいきわたるにつれ、患者への告知はもちろん、ガンに罹患したことを公言することも自然になった。ガンそのものは克服されていないが、社会はガンに適応し、人々はガンと共存しながら生き、仕事や暮らしを続けることができるようになった。

   ソンタグがその続編を書いたのは、ガンに代わってエイズが「隠喩としての病い」の主役として登場した時期だった。正体不明の不治の病。しかも感染性ウイルスによる症候群で、潜伏期間が長く、すぐには発症しない。

   かつてのガンは、イコール「悪」とみなされ、患者はガンに罹ることを恥ずべきこと、隠すべきことと感じてきた。エイズの場合、恥ずかしさと罪の意識はひとつになる。血友病などを除く多くの場合、エイズはある「危険なグループ」、つまりは同性愛の男性という「除け者集団」のメンバーであることを証明し、患者を社会から分離し、いやがらせや弾圧にさらす隠喩になった。

   ガンは喫煙や過飲など、不健全な生活や、不摂生な習慣と結び付けられやすかった。エイズは薬物への惑溺や性的逸脱のイメージをかき立て、患者に「見境のない欲望にとりつかれた人々」というスティグマを刻印する。ガンの診断はかつて、家族が患者に隠してしまうことが多かったのに対し、エイズは患者の方が家族に隠すことが多い、とソンタグは言う。つまりその病は患者を社会的な差別と排斥の的とし、最も親しい人々からの孤立をもたらす。ガンが、個人化した近代的な病いの代表であったのに対し、感染性のエイズは、ペストやコレラといった前近代的な流行病の恐怖の再来とみなされるようになった。

   かつて流行病は個人ではなく、集団にとっての災難であり、共同体に対する審判とみなされていた。だが人々が地域や国を超えて接触するにつれ、流行病は、ある種の「逸脱」した個人が外部からもたらす疫病と受け止められていく。

   15世紀末に欧州を席捲した梅毒は、イギリス人にとっては「フランス病」、パリジャンにとっては「ゲルマン病」、フィレンツェの人々にとっては「ナポリ病」だった。ソンタグは、流行病を「外来性」とみなすこうした比喩は、自分たちとは異質の「外部」を「悪」とみなす太古の時代の感覚に由来しているかもしれない、と言う。

   エイズもまた、欧米にとっては、そうした外来性の「悪」と受け止められた。それは「暗黒大陸」に発し、次いでハイチに、米国に、欧州に波及した熱帯性の病気とされてしまった。欧州では、自分たちが侵略者、あるいは植民者として、過去に南北アメリカやオーストラリアに天然痘などの疫病をもたらしたことについては驚くほど無感覚だ、とソンタグは言う。

   さらにソンタグは、疫病の隠喩は道徳のたるみや背徳を明るみに出し、社会の危機に即決の審判を下すための必需品だという。それは怒号とともに、反リベラル、反歴史的な思考を後押しする。さらに流行病は、外国人、移民の流入を禁止せよという声を引き出す。これまでも外国人嫌悪のプロパガンダでは、移民は必ず病気の運び屋とされてきた。フランスの政治家ルペンは外来のエイズが蔓延すると主張して不安を煽り、国家規模で保菌者全員の強制的な検査と隔離を求めた。

   恐ろしい病気の流行は、必ず寛大さや態度の甘さへの批判をかきたてる。国家や文明社会、世界そのものが存亡の危機に直面しているという「緊急事態」においては、「思いきった手段」が抑圧の口実にされがちだ。そうソンタグは警告する。

   こうして負のイメージを投射されたエイズは、それ自体が強烈な隠喩となって人種差別や偏見を煽り、社会を動かしていくことになる。

   そうした考察を重ねたソンタグは、すでにある疫病と、やがて来るはずの世界病の違いは、現在の限定戦争と、やがて起こりかねない想像を絶するほど恐ろしい戦争の違いに似ているだろうという。

