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外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(14) 世界第3の感染者数インドにみる「経済再開」と「防止策」

   インドの新型コロナの感染者が2020年7月17日、百万人を越えた。百万人突破は米、ブラジルに次いで3番目だ。3月下旬、全土に「世界最大の都市封鎖(ロックダウン)」を発動したインドで、なぜ今になって感染が急拡大したのか。「経済活動再開」と「感染防止策」の両立は、かくも難しい。

  •      (マンガ:山井教雄)
         (マンガ:山井教雄)
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世界最大のロックダウンを実施したが

   インドのモディ首相は3月24日午後8時からテレビに出演し、緊張した面持ちで全国民に呼びかけた。首相は、その2日前から実施していた「日中14時間の外出自粛」への協力に感謝したあと、さらなる措置が必要だと訴えた。

    「ソーシャル・ディスタンシングだけが、このパンデミックに打ち勝つ選択肢だ。今夜零時をもって、全インドは完全な都市封鎖に入る。友よ、国民よ、21日間、家に留まってほしい。この21日間は死活的だ。もしこの21日を踏みとどまることができなければ、この国やあなた方の家族は21年前に逆戻りし、多くの家族は永遠に破壊されるだろう」

   両手の身振りを交えながら、白髪白髯のモディ首相はそう熱弁をふるった。演説では、「ともかく、家の境界を越えないでほしい」と繰り返し、古代叙事詩「ラーマーヤナ」に出てくる「結界」を引き合いに、「その先に出れば、コロナという災いが待ち受けている」と警告した。

   もちろん、モディ首相はその演説で、必需品の供給は確保するといい、都市封鎖で経済的な打撃を受ける困窮者には、小麦などの優先割り当てをすると言及したが、実施は演説開始からわずか4時間後のことだ。世界第2の人口大国にいる13億人は、こうして厳格なロックダウン下に置かれることになった。

   3月24日付の米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)によると、モディ首相の演説後にインド内務省はロックダウンに伴う「ガイドライン」を出し、詳細を明らかにした。それによると、国防、警察、財務など主要機関を除く全公館や役所、公園、学校、寺院などが閉鎖される。医療機関やメディア、インターネットに関わる業種も例外とする。さらに空路、鉄路、道路も閉鎖され、必需品の運搬や消防、警察、治安などだけが通行を許される。

   国民の暮らしにかかわる分野では、食料品店、薬局、ガソリンスタンド、銀行や、食品など必需品の配達も認められる。しかしそれ以外のレストランや店舗などは閉鎖になる。また、葬儀では参列者が20人未満に制限される。こうした措置に違反すれば、2005年の災害管理法に基づき、最大2年間の懲役が科せられるという。

   フランスなどと比べても、きわめて厳格なロックダウンであったことがわかる。

   その後、インド政府は、3度にわたって都市封鎖を延長した。在インド日本大使館のサイトによると、経過は次のようなものだ。

   1)4月14日付(この日の感染者1万363人、死者339人)5月3日までの延長を発表

   2)5月2日付(感染者3万7336人、死者1218人)5月4日から2週間の延長を発表

   3)5月19日(感染者10万1139人、死者3万1636人)5月31日までの延長を発表。ロックダウンに関する新たなガイドラインを示す。引き続き国内・国際線航空、メトロ鉄道サービスは停止。教育機関の閉鎖,映画館やモールなども営業停止。午後7時~午前7時までの原則外出禁止。自動車やバスなどの移動は一定の制限の下で許可。

   ところが、こうした厳しいロックダウンの延長ののち、インド政府は5月30日になって、突然段階的な緩和の方向に舵を切った。制限緩和は次のようなものだ。ちなみに、この2日後の時点で感染者は19万535人、死者は5394人だった。

   政府はこの日、封鎖ゾーンを除いて,今後ロックダウン措置を段階的に解除する方針を示し、解除に向けた新たなガイドラインを出した。それによると、ホテル,レストラン,ショッピング・モールは6月8日から営業を再開できる。州間や州内の人や物資の移動も制限がなくなる。他方,ガイドラインでは,州政府が独自に特定の活動を禁止・制限することもできるとしており、6月1日にデリー準州政府は,ホテルやレストランの営業を引き続き禁止し,モールなども閉鎖を継続すると発表した。

