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外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(24)元NHK解説主幹の柳澤秀夫さんと考えるテレビ報道

   新型コロナ対応を検証する「民間臨時調査会」は2020年10月8日、報告書を公表した。政府対応は「場当たり的」だったが、結果的には先進諸国の中で死亡率が低く、経済の落ち込みも抑えられたとする内容だ。では、この間、メディアの対応はどうであったのか。元NHK解説主幹、解説委員長で、今もコメンテーターとして活躍する柳澤秀夫さん(67)と考える。

  •                           (マンガ:山井教雄)
                              (マンガ:山井教雄)
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柳澤さんとの3つの接点

   それほど交遊があったわけではないのに、私が一方的に柳澤さんに親しみを感じた理由は、三つの接点があったからだ。

   一つは同じ1953年生まれという同世代意識。二つ目は1991年の湾岸戦争を取材した経験。ただし柳澤さんはNHK記者としてバグダッドに残り、イラク現地から報道を続けたのに対し、私はサウジアラビアの米軍拠点都市ダーランから、主として米軍の側の動静を伝えた。イラクで取材する柳澤さんの頭上を、米軍が発射した巡航ミサイル・トマホークが高速で飛び去る衝撃の映像は、今も脳裏に鮮明に焼きついている。他方の私は連日、イラク軍が発射するスカッド・ミサイルから逃げ惑い、地下壕に避難していた。

   三つ目の接点を知ったのは最近のことだ。福島県会津若松市出身の柳澤さんは、当然幼少時から、会津藩の歴史や文化をご存じだった。だが2013年に放送されたNHKの大河ドラマ「八重の桜」で、自分のルーツへの関心がにわかに高まった。主人公・八重の生家である山本家が、柳澤一族の家とは、一軒挟んだ隣にあることを「再発見」したからだった。

   当時NHKの人気番組「あさイチ」などに出演していた柳澤さんが、番組の中で会津出身であることに触れると、次々に柳澤家のルーツにまつわる資料が関係者から送られてきた。

   柳澤さんがまだ幼いころ、父方の祖母は飯盛山で自刃した白虎隊士の墓の左端にある鈴木源吉の墓前で手を合わせるようにと言った。それもよく調べてみれば、曾祖母が柳澤家から鈴木家に嫁ぎ、姻戚関係にあったからだと知った。そうした資料を集めて読み込み、ルーツが明らかになるうちに、2017年、会津出身者の親睦団体「会津会」の第8代会長に選ばれ、今に至っている。

   私事で恐縮だが、私も「八重の桜」がきっかけで、自分のルーツが会津につながっていることを知った。一緒に「八重の桜」の鶴ヶ城籠城シーンを見ていた母が、「私の母はいつも『会津を大事にしなさい』が口癖だった」とつぶやいたのがきっかけだった。

   今まで聞いたこともなかったので、叔母らに尋ねると、母方の曾祖父の阿久原茂は、白虎隊の生き残りだった。

   その後、札幌在住で会津の歴史に詳しい郷土史家の好川之範氏のもとを訪ねると、意外な事実が分かった。柳澤さんの曾祖母の父親・丈之助は下北半島の斗南藩に流され、藩の拠点である佐井村に住んだ。私の曾祖父・阿久原茂が斗南藩で住んでいたのは田名部村の斗南丘という場所で、目と鼻の先にあるという。つまり、まだ若かった私の祖先は、柳澤さんの祖先のお世話になった可能性がきわめて高いということだ。

   私がこうした私事を書き留めるのは、おそらく柳澤さんと私には、会津の子弟が学んだという「什(じゅう)の掟」の「ならぬことはならぬものです」という教えが無意識のうちに刷り込まれ、それが柳澤さんの言動に、私が共感する理由だったろうと思い当たったからだ。

   あとで触れるように、柳澤さんが勤めていたNHKは、公共放送でありながら、政治との距離でいえばいつも微妙な立場に置かれがちな組織である。その中にあって、柳澤さんはいつも、ジャーナリストの矜持を保ち、筋を通そうとしてこられたように思う。

