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保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(56)
「昭和の戦争」と国定教科書

   国定教科書で社会の動きを見ていくと、私たちは多くのことに気づかされる。例えば単に次代を担う世代に、知識 、教養、規範だけを教えるのではなく、より普遍的にこの国は何を伝承すべきかを伝える役割も持っているはずである。つまり、可視の部分と不可視の部分があるということでもある。教育を利用して昭和の戦争は続けられた。戦時下の価値観はまさに平時の教育とは逆行するものであった。

  • 太平洋戦争下の教科書では、慰問袋に入れる文章を生徒に書かせる内容もあった(写真は国民学校2年生用修身教科書「ヨイコドモ 下」(国立国会図書館所蔵)から)
    太平洋戦争下の教科書では、慰問袋に入れる文章を生徒に書かせる内容もあった(写真は国民学校2年生用修身教科書「ヨイコドモ 下」(国立国会図書館所蔵)から)
  • 太平洋戦争下の教科書では、慰問袋に入れる文章を生徒に書かせる内容もあった(写真は国民学校2年生用修身教科書「ヨイコドモ 下」(国立国会図書館所蔵)から)
  • ノンフィクション作家の保阪正康さん

軍が露骨に教育現場に口を挟んだ理由

   もし戦時下と言えども日本社会にバランスのとれた指導者がいたならば、戦時下の教育は異様であり、平時の教育とは全てが異なると教えるべきであった。戦争が終わったときに、その平時の価値観こそ尊ばなければならないとの教育も行うべきであった。しかし日本の戦時下の教科書はまるで戦時下こそが常態であり、平時の規範がおかしいと言わんばかりの内容であった。こういう教育の後に次代の者がどのような心理的苦悩を背負いこむか、など考えもしなかったのである。今回から何回かに分けて昭和の戦争時に至るプロセスでの教科書、あるいは戦時下の教科書、などを丹念に分析しながら、私たちの国はなぜ余裕のない直線的な進み方をするのかを考えてみたい。

   今回は太平洋戦争下の教科書とその周辺の社会状況をまずは見ておきたい。

   1941(昭和16)年4月から小学校は、国民学校に変わった。国民学校令の第1条には、「国民学校ハ皇国ノ道二則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為スヲ以テ目的トス」とあった。その上で教師に対しては、皇国の精神を児童生徒に徹底的に叩き込め、と説いた。この段階では日中戦争が、いわゆる泥沼に入った状態なのだが、太平洋戦争にまでは行き着いていなかった。教育の軍国主義化というとその通りだが、本質は教育の中枢が軍部に強い干渉を受けていたことであった。軍が教科書づくりに参加するだけでなく、教育内容にまで口を挟んでいたのである。

   この年2月に、陸軍の教育総監部は国民学校の教科書に対して教科ごとに、「陸軍要望事項」なるものを文部省に突きつけていた。「国防的見地ヨリスル国民学校ノ基礎タルベキ事項」なる文書であった。なぜ軍はこれほど露骨に口を挟んだのだろうか。容易に3点が想像されうる。

1. 日中戦争の長期化で国民に疲労が出ていた。軍部に対する批判が社会に内在していた。
2. 対アメリカ戦が想定されていて戦時体制をより徹底させる必要があった。
3. この年1月に東條英機陸相の名で「戦陣訓」が軍内に示達されていた。

慰問袋に入れる文章を生徒に書かせる

   この3点を個別に見ていくと、陸軍の焦りが見えてくる。焦りは強圧的な態度で国民生活の隅々にまで皇国精神を浸透させようとしていたのである。具体的に教科書を見ていくと、国民学校の一年生の国語の教科書では、「ヘイタイサン ススメ ススメ チテ チテ タ トタ テテ タテタ」に変わっている。ラッパで兵隊が行進するのを表している。音楽の教科書も最初は「兵隊サン」である。次のような歌詞だ。

「兵隊さん 鉄砲かついだ 兵隊さん 足並みそろえて 歩いてる とっとことっとこ歩いてる 兵隊さんは きれいだな 兵隊さんは 大すきだ」

   教師用の指導書に書かれたこの歌を、児童生徒に歌わせよというのである。つまり男子の児童は軍人に憧れるように教育せよという命令であった。それが国民学校の教科書に通底する精神であった。習字なども「日ノ丸ノハタ」を書かせるのである。2年生の修身の教科書には 「兵タイサンヘ」というページがある。慰問袋に入れる文章を生徒に書かせるのであろう。次のような文章が教えられる。

「兵タイサン ボクノ カイタ エ ヤ ジ ヲ 見テクダサイ。シナノ 子ドモタチニモ、見セテ アゲテ クダサイ。日ノ丸ノ 旗ハ、ジン地ヲ センリャウ ナサッタ 時、コレヲ フッテ、バンザイヲ トナヘテ クダサイ。兵タイサン、ゲンキデ、ハタライテ クダサイ。(以下略)」

   こうした内容を見ていくと、つまりは軍事主導国家の価値観そのものの不気味さが感じられてくる。兵隊、軍人をこの国の主役に据える意図は、何を物語っているのだろうか。この年の1月に、陸軍大臣東條英機の名によって軍内に示達された「戦陣訓」は、陸軍の教育総監部がまとめたものであった。それを東條が手を入れ、さらに日本語としての価値を高めるために、作家の島崎藤村らが筆入れしてまとめ上げたとされている。いわば日本軍兵士の戦場における心構えを説いたものである。

   その内容は確かに皇国史観の粋を集めているが、兵隊として死してお国に奉公せよとの、その命令は戦時下の国定教科書の延長にあることがわかってくる。私たちは、昭和の歴史がある歪みを持ったその理由について、精緻に検証しなければ戦場で軍事指導者に命を捨てるように強要された兵士たちに申し訳ないように思われるのである。(第57回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)『天皇陛下「生前退位」への想い』(新潮社)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。