   「段階的解除」が、感染の広がりに応じて「まだら模様」になるのは、どこの国でも同じだ。問題は、この時点での「段階的解除」が適切かどうか、という点にある。それぞれの時点での感染者数、死者数に今一度注意を払っていただきたい。

   政府が3度目の延長を決めた時点で、感染者数はすでに最初に感染が広がった中国を上回る規模になっていた。それは、「段階的な解除」を決めた2日後には、倍近くにまで膨れ上がっていた。つまり、感染の抑え込みに目途が立ったから解除に舵を切ったのではなく、まだ勢いが衰えないのを知りつつも、方針転換せざるを得なかったと考えるのが適当だろう。

   その背景に何があったのだろう。

ロックダウンで1億人が失職、出稼ぎ労働者が地方に感染拡大

   産業や交通、ビジネスを全面的に停止する都市封鎖は、経済を直撃した。日本貿易振興機構(ジェトロ)の7月7日付「地域。分析レポート」によると、これまで7~8%で推移してきたインドの失業率は4月には23%にまで跳ね上がった。各国機関による2020年度のインドの経済成長率は軒並み低下を予測し、国際通貨基金(IMF)は4月14日、インドの本年度の国内総生産(GDP)成長率を1・9%と予測した。実に1991年以来の低成長率だ。

   構造改革や規制緩和などで、インドは21世紀には高度の成長を遂げ、2005~07年には3年連続で9%台を達成するなど、一時は中国を越える成長に沸いた。とりわけ、グジャラート州はインフラ整備や外資導入で成長が目覚ましく、その州政府首相としての実績を積んだモディ氏は、財界などの期待を負って2014年に政権の座についた。

   実際、就任から5年間の実質GDP成長率は平均7・5%の好成績だった。

   しかしインドは支出面で約56%、産業面では49%がサービス業に依存しており、この間の成長は多く、大都市における消費やサービス面の伸びによるものだった。

   モディ首相は、インフラ整備やビジネス環境の改善を進める一方、これまでGDPに占める割合が15%程度だった製造業を、25%にまで高める「メイク・イン・インディア」などの政策を打ち出した。しかし、昨年10~12月期には前年同期比で4・7%と成長率は約7年ぶりに低く落ち込み、インド経済にも陰りが見え始めていた。

   その矢先のコロナ禍と、都市封鎖である。インド国内大手のマルチ・スズキなど自動車販売はゼロになり、国内・国際線の運航停止で航空業界も打撃を受けた。ノムラ・シンガポールは4月に、今年度のインドの実質成長率見通しをマイナス0・5%に引き下げるなど、厳しい見方が広がった。

   それだけではない。インドには特殊な事情があった。インドでは都市封鎖中に約1億人が失職したといわれるが、その多くは、都市部で働く出稼ぎ労働者だ。売り子などサービス業で働く人々が、その日暮らしの職を失った。縁故を頼って故郷を目指そうにも、公共交通機関がない。やむを得ず、自転車で、徒歩で郷里に向かった。それが、大都市の感染をインド各地に広げた。

   インドの高度成長を支えたサービス産業の担い手が、都市封鎖で職を失い、やむなく郷里に帰り、感染の拡大を招いた。痛ましくも、厳格なロックダウンが経済を直撃したばかりか、それがさらなる感染拡大につながるという悪循環になったとみられる。制限の緩和によって、地方の出稼ぎ労働者が再び戻り、いったん沈静化したかに見える大都市でも再び感染の兆しが見える。

   実際、政府による段階的な制限解除の宣言後も、感染拡大が続く州では地域別に都市封鎖を継続したり、新たな制限をかけるところが出ている。

   たとえばムンバイ都市圏などでは、必要不可欠なサービスを提供する商店以外は,営業は午前9時から午後5時までに限られ、人の移動は、生活上必要不可欠な活動と営業活動のみが許される。買い物については居住地付近の市場や商店などに限り、不要不急の距離移動は許されていない。

   また、グジャラート州では夜間外出の禁止が午後10時から翌午前5時になり,レストラン営業は午後9時まで、商店営業が午後8時までとなった以外は、以前と同じ規制を続けるといった具合だ。