コロナ禍とテレビの伝え方

   2018年にNHKを退局した柳澤さんは、その後、テレビ朝日の「大下容子 ワイド!スクランブル」などでコメンテーターを務めてきた。

   「自分はいつも現場に行って取材し、自分で見聞きしたことを報道してきたので、コメンテーターという立場そのものに、いまだに居心地の悪さを感じている」という。

   それは、漁師が海や川に行って自分で魚を獲ることと、獲れた魚を包丁さばきでどう調理して見せるかというくらいに、違う作業のようにも思えるらしい。

   テレビの情報番組では、ジャーナリスト出身者もいるが、タレントやスポーツ出身者、学者、専門家ら多彩な人がコメンテーターとなる。そうした中で柳澤さんが心がけていることは、「社会には多様な価値観があり、事実をどう解釈するかだけでなく、その解釈をどう行動に結びつけるかについても、多くの道筋があることを示すこと」にあるという。世の中が一つの方向にぐっと流されることを警戒し、歯止めをかけること、と言い換えてもいい。

「テレビでコメントをする時は、何を言うかどうかだけでなく、自分が言うことをどう見せるか、あるいは自分自身をどう見せるかを意識する人が少なくないように思う。つまり、キャラクターづくり、あるいはキャラ立てをして世間の注目を集めるということだろう」

   一視聴者としてテレビを見ると、人によっては、中身よりも、それをどう見せるかに腐心する様子に気が付くことがある。内容に対する反応というより、表層的にどう切り返し、そこでどう個性を見せるかということに重きを置く傾向だ。

「テレビ局の側も、自分たちが言いたいけれど言えないことをコメンテーターに代弁してもらい、そこで視聴率を取る、ということになりがちだ」

   極端なことを言ったり、過激なことを言ったりする方が視聴率を稼げるということになると、何を伝えるかということよりも、どう見せるかに重きを置くという方向に、本質がずれる恐れはつねにある。

   だが今回のコロナ禍の場合、主要メディアは政府や専門家会議の発言やデータをそのまま伝えるだけで、その意味合いを掘り下げることは少なかった。解説でも、公式発言の意味を噛み砕いて説明するだけで、どのような文脈でその発言がなされ、その背景や問題点までを深く指摘する解説は少なかったように思う。その情報不足を埋め、未消化な部分に素朴な疑問をぶつけて視聴者の受け皿になったのが、ワイドショーなどの情報番組だったのではないか。たとえば、初期にPCR検査を受けたくとも受けられず重症化した感染者のケースを繰り返し取り上げ、厚労省の指針に疑問を突きつけたのがワイドショーだったことは否定できない。私のその指摘に対し、柳澤さんはこう話す。

「自戒を込めて言えば、私たち素人でも、毎回専門家の話をうかがえば、専門家になったような錯覚に陥ることがある。本当に専門性を高めるくらいに知見を深めていればいいが、実際はそうでない。そこに自分の立ち位置がわからなくなる怖さがあった」

   そのうえで柳澤さんが指摘するのは、今回の新型コロナは、専門家にとっても未知のウイルスで、その特性もわからず、当初は有効な治療薬もワクチン開発の手掛かりすらもまったく見えていなかったという事実だ。

「ウイルスや感染症、公衆衛生の専門家であっても、わからない部分が多い。専門家であっても、発言に慎重な人もいれば、そうでない人もいる。テレビや新聞を見ながら、何を信じていいかわからない、という状態に置かれた人が多かったのではないか」

   その結果、判断の基準や根拠が目まぐるしく変わり、対応も揺れ動いた。

「最初はトランプ大統領の言っていたように、季節性インフルエンザと同じで、いずれ集団免疫で自然に収まるという発言に納得しそうになっていた人も、感染者数や死者が増えて深刻化すると、手のひらを返すように厳しい行動制限を望み始めた。我々メディアも含めて社会の声の振れ幅は実に大きかったように思う。時間が経ってハッと気づくのは、今回の新型コロナは未知のウイルスで、その事実に謙虚に向き合わねばならない、という当然のことだった」

