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演劇のために上京した24歳男性は、コロナを機に就職を決めた 【#コロナで人生変わった】

   新型コロナウイルスで人生に影響を受けた人は数知れない。大好きな演劇を続けたくて、2年前に秋田から東京にやってきたこの男性もその1人。

「予定していた公演がコロナでなくなり、アルバイトも減って、収入は月4万円まで下がりました」

   このままでは生きていけない。選んだのは自分の気持ちを「裏切る」ことだった。彼の人生は、新型コロナを経てどう変わったのか。

  • 取材に応じた佐藤和さん
    取材に応じた佐藤和さん
  • 取材に応じた佐藤和さん

大学1年生で留年、3年生を終えて中退

   「計画性のない人生だったと思います」。佐藤和(なごむ)さん(24)は自嘲気味に振り返る。宮城県石巻市で生まれ育ち、地元の高校から秋田大学理工学部に進学。1年生の時に留年すると、在学4年目となる3年生の年度末で中退した。

「秋田大は入試で2つ志望を選べるのですが、入学できた学科が第2志望で、どうにも勉強に打ち込めなかったんです。それに僕が3年生を終える時、同期は卒業することになります。仲が良かった演劇サークルの友人たちがいなくなって、楽しめるだろうか。不安に思って同期が卒業の時に中退しました」

   その後の人生を考えるにあたり、軸にしたのが演劇だった。「『演劇をずっとやりたい』という気持ちはあって、東京に引っ越すことを決めました」。18年4月に上京。東京を選んだのは「演劇に出られる機会が圧倒的に多いから」で、活動している演劇団体は秋田の100倍ほどあるという。「とにかく舞台にあがりたかった」と話すが、演劇で食べていきたいのか、という問いには「グレー」と答える。

「そうなれたら幸せですが、そのためにはいろんなことを勉強して、場数を踏んで、かつ機会に恵まれる運もないといけないと思います。しかも、それだけ積み上げても演劇だけで稼げる人は少ないです。僕は演劇がただただ楽しくて、ずっと続けたいんです。とはいえ演劇のために東京に飛び出してきているので、それもあまり計画性がないんですが...」

   プロは目指さず、特定の団にも属さず、やりたい時に演劇ができる環境にいたい、というところか。「物事に折り合いがつけられないんです」というように、大学時代は演劇を休んで就職活動する気力もわかず、「演劇しかやってなかった」と言うほど打ち込んでいた。

高校の市大会で最優秀賞、ますますのめり込む

   その出会いは中学3年生の時である。高校受験のため通っていた塾講師の子どもが、佐藤さんの志望校に通う1歳上の先輩だった。

「その先輩が演劇部、当時は演劇愛好会に所属していました。『どういう活動をしているんですか?』と聞いたら、『週刊少年ジャンプの回し読みをしてるよ』と。面白そうだと思いました。志望高校に無事入学できて、演劇愛好会を見学した時もやっぱり楽しそうで、入ることを決めました」

   高校2年生の時、愛好会から演劇部に格上げされ、市大会にも出場できることになった。そこで「人生3本の指に入る感動」を味わった。

「石巻なので、震災や津波をテーマにする学校は多かったです。僕らは同じことはやらないと、あえて違うテーマで舞台を考えました。将来のことを悩んでいる女子高生が、通学の電車内で出会う一癖も二癖もある乗客と接する中で、自分の進路について深く考えていく、というあらすじですが、それでまさかの最優秀賞と県大会出場となりました。結果発表の時に全然呼ばれないのでダメだと諦めていた時に、最後の最後で呼ばれて感動しました。人生のハイライトの1つですね」

   ますます演劇にのめり込み、大学でも迷わず演劇サークルへ。楽しかった一方、演劇漬けの毎日となった。稽古のため平日の授業後約3時間、それに土日も費やす日々。だが、厳しさの中にやりがいがあった。

「小学5年生の役を主要キャストで演じたことがあったのですが、下手くそで練習中もコテンパンに怒られて...先輩が食事に連れていってくれた時、店内に流れていたアンジェラ・アキさんの『手紙』を聞いて泣きました。それでもどうにか本番で演じきって、打ち上げで読んだお客さんのアンケートに『小学生の役、ご苦労をお察しします』と書いてありました。感動してまた泣きました。やり切った実感がありました。その後も、一般のお客さんに来ていただく大きい公演が年2回、主に学内でやる小さめの公演が年3回あって、色々な役を演じました。没頭していましたね」

   何がそこまで夢中にさせるのか。「何でしょうね...改めて聞かれると難しいですね。面白いんですよ。自分じゃない役になりきる非日常感がたまらないんだと思います」。好きな俳優は森山未來さんだという。

コロナで演劇とバイトがほぼゼロに

   東京に行ってからは居酒屋でアルバイトを続けた。週5勤務を基本とし、月収は約20万円。最もシフトに入った月は30万円以上稼いだ。

「最低限の収入はあったので生活はできました。舞台が入るとバイトの頻度が減るので、入れるときにできるだけ入るようにしていたんです。住んでいるアパートは家賃4万3000円。安いほうだと思います。極力安くしたかったので、不動産屋さんには『事故物件をお願いします』と頼んだのですが、審査が厳しいらしくて通りませんでした」

