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上野「ストリップ摘発」で抗議声明 「性表現の自由を守りたい」日本芸術労働協会が訴えた理由

   東京・上野のストリップ劇場「シアター上野」の経営者と従業員ら6人が、2021年4月14日に公然わいせつ容疑で逮捕された。報道によれば、警視庁は逮捕容疑を、共謀してダンサーの下半身を露出し、観客に見せたこととしている。

   これに抗議の声を上げたのが、芸術に従事する労働者の地位向上を目指す「日本芸術労働協会」だ。ストリップ劇場の摘発がはらむ危うさはどこにあるのか。協会の発起人で演出家の木村悠介さんに聞いた。

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「公然わいせつ」適用で恣意的な摘発が可能

   今回の摘発を受けて、ツイッターでは「#ストリップは犯罪じゃない」のハッシュタグが広まるなど、抗議の声が出ていた。そんな中、日本芸術労働協会のツイッターアカウントは16日、この摘発を受けて、「ストリップは演者・観客両者の同意の上でなりたっています。公然わいせつ罪の改正を求めます」と抗議の意思をツイート。翌17日には、

「性表現の自由と規制、職業選択の自由などの労働問題等、芸術労働に関わるものと認識しています」

   とも訴えた。

   これらのツイートを投稿した木村さんは、J-CASTニュースの取材に対し、今回の摘発は東京五輪を意識した浄化作戦ではないかと推測する。実際、本件を報じた4月18日朝日新聞東京版の朝刊には、警視庁保安課の「東京五輪を前に、盛り場対策に力を入れ、環境浄化を進めていきたい」とのコメントが掲載されている。

「劇場側としては常に摘発の可能性を感じながら営業していると思いますが、警察側はいつ、どういう基準で摘発に乗り出してくるのかは分かりません。
今の時代、どのストリップ劇場も自転車操業で経済的に厳しい中、摘発を受けた時に裁判で争えるほどの体力がありません。
そのため、摘発を受けたら容疑を認めて罰金の支払いや営業停止などを経て、早期の営業再開を目指すことになります。今回は五輪に備えて『警察はちゃんと働いているぞ』というメッセージを出すための摘発というふうに私には見えます」(木村さん)

ストリップのあり方も変わっている

   木村さんはダンスや演劇の実験的なパフォーマンスの構成・演出を手掛けてきた。また学生時代からストリップなどの性産業にも関心を持っており、ストリッパーの知人もいるという。カルチャーの一種として性産業を見てきた。

   ストリップ業界の関係者やファンは、入場料を払った観客のみが鑑賞し、ダンサーと観客が合意の上で興行が行われており、かつ観客も性的満足のみを求めているものではないから、ストリップは公然わいせつ罪にはあたらないと主張する。

   「被害者が誰もいないのに、取り締まる必要がどこにあるんでしょうか?」と話す木村さんだが、司法の論理は異なる。

   ストリップは風営法により届出による営業が認められているものの、公然わいせつ罪によりしばしば摘発の対象になってきた。公然わいせつ罪は不特定または多数の人が認識できる状況下で、わいせつな行為を行うこととされる。

   ストリップは劇場という特定の空間内で、観客も多くても100名程度の小規模な場で行われてきた。しかし司法の判例では劇場内であっても「不特定または多数の人」が対象で、かつダンサーの演技が観客の性的興奮を刺激するという理論でストリップに公然わいせつ罪を適用してきた。

   1950年11月21日に最高裁で判決がなされた事件においては、劇場内でダンサーが全裸となって演技を続けた事案を「観客の性欲を刺激し羞恥の感情を起こさせるに十分」であるとして公然わいせつ罪の適用を認めている。以後の判例においても、ダンサーの行為や劇中の演出が観客の性欲を刺激するという考え方で公然わいせつ罪を適用している。

「ダンサーが舞台上で性行為に及ぶ『まな板ショー』どの過激な演出は現代では衰退し、ショーとしてエンタメ性を高めようとしています。女性の観客も増えて、性的欲求のみをそそる芸能ではありません。地上波のドキュメンタリー番組で取り上げられるなど、少しずつ社会的に受け入れられてきました。今回の摘発はそうした時代の変化を考慮しておらず、また性表現に対する社会的偏見を助長する行為だと考えています」(木村さん)

   ストリップというカルチャーに対し、猥雑な芸能というイメージを行政や社会が抱いたままではないかとも推測し、業界が委縮してしまうことを懸念している。

「性表現を自らの意思で扱う自由」

   木村さんが「日本芸術労働者協会」を立ち上げたのは芸術労働者の地位向上のためで、ストリップのみを特別視するものではない。

「私は『ストリップも芸術だからわいせつではない』と言うつもりはありません。ある表現が芸術だと思うかどうかは人それぞれです。もっと広く『性表現』を守りたいのです。
性について語ることやそれを表現することはタブー視される時代もあれば、非常に開放的だった時代もありました。そして現代は、特に90年代ごろからのエイズ禍をきっかけとした社会的偏見の露呈に対抗して、性について語ること、表現することの重要性が訴えられてきました。そのような流れの中で今は、性表現を見たくない人には見ない権利を尊重した上で、できるだけ性表現の自由を守っていこうというのが性表現に関わる人々の共通認識となってきています。
『性』には様々な形があり、それは個人の意思に委ねられるべきものです。
『性』についての考え方を他人に押し付けることこそ問題なのです。今の法律はある『性』についての考え方を国民に押し付けている状態だと思います。
セックスワーカーに対する偏見は今も非常に厳しいですが、職業に貴賤はありません。自らの意思で自分の職業を選ぶ自由を摘発という形で侵害しないで欲しいのです。
セックスワーカーでなくても、性表現を自らの意思で扱う俳優、ダンサー、モデル、アーティストたちの自由も守られなければなりません」(木村さん)

(J-CASTニュース編集部 大宮 高史)