   欧米の他の先進諸国に比べ、日本の感染者や死者が少ない理由、いわゆる「ファクターX」についても、それが日本人に特有の衛生意識のせいなのか、遺伝子など特有の要因によるものなのか、まだわかっていない。

   「質問されれば、専門家も、『わからない』とは言いにくい。わかっていないのに、わかったような発言をすれば、ミスリードにつながる。行政も、準備不足や不手際については、なかなか認めたがらない。そうすると、『わかったつもり』とか、『きちんとやっている』という擬制が重なって、何が真実なのかが見えにくくなる」と柳澤さんはいう。

   その点はメディアも同じだ。「民間臨時調査会」は、政府対応を「場当たり的」で、その場しのぎと指摘したが、総合的で中長期的な展望を欠いていた点ではメディア報道も同じだったろう。

「治療薬やワクチン開発など、つねに現在進行形の新しい動きを追い、それを伝えるのがメディアの役割。だがその一方で、過去に起きたことを丁寧に検証し、どこに問題があったのかを洗い出すこともメディアの役割だと思う。そうでなければ、同じ混乱を二度も三度も繰り返すことになってしまう。コロナ禍は過去のものではなく、今も進行形なのだから、絶えず振り返って検証しつつ、今を追い続けるという課題を突き付けられていると思う」

「リモート」という罠に気づく

   新型コロナの感染拡大が続き、テレビ局でも、自宅や別の場所からの「リモート出演」が一般化した。そこで変わったことはあったのだろうか。

「ある意味で、リモート出演は楽だ。自宅から出かける必要はないし、司会者が振ってきた質問に答えればいい。質問を振られなければ、ただ他の人とのやり取りを聞いているだけでいい」

   だが、リモート出演をするようになってから、柳澤さんは、スタジオに一堂に会して話し合うことの意味に気づくようになった、という。

「スタジオにいれば、互いの目を見ながら発言し、おかしいと思えば間髪入れずに割り込むことができる。そうしたやり取りを通して、いろいろな人が多様な考えを持っていると提示することができる。だがリモートでは段取りが優先され、予定調和的なものになりがちだ」

   リモート参加を通して、柳澤さんは、「テレビの魅力は『生きもの』である」ことを痛感したという。

「たとえて言えば、スタジオは様々な生きた具材が入ったゴッタ煮のようなものだ。どこで、どんな味になるか、かき混ぜ、食べてみなければわからない。それに対し、バーチャル、つまりリモートは、きれいに撮った具材を並べているが、画角に映る範囲で切り取った具材の映像を並べているだけに近い。そこで意外な化学反応が起きたり、相互のやり取りで新しいものが生まれるということは少ない。テレビの醍醐味は、予定調和が崩れることにあるが、それはリモートでは起きにくい。つまり、バーチャル空間にストーリーはあるが、ドラマはない、ということだろう」

   これは現場での取材や、人の取材でも言えることだ。

   紛争や戦争取材では、現場から中継をしても、カメラの画角に納まる前方の光景しか映らない。カメラをパン(横に旋回させる)しなければ、左右で何が起きているかを伝えられないし、カメラマンの後方の光景は映らない。

「テレビの映像は、圧倒的な臨場感があるから、見ている人は、映っているものが現実の全てと思い込みがちだ。でも、実際は、それが全てではない。報道は、ただ見せるだけではなく、何を伝えきれていないかを、つねに意識していなくてはならないと思う」

   柳澤さんがよく取材した軍事評論家の故・江畑謙介さんは、「自分は専門分野のことはわかるが、それ以外はわからない。わからないことは、わからないと言わねばならない」というのが口癖だった。

「要はわかることと、わからないこと、見えることと、見えないことを峻別して語ることが大切なのだろう。これは記事でも同じだと思う。そこに書かれていることはファクトだが、書かれている以外にもファクトはある。そのことをどうにじませるかが、記事の勝負なのだと思う」

   その指摘は、私にもよくわかる。あまりに明快な図式は、そこから排除したものを見えなくさせてしまう。デザインやアピールは、余剰を削ぎ落すことが基本だが、現実ははるかに複雑であり、わかりやすさと複雑さのバランスをどう取るのかが報道の基本だと思う。

