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学長が開学直前、コロナに倒れた― 生死をさまよった体験から、リーダーは何を得たか【#コロナで人生変わった】

   志をもって新事業の準備を進め、いよいよ船出を迎えようとしていたその直前に、新型コロナウイルス感染が発覚し、ICU(集中治療室)に入室――そんな急転直下を経験した男性がいる。一般社団法人S.E.Aの中田仁之(ひとし)代表理事だ。同法人は、アスリートのセカンドキャリアを支援する「日本営業大学」の開学を控えていた。

   生死の狭間をさまよった中田氏。無事に退院した時、強く抱いたのは「周囲への感謝」だった。そしてこうも言う。「自分はこの事業をやるために回復したのだと思います。覚悟が決まりました」。感染前後、中田氏と法人に何が起きていたのか。中田氏が2020年6月2日、J-CASTニュースのインタビューに応じた。

  • 一般社団法人S.E.A代表理事、日本営業大学学長の中田仁之(ひとし)氏
    一般社団法人S.E.A代表理事、日本営業大学学長の中田仁之(ひとし)氏
  • 一般社団法人S.E.A代表理事、日本営業大学学長の中田仁之(ひとし)氏

40度の発熱が続き、PCR検査で陽性

   「何とかあと1週間、4月6日までもってくれと思っていました」。中田氏は40度の高熱が出た3月29日のことをそう振り返る。だが、自宅で数日間療養しても熱は下がらず、かかりつけ医に市民病院の紹介を受けた。4月2日、入院と同時にPCR検査を受けると、4月4日に陽性が判明した。ただ、中田氏自身は高熱で意識が混濁しており、この時点で陽性の事実を知らないままだった。

   中田氏はコロナ禍でもとにかく東奔西走していた。「休める日がありませんでした」というように、走り回らざるを得なかったというほうが正しいかもしれない。S.E.Aは4月6日、「日本営業大学」の開学を予定していたからだ。同法人代表で同大の学長をつとめる中田氏はこの開学直前期、受講生や関係企業などとの調整に追われる毎日を過ごしていた。

   日本営業大学は、スポーツ経験のある人を対象に、ビジネスの場で必要なコミュニケーションスキル、ITスキル、経済の仕組みなどを教育し、さらに企業や社会とつなぐ機関。現役選手でも引退後でも、プロでもアマチュアでも、アスリート歴があれば入学の対象となり、セカンドキャリアを支える。

   単なる就職あっせんではなく、「その手前の協力が大事だと思っています。彼ら彼女らの考え方を変えてあげないと、会社に入ってもすぐに『サードキャリア』の問題に直面してしまいます」と話す中田氏。授業料は入学時でなく、就職後に支払ってもらうなど、職場に定着するまで支える。元アスリートにどうなってもらいたいのか。

「幅広くノウハウやスキルを習得してもらいながら、自己肯定感を向上してもらいたいのです。社会に出ていくことが不安なんです。『自分は野球しかしてこなかった』『私からスポーツを取ったら何も残らない』。そう思っている元アスリートに、『そんなことはない。自分にもできるんだ』と自信を思ってもらいたい」(中田氏、以下同)

出発点となったある若者との出会い

   アスリートのセカンドキャリアを支える――中田氏がこうした事業を起こすきっかけとなった出来事がある。「4年半ほど前、ある若者との出会いが僕の出発点でした」。その男性Aさんは、高校時代に野球部で甲子園に出場し、スポーツ推薦を受けて鳴り物入りで名門大学へ。だが入学後、地方出身の無名選手にポジション争いで敗れてしまった。

   その現実を受け入れることは、Aさんのプライドが許さなかった。必死で練習したが、体は耐えられなかった。肩と肘を壊し、野球ができなくなってしまったのだ。大学も辞めた。そしてアルバイトを転々としていたAさんに、中田氏は出会った。

「『僕の人生のピークは20歳ですよ』と拗ねていたんです。でも、そんなわけない。『野球では確かに20歳がピークだったかもしれないけれど、人生は長いんだぞ』と背中を叩いて、ビジネスの世界で生きていくための実学を教えることにしたんです。『社会の動きはこうなっている』『引退した選手はこうやってキャリアを築いてる』と色々教えました。就職の世話もしたんです」

   ビジネスパーソンとして第2の人生を歩み始めたAさんに、中田氏は言われた。「僕みたいに社会に馴染めなくて困っている元アスリートはたくさんいます。中田さん、救ってあげてください」。これが日本営業大学の発想の原点となった。

   中田氏自身、大学時代まで野球一筋、日本代表まで経験した元アスリート。ビジネスの世界では中小企業診断士の資格を持ち、数多の経営者を見てきた。「今後、アスリートのセカンドキャリアが日本の課題になってくるに違いない。力になりたい」。中田氏は自身の経験を生かしながら、日本営業大学の立ち上げに向けて動き出した。

   「選手たちの受け皿になりたいんです。『困ったらあそこに行けば何とかなる。だから今は現役で頑張ろう』と思ってくれれば」と語る中田氏。それから約3年後の19年2月、日本営業大学を20年4月に開学することをリリースした。

10日間意識がない状態に

   20年4月開学にこだわった最大の理由は、東京五輪にある。

「7月の東京五輪までに我々が形を作っておかないと、引退後のアスリートの受け皿になれないと感じていました。正確な数字はわかりませんが16年のリオデジャネイロ五輪では3万人が日本代表を目指し、約300人が出場しました。東京五輪は、リオで引退を考えたけど東京で最後にもう一花咲かせようという選手もおり、5万~6万人が代表を目指すとされています。ということは、東京五輪前後でものすごい数の引退選手が出てきます。実際に最近でも、新型コロナウイルスの影響でスポンサー契約を途中で打ち切られてしまった選手がいます。五輪が終わったらもっと出てくるでしょう」