   さらにカルナータカ州は7月14日からバンガロール周辺に1週間の都市封鎖を行い、ビハール州は7月10日から同月末まで、独自の全面的な都市封鎖に踏み切った。

 朝日新聞の奈良部健ニューデリー支局長に聞く

   実際に現地では、どのような事態が繰り広げられていたのか。朝日新聞ニューデリー支局長としてインドを中心とする南アジアをカバーする奈良部健ニューデリー支局長(37)に7月15日、ZOOMで話をうかがった。

   奈良部さんは和歌山、新潟、東京、名古屋勤務を経て東京本社の経済部、政治部で勤め、2017年4月にニューデリーに赴任した。学生時代にインドでホームステイしたことがあり、インド勤務は入社以来の希望だった。

   奈良部さんは3月24日のモディ首相による「全土ロックダウン」宣言は、あまりに突然だったという。

   「夜の8時にテレビで会見し、4時間後の深夜零時には実施するという。会見では、具体的にどのような都市封鎖をするのか、休業や閉鎖に伴う補償はどうなるのか、詳しい説明はなかった」

   ニューデリーや商都ムンバイなどの大都市には、地方から来た膨大な出稼ぎ労働者が非正規労働に従事している。急に職がなくなり、収入を絶たれた人々は、故郷に帰って食いつなぐしかない立場に置かれた。しかも公共交通機関もなく、数百キロを自転車や徒歩で移動するしかない。その数は、数百万人とも3千万人ともいわれている。群れて帰途を急ぐ彼らのあいだで感染が広がり、それが地方に持ち込まれた可能性が高い。

   「十分な食料も持たず、水と下着だけを持って歩いて帰る人もいた。行く先々で食料を分けてもらい、夜は道端やガソリンスタンドで寝る人もいた。その時は、感染だけでなく、無事に故郷にたどりつけるかどうかもわからず、怖かったと話す人が多かった」

   厳格なロックダウンを実施したことについて奈良部さんは、「その措置の是非はともかく、政策的によく説明せず、混乱を招いた点では、説明に欠陥があった」という。

   感染が多いのは、商都ムンバイを擁する西部マハラシュトラ州、首都ニューデリー周辺、南部の製造業の拠点チェンナイなどの大都市だ。こうした大都市には、狭い家に何人もの家族が密集して住む貧困世帯の街があり、衛生環境もよくない。

   とりわけ感染爆発が懸念されたのは、推定で数十万人が暮らすといわれるムンバイのダーラヴィー地区だった。

   ここはダニー・ボイル監督が2008年に製作し、作品賞などアカデミー賞8部門を得た映画「スラムドッグ$ミリオネア」の舞台として世界的に有名になった場所だ。

   「4月にこの地区で感染が確認されたときには緊張したが、その後、地域で感染が拡大したという報道はない。ただ、ムンバイは映画ボリウッドを抱える町なので、つい最近も有名俳優が感染するなど、国民の関心も高い」

   奈良部さんがいうのは、7月11日に感染が確認された国民俳優アミターブ・バッチャン氏と息子のアビシェーク・バッチャンさんのことだ。翌日にはアビシェークさんの妻で元ミス・ワールドの女優アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャンさんと娘のアーラディヤさんの感染も確認され、ボリウッドの「大スター一家の3世代感染」のニュースが世界を駆け巡った。

   デリー周辺には、日本の首都圏と似た事情がある。先に引いたジェトロの7月7日付レポートによると、その事情は次のようなものだ。デリー首都圏は、首都のデリー準州の約1700万人に加え、周辺のハリヤナ州、ウッタル・プラデシュ州、ラジャスタン州の都の一部の都市が加わっており、人やモノが行きかう一体となった生活・経済圏だ。インドでは連邦と州が感染に応じて別途の制限をかけられるため、同じ首都圏でありながら違う対応策が取られ、交通が混乱したり、労働者が通えなくなるなどの混乱が生じたという。