   現場に行くことの意味は、対面取材についても同じだろう、と柳澤さんは言う。駆けだしの横浜放送局時代、警察取材で学んだのは、実際に会ってみると、言葉とは別に、疑問をぶつけられた時の相手の目や手の動きが、言葉以上に多くを物語ることがあるということだった。電話取材やメールでの言葉のやり取りだけなら、簡単に騙されることもある。だが、生身の人間として対する時には、真剣勝負をたやすく躱(かわ)すことは難しい。

「ただ質問をぶつけ、相手の答えを書くだけなら、Q&Aに過ぎない。答えが返ってきたとき、その言葉が額面通りなのか、自分の内面に落とし込み、納得できるかどうかを知るのが取材なのだと思う」

   ニクソン大統領を追い詰めるワシントン・ポストの2人の若い記者を描いた映画「大統領の陰謀」には、疑惑の裏を取ろうとする記者が取材相手に、「もしこのニュースが間違っていたら、10数えるまでのうちに、電話を切ってくれ」と頼む場面がある。

「そういう信頼関係を築くのは人間の生と生の付き合いの結果だし、そこが取材の醍醐味だろう。もちろん、それでも騙されることはあるが、基本は人間同士の信頼関係なのだと思う。そうした関係は、バーチャルな取材では培うことはできない」

記者の仕事はエッセンシャル・ワーク

   コロナ禍は、当たり前の日常の行為に制約を課すことで、「当たり前」だった行為の意味や真価を気づかせてくれる。

   その一例として柳澤さんが挙げるのが、「取材はエッセンシャル・ワーク」ということだ。

「火事が起きれば、消防士は火事の現場に向かい、消火活動をする。泥棒が逃げれば、警察官は容疑者を追いかける。事件や事故が起きれば、記者は現場に向かう。消防士が危ないからという理由で火災現場に行かず、警察官が、『自分は妻子がいるからご勘弁を』というなら、看板を下ろすしかない。記者も、いろいろな理由をつけて現場に行かないなら、報道の看板を下ろすしかない」

   今回のコロナ禍では、今年5月、当時の東京高検の黒川弘務・前検事長が、緊急事態宣言下で賭けマージャンをしていたことが週刊文春に書かれ、辞任に追い込まれた。安倍政権が、将来の検事総長にするため、国会に検察庁法改正案を出しているさなかの辞任だった。

   コロナ禍で緊急事態宣言が出され、政府が「不要不急」や「3密」を避けるよう呼び掛けている最中のことだ。しかも、相手は朝日新聞社員1人と、産経新聞の社会部次長、記者の3人だった。

   産経新聞は、外出自粛を呼びかけていた新聞社の記者がこうした行為をとったことを「不適切」と判断し、「新聞記者の取材」に対する読者の信頼感を損ねることを認めた。さらに、取材対象への「肉薄」は、「社会的、法的に許容されない方法では認められず、その行動自体が取材、報道の正当性や信頼性を損ねる」として、反省点を明確にした。

   残念ながら朝日新聞は、この産経新聞の報告を要約する形で、第2社会面で事実経過を報じただけだった。 もちろん、取材源への「肉薄」が「癒着」になってはならないし、「社会的、法的に許容される」かどうかがで一線を画すべきだろうと思う。

   だが私は、この問題で、政府が緊急事態宣言を出し、メディアも「3密」を避けるよう呼びかけている時期に取材源と会ったことが、「不適切」とは思えない。こうした非常事態であればなおさら、その動きについて政権に密着し、ウオッチすることが求められると思うからだ。つまり、その意味で、記者は公共交通機関や薬局、食料品店などに携わる人々と同じく、非常事態にあっても生活のインフラを守るべく、現場に赴かねばならない「エッセンシャル・ワーカー」なのだと思う。

残された人々の声を届ける

   メディアは、政府の要請や指示に、あえて逆らうべきだ、というのではない。もしその場に人々が取り残され、その声を伝えるべきなら、かりに政府の要請や指示に逆らう形になったにせよ、そうすべきだと思う。

