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「同人誌印刷所」の窮地は、日本の「同人文化」の危機だ 業界組合・イベント主催が語る「生態系」

   コミックマーケット準備会は、世界最大級の同人誌即売会コミックマーケット(以下コミケ)の冬の開催を延期し、2021年5月の開催を目指すと発表した。これを受けて、参加者たちからは同人文化の存続を危ぶむ声が上がっている。

「例年なら繁忙期の7月、8月は元々の売上が大きい分、前年対比70~80%の売上ダウン!
12月の冬コミ時期が空白になると、同じく前年対比70~80%の売上ダウン。
徐々にイベントは開催されているが、対策を取っての開催なので実質的売上規模は50%
つまり少なくとも年内の6カ月間は良くて売上50%、最悪時期は20%程度の売上が予想される」

   J-CASTニュースのメールを通じた取材に対し、同人誌印刷所「栄光」の代表取締役社長で、日本同人誌印刷業組合の岡田一理事長は、苦境を明かす。リアルイベントの即売会開催規模そのものと印刷会社の売上は正比例するという。

  • 同人誌のイメージ写真
    同人誌のイメージ写真
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  • 栄光の印刷料金

「世界的に見ても短納期、高品質なのに、かなりの低価格」

   同人誌を専門とする印刷所もあり、岡田理事長によれば、組合に加入しているのが22社、それ以外を含めると50社ほどあるとしている。コミケの「搬入登録」(作成された同人誌などは多くの場合、印刷所からイベント会場に直接「搬入」され、参加者が受け取り頒布する)を行う業者はグッズ系を含み110社に上る。

   一般の印刷会社と異なる同人誌印刷所の特徴、強みについて岡田理事長は下記を挙げた。

・90%以上が個人客。BtoCのビジネスモデルで基本前金制。
・90%以上の注文はデジタル入稿で、データチェック、印刷、製本を社内でこなす
・繁忙期に一部を外注するが、印刷、製本と主な加工は社内で行う
・「小ロット(10部~1000部以下)」、「短納期」、「高品質」でありながら「低価格」

   本来は大部数のチラシや冊子、書籍などを印刷するのに適した、「オフセット印刷」という版を用いた本格的な印刷を500部以下でも受け付けている。岡田理事長は、世界的に見ても短納期、高品質なのに、かなりの低価格だとし、これが同人誌作成のハードルを下げ同人文化発展の土壌を形成しているという見方を示す。

   例えば、岡田理事長が社長を務める栄光で1番人気な「サンバセット」というオフセットの印刷コースで、自身の趣味の本を製作しようとする。公式サイトを参照すると、4色カラーの表紙でA5サイズ、20ページのモノクロのマンガを50冊印刷する場合、代金は2万4270円。一冊当たり500円足らずで趣味の本を製作することができ、最短3日で発送される。個人に手が届かない値段ではない。

印刷値段表
印刷値段表

イベント主催から見た同人誌印刷所の存在

   さらに岡田理事長は、

「同人誌特有の理解(著作権、成人表現)や直接搬入、預かり在庫などのサポート体制も一般の印刷会社にはない部分」

と、同人文化への理解も強みだと述べた。出版に関する専門知識がなくとも、多くの人が個人で趣味の範囲で本を作成できるのは、こうした印刷所の存在によるものである。

   コミックシティを主催する赤ブーブー通信社の赤桐弦副代表は、印刷所と即売会の関係を生態系サイクルにたとえ、こう語る。

「それぞれの存在については、繋がり、同人誌の生態系のサイクルの中で考えています。サークルさんの創作活動を最初とした場合、そこでは『苦悩』や『葛藤』『ひらめき』など、ある意味神秘的な過程を経て『原稿』へと成長していきます。次に、その原稿は『印刷』という工程を通過して社会性を帯び『同人誌(作品)』となります。その同人誌は、社会の一つである即売会における頒布を通して、経済的な相互補完と同時に創作活動のための種子を振りまき、次の創作活動を刺激します。この流れ、生態系のサイクルの中でお互いを尊重し大切にしあえればいいなと思っています」