   そんな思いで準備を進めてきた日本営業大学だが、先述のとおり、中田氏の新型コロナウイルス陽性が判明。初期症状としてメディアで伝えられていた嗅覚異常、味覚異常、呼吸器症状などはなく、発熱だけが続いた。血中酸素濃度が低下し、4月6日にはICUに入室した。それから同月16日までの10日間、意識がない状態だった。

   これまで、関係者との折衝のほとんどは中田氏が直接進めてきた。実際、大半の受講生、外部の講師、会員企業は、中田氏の人脈を中心に当たって募ったという。第1期受講生には、元プロ野球・北海道日本ハムファイターズで19年オフに引退した森山恵佑氏など8人。講師は1級ファイナンシャル・プランニング技能士、社会保険労務士、税理士、弁理士、マーケティング専門家など30人以上。会員企業は38社ある。

   日本営業大学は「中田氏ありき」で様々な決定をしてきた。その中田氏が開学予定日に感染で不在。その間、同大はどう運営していたのか。まず入院した4月2日、中田氏が同大事務局員と検討し、開学日の延期を決定。その後は、事務局員のみで中田氏の穴を埋めようと奔走した。

休んでいる間に抱いた「周囲の皆様への感謝」

   たとえば、入学予定の第1期受講生には1人ずつ、キャリアコンサルタントと事務局員の2人でZoomを使ったオンライン個別面談を実施。開校式が延期する中、どんなことを学んでいきたいか、今後どうなっていきたいか、適性検査にもとづく特性の確認、伸びしろなどを1時間ずつ話す。カリキュラムに沿って開学の前に授業を選択し、選択科目に応じたテキストの配布なども済ませた。外部の講師についても、オンライン授業に対応できるよう、ウェブ環境の整備と確認を1人1人進めた。会員企業にも開学延期とその間の見通しを説明している。

   ある局員は「(中田氏がICUに入っていた)10日間は3か月くらいに感じた」という。一方、局員や講師の多くは中田氏とのつながりが強かっただけに、中田氏不在の間に横のつながりが増し、密なコミュニケーションを取るようになっていった。

   こうした10日間を、中田氏は意識が戻った4月16日以降に知ることになる。

「感動しました。受講生向けのウェブセミナーにも、僕が退院してしばらくしてから講師として立たせてもらいました。退院から数日間はしゃべるのも厳しかったのですが、『今こういう企画をしているのでどこかで話してもらえますか』とスタッフから説明を受けて、本当に嬉しく思いました。

『受講生の皆様を待たせるから何かできることはないか』『会員企業様にどういうメッセージを出せばいいか』。それを局員がみんなで企画し、実際に動いてくれていたんです。私がこのスタッフたちについていこうと思いました。安心して任せられる」

   回復して退院したのは4月20日。徐々に仕事に復帰すると、ある思いを強く抱くようになったという。

「休んでいる間に、周囲の皆様への感謝をものすごく感じるようになりました。私は3週間ほど入院して、そのうち10日間ほどは連絡もまったく取れない状況でした。それでも日本営業大学の開学準備は粛々と進んでおり、モチベーションを喚起してくれていました。できる範囲のことをみんながやってくれていたのです。本当に素晴らしい人たちに恵まれました。

ICUから出て一般病棟に移った後、医師には『どちらに転んでもおかしくなかった』と言われていました。その中でこうした状況を知って、『自分はこの日本営業大学をやるために回復して帰ってきたんだ』と、事業を進めていくことへの覚悟を持てました。本気で思ったんですよ。それくらいスイッチが入りました」

「良い意味で『人生変わった』と思っています」

   入院中は意識がない中で、一度自分につながれているチューブを噛みちぎったと後から知った。歯が折れ、体重も8キロ減少。体力も落ちたが、ウォーキングなどのトレーニングをはじめ、元に戻りつつある。

「スタッフや講師の方々の専門性をもっと生かしていかないといけない。そして自分を支えてくれる方々への感謝をもっと表現したい。感謝はずっとしていましたが、言葉にして伝えていかないといけないと強く感じました」

   1か月の延期を経て、日本営業大学は5月に無事開学を果たした。「まずは私たちを信じて未来を預けに来てくれた1期生を送り出すことに全力を尽くします」という中田氏。本部を置く大阪校と東京校の2校から始まった日本営業大学だが、目標は大きい。

「受講生を育てていく中で徐々にスキームを洗練させ、札幌や沖縄にも拡大したいと考えています。最終的には海外展開していきたい。アスリートのセカンドキャリアの課題はアジアの国に多いんです。逆に欧米では少ない。ヨーロッパは公務員制度などが支えており、米国ではNCAA(全米大学体育協会)が大学時代にデュアルキャリアを歩ませる仕組みをつくっているのですが、アジアではこうした制度がなかなかありません」

   当座のメルクマールとしている東京五輪は、21年へと延期することが決まっている。「延期後の東京五輪の開催可否は10月に評価が下るとされています。もし仮に中止となった場合、ものすごい数の『アスリート難民』が出てくる可能性があります。それまでに、なんとか受け皿として形を作っておかないといけません。それが当面の課題です」と中田氏は言う。

   最後に、「新型コロナウイルスの影響で人生が変わったと思うか」と聞くと、こんな答えが返ってきた。

「私は良い意味で『人生変わった』と思っています。事業に確信を持て、覚悟が決まりました。周りに対する見方も変わりました。全部私が頑張って引っ張っていかないといけないと思っていたけど、そんなことはなかった。アスリートのために、社会のために、できることはまだまだある。そう信じて進んでいきます」

(J-CASTニュース編集部 青木正典)

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