   たとえば2011年3月の東京電力福島第一原発事故のあとで、福島県南相馬市は政府による避難指示で3分割されることになった。原発に近い南の小高区は立ち入りのできない「警戒区域」、原発から30キロ圏内にある中心部の原町区は「緊急時避難準備区域」、そしてその北にある30キロ圏外の鹿島区は指定を受けない区域になった。

   「緊急時避難準備区域」とは、区域内でやむを得ない仕事に従事してもいいが、いざ緊急時という場合に備え、速やかに屋内退避や避難ができるようにするべき区域だとされた。自力避難が難しい子どもや高齢者、入院患者はできるだけ立ち入らないようにするという前提で、学校や特養施設は閉鎖され、病院は外来のみに限定されることになった。

   こうした制約が課せられたため、多くの住民は区域外に避難した。当時の市の人口7万1千人は一時、約2万人にまで減ったが、同年5月中旬には、4万人が戻って住んでいた。

   しかし、減ったとはいえ、一時は2万人が留まっていた市から、多くのマスコミは退去した。政府による30キロ圏外への退避の要請に従ったからとしか思えない。多くのマスコミは市役所などへは電話取材に頼っていた。発信手段を失った当時の桜井勝延市長は、You Tubeで国内や世界に窮状を訴えるしかなかった。

   つまり、報道機関は、政府からの指示や要請に留意しながらも、そこに人々が残されているのなら、その声を外に伝える責務とを、つねに秤にかけて行動しなくてはならない、と思う。もしその責務の方が重ければ、政府からの指示や要請に反してでも、現場に向かうべきだろう。もちろん、その結果生じるリスクや責任は、いわゆる「自己責任」になる。こうした場合は、報道機関の責任者は、取材を指示するのではなく、自発的に志願する記者にのみ、取材を許可するのが筋だろう。

   だが、なぜ指示や要請に反してでも、そうするのかを丁寧に説明すれば、たぶん読者や視聴者は、その理由を理解してくれるのではないだろうか。

   こうした私見をお伝えすると、柳澤さんは賛意を示し、NHKの取材班がETV特集で放送した「ネットワークでつくる放射能汚染地図」のシリーズを例に挙げた。原発事故直後、NHKは原発の30キロ圏内の取材を規制していたが、取材班はあえてその圏内で取材し、汚染度が高いホットスポットの実態などを明らかにして社会から高い評価を得た。

「当時の政府とメディアは、放射線量の高い地域には入らないという立場を取り、入ったことがわかると、取材班は非難される状況だった。しかし、現場に入らないと分からないことがある。自主規制に従って現場に行かないのであれば、メディアは看板を下ろした方がいいのではないか」

日本学術会議と「公共空間」

   菅義偉首相は10月1日、「日本学術会議」の新会員について、会議側が推薦した候補者105人のうち、6人を除外して任命した。学術会議は、政権が理由を明かさずに候補から除外したのは承服したがいとして、理由の開示と予定通りの任命を求めたが、菅首相は理由を明かさず、「総合的・俯瞰的な活動という見地から判断した」と述べ、任命を変更しない方針を明らかにした。

   この問題をめぐっては、すでに2017年の交代要員をめぐって、当時の安倍政権が学術会議側に、105人よりも多い候補の名簿を出すよう求め、会議側が応じたことが明らかになっている。

   1949年に設立された日本学術会議は50年と67年、「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」という声明を発表した。

   問題の発端は、2015年、防衛装備庁が窓口になり、兵器など防衛装備品の開発につながりそうな研究に、政府が資金を出す「安全保障技術研究推進制度」を発足させたことだった。民生・軍事の両面、いわゆる「デュアルユース」の基礎研究に対し、大学や研究所に資金を給付するという条件だったが、これをめぐって全国の研究者から疑問や批判の声が上がり、日本学術会議でも大きな論議になった。

   その結果、日本学術会議は2017年、過去の2回の声明を継承し、今回の制度を「政府による介入が著しく、問題が多い」と指摘した。装備開発につなげようという目的が明確なうえ、政府職員が研究の進み具合を管理する点などを、「学問の自由」のもと、人権、平和、福祉などの価値の実現を図る学術界とは相いれないと判断した。