「容赦なく死者の数を増やし続けている現実の疫病のむこうに、われわれが起こると思い、かつ起こらないと思っている、質的に異なる、はるかに大きな災厄が待っているのだ」。

   こうした予告を述べたうえでソンタグは、病をめぐる言説について、「せひとも退却してほしい隠喩が二つあるという。一つは病気の人々を排除し、烙印を押すにあたって、過剰動員をかけ、過剰描写をする「軍事的な隠喩」だ。そしてもう一つは、その逆の「公共の福祉」の医学的モデルだ。「それは権威主義的な支配をたくみに正当化するだけでなく、裏でこっそりと、国家のヒモつきの抑圧と暴力の必要性を示唆したりするからだ」。

    これには補足が必要だろう。「公共の福祉」や「公衆衛生」には、「人々の安全安心のため」という大義があるため、一見、「戦争」とは全く逆の「平和」なイメージがつきまとう。だが、使い方によっては、これも「強制」を伴い、人々を萎縮させることがある。ソンタグはそう指摘している。「安全安心を守るために」という口あたりのいい惹句で、基本的な人権の剥奪や制限を続けることにも、注意しなければならない、という意味だろう。今の日本のように、政治家が専門家に判断を「丸投げ」をしていると、政治家が責任を取らないばかりか、専門家の言い分を借りて、権利を抑え込んだり、社会に過度な同調圧力が広がりかねない。

   病に対しては、医療で向き合うしかない。病に投射された負のイメージに恐れおののき、不安になってはいけない。やがて病それ自体が強烈な隠喩になって独り歩きするときは、戦争と抑圧の合理化に使われることを疑え。

   病をめぐるソンタグの考察を、そう要約してもいいだろうと思う。

ソンタグならコロナ禍をどうとらえるか

   ソンタグがもし生きていたなら、今回のコロナ禍をどうとらえるだろう。

   新型コロナウイルスは、かつて登場した流行病の初期段階と同じく、治療薬もワクチンもまだない。厄介なのは、感染力が強いのに、無症状や軽症で終わる人もいる一方、急速に重篤化して死に至る人も多い点だ。誰が感染しているのか、自分が感染しているのかすらわからないという宙づりの感覚が、不安の根源にある。

   その不安は、感染者や濃厚接触者、さらには、あろうことかその治癒にあたる医療従事者にまで投射され、差別や偏見を生み出す。

   「万人の万人に対する不信」という全方位型の対人不信が、日常に根をおろして歯止めがきかなくなってしまう例といえる。

   さらに、平穏な日常をかき乱す「外来性」の流行病という隠喩は、外国人や移民に対する敵意や拒否をかき立てがちだ。

   多くの国家指導者は今回のコロナ禍に「戦争」という比喩を持ち出し、行動制限や営業制限を訴えた。強力な感染には隔離が必要で、一時的には強硬措置もやむを得ない。だがその一方で、経済活動が停滞し、困窮が進んで社会の不安が高まれば、「感染防止」の旗印のもとに、強硬措置が常態化する恐れも否定できないだろう。

   「新型コロナウイルス」と「コロナ禍」は違う。前者に対して私たちは、医療や公衆衛生の専門家の助言に従って「正しく恐れる」しかない。だが人間や社会がかかわる「コロナ禍」に対しては、ソンタグの考察にならって、さまざまな隠喩をはぎ取り、批判し、警戒を緩めてはならないと思う。

   まず私たちが「生と死」という日ごろ忘れていた問いを眼前に突きつけられ、恐れおののいていることを認めよう。その根源的な恐怖は、気晴らしや紛らわし、他人を非難することでは消えることがない。その恐れに向き合い、醒めたまま耐えることが第一歩だろう。

   私たちは誰もが早く平穏な日常、平穏な社会を取り戻したいと、切に願っている。だが、その「平穏」さは、ただ「健康」だけを意味しているのではない。この困難な中でも「健全」な社会を保ち続けること。それが「平穏な日常」に戻る唯一の道だろうと思う。

ジャーナリスト  外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。