   ロックダウン下で、奈良部さん自身はどのような生活を送っていたのか。

   「必需品買い出し以外は外出禁止だったが、食料品や金融機関、ガソリンスタンドは開いていて、生活に困ることはなかった。ただ、食料品店は入店者の人数が5人に制限され、店外には地面に2メートル間隔でチョークの線が描かれ、長蛇の列ができ、時間がかかった。家には日本人学校に通う小学生、現地校に通う幼稚園生がいるが、いずれも休校・休園になった。基本的に、10歳以下の子どもと高齢者は外には出られない、という生活だったと思う」

「経済成長」で人気のモディ政権に批判が

   厳格な都市封鎖をしたものの、経済的な負荷に耐えきれずに制限を解除し、それがさらなる感染の温床になるように見える。そうしたモディ政権のコロナ対応策に、批判は出ていないのだろうか。その点について、奈良部さんはこういう。

   「モディ首相は昨年4月の2期目をかけた選挙で大勝した。その直前の2月26日には、インド治安部隊のバスに対するイスラム過激派への攻撃に対処するため、インド軍戦闘機が、パキスタン領内のバラコットを空爆する事件が起きた。48年ぶりの越境空爆で、モディ首相は、高揚するナショナリズムの波に乗って大勝した。2期目は、ヒンドゥー教徒右派から求められたカシミールの特別な自治権の廃止に手をつけるなど、積年の課題に取り組んできたところだった」

   それまで人気の高かったモディ政権だが、コロナ禍で若干、風向きが変わった、という。

   「連邦政府と州政府の連携がうまくいっていない、という批判がある。さらに、モディ首相は5月に、名目GDPの10%にあたる巨額の景気刺激策を発表したが、それが末端にまで届かないという不満もある」

   モディ首相は5月12日のテレビ演説で総額20兆ルピー(約28兆円)の景気刺激策を発表したが、そこにはすでに政府や準備銀行(中央銀行)が発表した5兆5千億ルピーが含まれていた。さらにその内訳も、日本の年金にあたるプロビデント・ファンド(PF)への企業・従業員の拠出金減額や中小企業向けパッケージなどで、貧困層に直接行き渡る支援策には乏しい。

   もっともモディ政権はロックダウン翌日の3月26日には、1兆7000億ルピー(約2兆5000億円)の貧困層支援策を打ち出し、約8億人に5キロの米と小麦を支給した。さらに5月14日には、すべての出稼ぎ労働者を対象に、2か月分の食料を無償で供給する方針を打ち出した。これは米か小麦どちらかを1人あたり5キログラム配るという支援策だった。

   「モディ政権は科学などの専門知を大事にして、それに基づいたコロナ対応策を決定してきたとはいえない。科学者がデータを出し、そのようなプロセスを経て政策を打ち出したのか、よく見えないのが現状だ」と奈良部さんはいう。

   結果として、当初は21日間と見込んでいた厳格な都市封鎖は3度の延長で2か月に及び、制限を段階的に緩和しても感染は急拡大している。

   「ラーマーヤナと並ぶインドの古代叙事詩マハーバーラタでは、最後の決戦クルクシュートラの戦いは18日間で決着する。モディ政権は短期決戦を目指したが、結果としては長引いた。私権の制限は小さければ小さいほどいいし、日本のように、強制的措置を取らなくても感染が収まるなら、それでいいと思う」

   もちろん、日本でも首都圏を中心に感染が再び拡大しつつある状態では、すべてはまだ、途中段階にすぎない。即断はできないだろう。

   コロナ禍が始まる前、中国に次いで躍進を遂げたインドは、今後高齢化が急速に進む中国に人口で追いつき、やがて追い越すとみられていた。さらに、豊富な若年労働力の供給と政治的な安定によって、英金融大手のHSBCが3年前に、「インドは2028年までに日本、ドイツを追い抜き、世界3位の経済大国になる」と予測するなど、近い将来の「経済大国」への呼び声が高かった。また、昨年の英研究機関オックスフォード・エコノミクスの予測では、2019~35年に世界で成長する世界の都市のランキングで、インドの各都市がトップ10位を占めた。

   だがその一方で、インドの教育や医療の水準は、その成長に見合った整備がなされたとはいいがたい。たとえば2年前の5月に英医学誌ランセットが掲載した世界の「医療へのアクセスと質」ランキングによれば、インドは1990年の153位から2016年には145位に「向上」したが、いまだにバングラデシュよりも低い水準だ。