   東京に来て2年弱で8回ほど演劇の舞台に上がった。最初はツイッターなどで演者を募集している劇団に手当たり次第応募し、それを起点に演劇界隈でつながりを作った。

「なりふり構わなかったですね。僕は東京に地盤がありませんから、人と信頼関係をどう築くかってものすごく大切なんだとよく感じるようになりました」

   定期的に公演はできているが、演劇による収入はほとんどない。

「あって1回1万円です。出演料というのはなくて、演劇の収入はチケットノルマが基本です。僕自身が主催者からチケットを買い、それを人に売った差額が僕の手元に残ります。買ってくださる人を探すのに苦労します」

   主にアルバイトで生計を立てながら舞台に上がっていた佐藤さん。新型コロナウイルスが直撃したのは、そんな東京生活に馴染んできた20年2月のことである。

「コロナの影響で3月の公演がなくなりました。アルバイトも飲食店なので売り上げが激減し、シフトが大幅に削られました。アルバイト先から補償を頂きましたが、生活すべてをまかなえる金額ではありませんでした」

   最も沈んだ5月の給料は4万円まで下がった。追い詰められ、消費者金融に設けていた10万円分の口座を50万円分まで引き上げた。「この50万がもし底をついたら、いよいよ僕は終わりですね」と自ら認める綱渡り生活。演劇もバイトもなく、「毎日映画、漫画、ゲーム、ラジオ、時々散歩です。廃人生活だなと思ってました」と刺激がない。

初の就職「この先の人生、予想がつかなくなった」

   ただ、「どうにか7月まで生き延びられるかどうかの勝負だったんですよ」と佐藤さん。実はこの時、人生の転機を迎えていた。7月入社で正社員として就職が決まっていたのだ。

「コロナで収入がなくなって『このままじゃ生きていけない』と本気で思いました。だから3月上旬、ハローワーク(公共職業安定所)に駆け込みました」

   まずは話を聞くだけのつもりだったが、1回目の訪問で、ある企業の面接日まで決まった。

「職種は接客、販売、営業のどれかを勧められ、販売を選びました。そこから携帯販売を手掛けるある会社で面接を受けさせてもらうことになりました。大学中退で最終学歴は高卒、それにこの時期なので需要なんてあるのかなと思ってましたが、経験のためにも一度受けようと」

   コロナの影響で採用数を減らしていると聞いており、面接後も「まあ無理だろうな」と思っていた。ところが3日後、正社員として採用の連絡をもらうことになる。「驚きましたよ。最優秀賞をとった高校の演劇大会のような興奮を覚えました」。同時に「もう後に引けない」という思いもよぎった。

「この先の人生、予想がつかなくなったなと思いました。もちろんコロナの蔓延で予想はつかなくなっていたんですけどね。バイトしながらやりたい演劇をやっていた生活を、自分の決断で裏切った。それで僕は人生のルートが変わりました。今後自分がどうなっていくのか楽しみになりましたね。ワクワクはあります。根本が楽観的なのでどうにかなるだろうと思っています」

   2日間ほど同期入社組で研修もあった。「同期ができるのは楽しい」。1人で東京にやってきたから、一層そんな風に思うのかもしれない。

演劇は「一旦お休みですね」

   それにしても大学時代は就職活動をせず、夢中になっていた演劇のために身一つで上京した佐藤さん。就職という道を選ぶことに葛藤はなかったのか。

「葛藤ですか? あまりありませんでした。大学時代もそうでしたが、いろんなことに折り合いをつけられないんですよ。演劇だったら演劇ばかり。それに、人と違う方向を選びたがりで、逆張りみたいなことばかりしてました。就職活動をする気が出なかったのもそういうところだと思います。

でもコロナで演劇もバイトもなくなって、まったく生活が変わった時に、逆に就職してみたいと思うようになりました。自分に対する逆張りですかね。『一度、自分も裏切っていこう。だから就職しよう』と。特別な知識もないし、特別やりたい仕事もない。今までは好きな演劇ばかりやってました。だから変にこだわらず、自分で選択肢を絞らないようにしました。働かせていただけるところで働きたい」

   就職にあたって考えているのは「いろんな経験をしたい」ということだ。

「言い方は良くないかもしれませんが、2011年の地震と津波も『経験』と思う部分があります。僕は津波で家をなくしたんですよ。津波が実家の2階まで来て、近くで出火したのが家に移って、燃えてなくなりました。燃える家を、僕の隣で祖母が見ていました。祖父母がもともと持っていた家を、震災の2~3年前に増築して一緒に暮らしていたんです。たった3年だったとみんな悲しくなりましたし、今でも実家のことを思い出します。そのことを踏まえても『経験として大切なことだった』と思っています。人生のテーマとして知見を広げていきたいと思っているし、広げないといけない」

   この新型コロナウイルスを経て人生は変わったと思うか。「それは変わりましたよ。絶対に変わりました」と即答する。就職に前向きなのは伝わったが、演劇はどうしていくつもりなのか。

「一旦お休みですね。休まざるを得ないですし、仕事に集中してみたい。高校、大学、今と、演劇のない生活がなかったんですよ。一度演劇から離れて、それでも生きていけるならそこまでの存在だったのかもしれないし、離れることで逆に情熱が湧いてくるかもしれない。ただ、大学の同期と『卒業10年で集まって演劇やろう』と話しているので、それだけは果たしたいですね」

   演劇が好きで、ただただやりたかった気持ちを「裏切った」佐藤さん。「未知の人生ですが、目の前のことを頑張ります」と話している。

(J-CASTニュース編集部 青木正典)

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