   コミケの準備会も、同人誌印刷所が、同人誌の世界のインフラを支える大切な仲間だという見方を示した。

「コミックマーケットは、マンガ・アニメ・ゲーム及びその周辺ジャンルの自費出版物(同人誌)の展示即売会です。1回のコミケットで、約1000万冊の同人誌等が搬入され、約800万冊が頒布されます。近年はCDその他のメディアや様々なグッズ・アクセサリなど多様な表現が増えてきましたが、コミックマーケットの根幹を担っているのは、紙の同人誌であることに変わりはありません。こうした同人誌を、印刷・製本する同人誌印刷会社は、日本全国にあり、コミックマーケットへの直接搬入を行う同人誌印刷会社だけで約100社となります。同人誌即売会と同人誌印刷会社は、ともに同人誌の世界のインフラを支える大切な仲間だと考えています」

   しかし、そんな同人誌印刷所が深刻な危機に瀕している。

10月以降に事業継続を断念せざるを得ないケースが出てくる

   岡田理事長は、夏には即売会再開を期待していたが、このまま冬まで同人誌即売会の開催が厳しくなると事業継続が困難、もしくは深いダメージを負う会社が多数出ることになるという見方を示す。

「イベントはコミケだけではないので、コロナ終息とともに2021年のイベント開催に期待をするしかありませんが来年の5月の事など、予想しても意味がないほど深刻な状況になるでしょう。各企業の財務には体力差があるので一律には言えませんが『雇用調整助成金』が9月に終了し、その後の売上の山が見込めないので10月以降に事業継続を断念せざるを得ないケースが出てくると思われます」

   こうした即売会が延期・中止・縮小となる中で、今後の同人誌専門の印刷所はどうなるのか、また、同人文化にどのような影響があるのか。

「年内の大きな売上が見込めないのであれば、同人文化を支えていた印刷インフラは弱体化します。どの程度のダメージになるかは、何とも言えませんが『短納期』『高品質』『低価格』が今まで通りではなくなり、『早めの締切』『それなりの価格』となり、従来通りのインフラの復活には時間がかかるでしょう」

   印刷インフラの弱体化。それは上に述べたように、そのインフラに支えられる同人文化そのものにも大きな影響を与えかねない。

   SNSなどでは、同人誌印刷所にクラウドファンディングなどを望む声も見られるが、岡田理事長は、自身が社長を務める栄光では検討していないと述べる。

「印刷会社自身から発信できない。栄光では考えていない。有料の資料を作り販売したり、投げ銭を含む価格設定として何かを販売する、くらいでしょうか」

   そして一般の方やサークルに対しては、

「とにかく『本』を作り続けていただきたい。それが一番です」

とコメントした。

「印刷所と即売会主催者はどちらも未曾有の苦境」

   現在、コミックマーケットやコミックシティに限らず、多くの同人誌即売会が開催を中止・延期、もしくは開催規模を縮小している。赤桐副代表は、

「先述の繋がり・サイクルの中で、次のバトンの先へネガティブな影響を伝播していくのは確かです。ただ、そもそも世界規模での未曾有の危機ですから、私たちは私たちで直接的で根本的な打撃が圧倒的に大きく、すでにお互いの影響がどうかというレベルではありません」

と同人文化での繋がりの中で互いに危機に瀕しているとし、事態を深刻に受け止めている。

「印刷所と即売会主催者はどちらも未曾有の苦境といえます。小手先でこの状況を乗り越えられません。(中略)残念ながら私たちの即売会がハレの場として"参加者から選択されない"という事もあるかもしれません。それでも、今は社命が尽きるまで、前を向き、準備・対策を着実に進めていきたいと思っています。同人誌の生態系を鑑みれば、私達だけが生き残るという世界線は存在しません。つながりの中で、覚悟し、自分たちの役割について腹をくくるしかありません」

(J-CASTニュース編集部 瀧川響子)