   こうしたインドの現状は、コロナ禍でどう変わるのか。その問に対し、奈良部さんは、こう答えた。

   「人口の増減や年齢構成が経済力と関連していることは疑いない。その点からいえば、若年層が圧倒的に大きいインドが、今後も成長を続ける可能性は高い。ただ、これまでの高度成長は、いびつなところも多かった。エリート出身者は高等教育を受け、海外でも活躍する一方、国内の初等教育や保健衛生の整備は成長に追いつけず、取り残されたままだ。ボトムアップの教育の充実がなければ、格差や社会内の断絶は拡大し続ける恐れがある。今回のコロナ禍は、インドにそうした現実を突きつけていると思う」

元大学教授のプレム・モトワニさんに聞く

   奈良部さんに続いて7月20日、ニューデリーに住むプレム・モトワニさん(65)にZOOMで話をうかがった。

   モトワニさんは昨年まで国立ジャワハルラール・ネルー大学の教授を務めた。日本語だけでなく、日本型経営についても教え、長年の日本研究の功績から、日本の外務大臣賞を受けたこともある。モディ首相が「メイク・イン・インディア」という政策で製造業振興に力をいれていることから、退官後は、戦後日本の「メイド・イン・ジャパン」の経営手法をどうインド文化に取り入れるかについてインド企業を相手にコンサルタントの仕事を請け負い、日本科学技術連盟が授与するデミング賞や、日本ブランドメインテナンス協会が授与するTPM賞に応募するための助言などを行ってきた。日本文化にも詳しく、それとの比較で今回のインドの対応についてうかがおうと思った。

   今回モディ政権が取った厳格な都市封鎖にについて、モトワニさんは開口一番、「大失敗だと思う」とおっしゃった。理由はやはり、大都市に住む出稼ぎ労働者のことを十分に考えなかったからだという。

   「ここ数年、インドの製造業は減速しており、それを埋めるかたちでサービス業が伸び、非正規労働者の雇用が急増した。最近は非正規の仕事に就くことも難しくなり、隙間時間を使って単発の仕事をこなす『ギグワーク』が増えていた。デリーやムンバイなど大都市のサービス業は、地方から出稼ぎにきたギグワーカーによって支えられてきたといっても過言ではない。それが、夜の8時にモディ首相が都市封鎖を宣言し、4時間後には実施になって、職を失う状態になった。数百万人の人が収入のないまま都会に取り残され、身動きができない状態になった」

   出稼ぎ労働者は、自転車や徒歩で郷里に帰るしかなかった。収入がなくなったうえ、家賃の支払いを迫られ、大家から退去を命じられたからだ。都市封鎖が一か月も続くと、閉鎖したレストランやサービス業でも休業補償がないため倒産が相次ぎ、従業員はクビになって同じ道をたどった。

   「そもそも、狭い一部屋に何人もで暮らしていた人が多い。検査数が少ないから、感染者の数も、広がりもわからなかった。そのまま大都市から地方に数百万人が移動し、全インドに広がった。デリーやムンバイでの感染はピーク・アウトしたかのように見えるが、今は地方での感染が拡大している。

   「新型コロナが厄介なのは、重症化する人もいれば、無症状者も多く、本人の自覚がないまま活動して、感染を広げることもある、という点だ。多くの人が移動した結果、感染が広がったのは間違いない。ただ、今のインド人の多くは、自分を含む大部分の人が感染しており、免疫力によって発症を防ぐか回復したと考えているようだ」

   モディ政権は、当初取った厳格なロックダウンについて、「人口密度が高い都市を多く抱え、医療施設が未整備だったので、すぐに封鎖するしかなかった。その間に医療体制を整備し、今は対応できている」と釈明している。実際、当局発表によるとデリーでは、競技場や集会場に仮設の医療施設を作り、5~6千床は足りている、という。軽症者は自宅で療養し、重症化すれば電話で連絡をして、近くの病院から医療関係者が駆け付けるシステムができている、という。