   その結果、5年間で最大20億円支給という好条件にもかかわらず、応募件数が減り、すでに応募していた研究をその後、辞退する例も出てきた。

   政権が候補の人選に関与するようになったのは、まさに日本学術会議が「安全保障技術研究推進制度」について、待ったをかける旗幟を鮮明にしつつあった時期に重なる。今回、任命から除外された候補者6人が、安倍政権が推し進めた特定秘密保護法案、共謀罪法案、安保法制、沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題などで政府方針を批判してきた点を鑑みれば、この6人を「見せしめ」のように排除して、学術会議や学界を政府方針になびかせようとする狙いを考えざるを得ない。

   このことに強い危惧を覚えるのは、こうした姿勢が「公共空間」そのものを歪める恐れが大きいからだ。学術会議が政府機関であるかどうか、会員が特別公務員であるかどうかを問わず、政府に批判的な意見や発言を封じ込め、「公的空間」を、政府寄りに再編して「翼賛空間」に変えようとする傾向である。

   それは、「公共放送」であるNHKのみならず、「公共空間」を支える他のメディア、さらに広く学界や文学者、アーティストらにも直結する問題であるように思う。

   実は柳澤さんは、NHKの解説主幹だった当時、2014年から15年にかけて開かれた「日本学術会議の新たな展望を考える有識者会議」の一員だった。

   その報告書は、学術会議について、

1科学者の自律的な集団であること
2全ての学術分野の科学者を擁していること
3独立性が担保されていること

という3点を確認し、「日本学術会議に期待される役割」として

1社会的な課題に対し我が国の学術の総合力を発揮した俯瞰的・学際的な見解を提示する「社会の知の源泉」としての役割
2学術をめぐる様々な論点、課題についての分野横断的な議論の場を提供し、学術界全体の取組をリードする「学術界のファシリテーター」としての役割
3学術と政府、産業界、国民等とのつながりの拠点となる「社会と学術のコミュニケーションの結節点」としての役割
4各国アカデミーや国際学術団体と連携し、地球規模の課題解決や世界の学術の進歩に積極的に貢献する「世界の中のアカデミー」としての役割

などの点を指摘している。まさに時宜を得た報告書というべきで、複雑化・国際化する社会への学術会議の対応指針を明確に示していると言えるだろう。

   この報告書について柳澤さんは次のように言う。

「私自身は、議論の過程で2点を強く主張した。メディアとしての立場からは、学術会議が社会から、『象牙の塔』のようにみなされないよう、活動を積極的に発信し、理解を得るよう努力すべきという点を強調した。もう1点は、『独立性』の保持だ。戦前の科学が戦争に利用されたことへの反省に立ち、2度と同じことを繰り返すまい、というのが学術会議の原点であり、存立基盤だ。報告書の当初の案には『一定の独立』という文言があったが、『一定の』という限定は必要ないと主張した」

   柳澤さんの話を聞いて、私も「独立性」こそが、日本学術会議の核心だと思った。

   欧米の科学団体にも税金が使われるが、それは「公共」のためという前提があるからだろう。税金が投入されるから政府方針に従うべきとか、逆らってはいけないという制約は一切ない。

   むしろ政府方針が誤った場合には、政府とは違った立場でその問題を指摘し、批判してこそ、「公共空間」の意味はある。「政府の組織でありながら、政府の言うことをきかない」というのは、政権の言い分であり、本来は健全さの証なのだ。もし、学術会議の立場がおかしいと思うなら、政権は正面から、その是非を公の場で論じ、学術会議や有権者を説得すべきだろう。

   これは「公共放送」であるNHKや、大学にもいえることだ。NHKの予算は国会で審議されるため、NHKはつねに時々の政権と微妙な間合いを取らざるを得ない立場に置かれてきた。だが、国会で審議されるのは、「皆さまのNHK」であるからで、政権のために公共放送があるわけではない。その報道の姿勢が「独立性」を失う時、この国は再び過去の過ちの轍を踏むことになるだろう。

   コロナ禍のような時代だからこそ、「開かれた社会」に向けた議論を深めていきたい、と改めて思う。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。