オンライン化で人と接しなくていい層と接しなければならない層

   こうして大都市ではピークを過ぎたかに見えるが、今は出稼ぎ労働者が多いビハール州などで感染が拡大しており、そうした地域から、また職を求めて大都市に還流すれば、また元の黙阿弥になる可能性が高い。

   「政府が経済活動の再開を急ぎたかった気持ちはわかるが、第3者の目から見れば、もう少し感染の再拡大を防げなかったのか、と思う。それがうまくいかなかったのは、レストランやピザ店の宅配、家庭における美容院サービスなどで働く数百万人のギグワーカーの実態を、政府が掌握していなかったこともあるように思う」

   モトワニさんは、そういう。21世紀の感染症の対処法は、20世紀とは違う。職種が多彩になり、都市部ではITの導入によって、働き方も大きく変わった。そうした社会動態や、人々の移動を予測しながら機動的に感染防止策を導入しなければ、効果はあがらない、という指摘だ。

   日本の対応は、インドと比較すると、はるかによいアプローチだった、とモトワニさんは評価する。

   「ロックダウンの強制措置をとらず、休業養成に応じた企業や個人事業主に、補助金や優遇税制で応えた。その点は、補償がまったくないインドよりもよかった、という」

   さらに、日本が強制措置を取らずに第1波を抑え込んだ点について、「衛生文化」の高さと、「規律正しさ」をあげる。

   「私も最近はマスクをつけて散歩するようになったが、日本ではコロナ禍の以前から、風邪をひけばマスクをする習慣が根付いていた。ロックダウンの間、デリーのお寺や政党は炊き出しをして、3食の料理を無料で提供するところがあったが、それを見ていると、配られた食事をその場で、手で食べている人が多くいた。習慣の違いとはいえ、日本ではこんなことはあり得ないだろうと思った。感染に対する意識が、インドでは、まだまだ低いと感じました」

   モトワニさんは、どんな感染症も絶滅はできず、今後もどこかにウイルスは潜伏するだろうという。だが、それが破局的にまで拡大し、医療体制を崩壊させないためには、互いの距離をとって「3密」を避け、マスクをつけ、手指をよく洗うといった基本的動作を徹底するしかないだろう、という。その「基本動作」において、日本の衛生文化は貴重な資産だという。

   デリーでは7月1日から規制が緩和され、バスも動き始めた。夜の10時から朝方までは外出禁止だが、美容院やジム、映画館は閉鎖されている。レストランは営業を再開したが、客は定員の半数に限られる。

   「製造業はまだ6割程度にしか戻っていないし、サプライ・チェーンも完全には復活していない。2輪やトラクター販売は戻ってきたが、自動車販売の復活には、まだまだ時間がかかるだろう」

   モトワニさんは、今回のコロナ禍で、貧富の格差があらわになったうえに、その差がさらに拡大する恐れがあるという。

   「政府はこの数年、社会的な格差は縮小して、貧困ライン以下の国民は2割程度といってきたが、8億人もの人が無償の配給を受けねばならない実態を見ると、実際にはまだ多くの人々が貧困状態にあると思う。ギグワークをしている人々も、2~3か月で貯金が尽きるという人が大半だ。今後、中間層が消費を絞るような機構が続けば、貧しい人々がさらに影響を受け、経済活動が停滞すれば、格差はさらに広がるだろう」

   今回のコロナ禍で、変わるのは働き方だろう、とモトワニさんはいう。

   「私が勤めていた大学も、すぐにオンライン講義に切り替わった。私のコンサルティングの仕事も、これからは自宅で、オンラインを使う方式に切り替わると思う。フェイス・トゥー・フェイスが常識だったビジネスの社会も、遠隔が常態になる可能性が高い」

   だが、社会には、オンラインに移行できない仕事はいくらでもある。商品や料理、生鮮食品でも、オンラインで注文できる。しかしそれを、実際に消費者に届けるのは、ドライバーであり、宅配の担い手だ。商談や営業はオンラインに移行できても、実際には人が媒介しない限り、ビジネスは完結しない。

   そうなれば、オンラインに移行して、感染リスクを回避できる層と、実際に人と接して感染リスクにさらされる層のあいだに、さらに未来の分断線が引かれることになるのだろうか。

    モトワニさんの話を聞いて、そんなことを考えた。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。